【旅の話⑬】 タイ 《死ぬかと思った》
ベトナムの都会ハノイをはるかに凌ぐザ・大都会、バンコク。
ジャカルタ、プノンペン、ハノイに続く人酔いはあんまりせず。
雰囲気、キレイやからかな。朝も昼も、道を掃除するボランティアのおばちゃんたちをよく見る。
「微笑みの国」バンコクでも、国民はスマホに没頭して会話が無くなってる模様。
スマホを2年間持ってないと言うと、タイ人からもビビられます。
フィジーに居る間に、世界は進んでた。
"unusual"の夫婦に出会う
まずは、宿の確保。有名なカオサン通りは通り抜ける(夜うるさくて寝れなそうなのでスルー)。
通り過ぎて小道をしばらく歩くと、ロングラック・ゲストハウスに到着。
世界一周バックパックの後にこの宿を作ったゆかりさんが経営する、今回の旅で初めての日本人宿。
日本人宿は苦手で、普通の安宿の方が気楽なタイプ。
なんとなく声かけるのに気遣うし人見知りするし、アゲアゲの雰囲気だとついて行けないため、久しぶりの日本人宿にちょっと緊張。
チェックインしてゆっくりしているところで、PCをパチパチやっていた夫婦に話しかけて、知り合った。
彼らはシュンとメイ。
"unusual"というユニット(?)名で2年4ヶ月の夫婦世界一周の様子を発信する、自称発信好きなただの旅人。
2019年からはフランスのモンペリエでワーホリビザで移住生活を送っていて、ビザ取得の流れやコロナの状況、フランスでの出産についてなど、役立つ情報を発信し続けています。
情報量がものすごい。個人的に旅系で一番参考になるソースなので、旅に出る人にはぜひ見てみてほしい。
バンコクの夜を一緒にそぞろ歩いて仲良くなってきた彼らに、あるお願いをさせてもらった。
実はこのとき、電車も無く道もシンプルなフィジー生活ではスマホを持つ必要性が無く、上述のとおり2年以上、スマホを持っていなかった。
移住生活が終わって日本の生活に戻るのにスマホを新しくゲットする必要があったけれど、スマホ(その他機器)事情に疎すぎてどれを買うのがいいか分からない。選択肢が多すぎて嫌になる。。
でもタイで買うと安いみたい。
そこで、ガジェットに詳しそう(実際詳しいと思う)なシュンとメイがちょうどハードディスクを買いに行くと言うので、付いて行って一緒にスマホを選んでもらえることになった!めっちゃ助かる。
3人でそういう系のモールMBKに行き、結局選ぶのがしんどくて嫌になって、シュンが持ってた携帯と同じもの買っちゃった。呆れるシュンメイ。 ごめん面倒くさがりで。。
あとで見たら、その様子を2人のブログでも書いてくれてた。
2人とはその後もつながっていて、こういう出会いが旅しててほんまに良かったと思うこと。
宿には、有名なあいのりのヒデや旅丸Shoさんも泊まりに来てた。
この当時はあいのり観ておらずヒデのことも全然知らず、絡まずじまい(場の盛り上がりに馴染めなかったのもある)だったけれど、
その後Tverでヒデの総集編をがっつり観たので、次会うことがあったらちゃんと話してみようと思う。
***
次の日、ロングラックを後にした。
日本人宿も悪くないなあと思った滞在。
(↑見送ってくれた。unusualのブログから拝借 https://unusual-web.com/?p=13589)
Marimo5 アキさんと『バンコクの肺』へ
電車を乗り継いでMarimo5へ。
Marimo5は、油や砂糖の摂取量が多く、肥満等の生活習慣病の急増が深刻化するタイで、職場におけるヘルスプロモーションを軸にヘルスケアコンサルティングを行う現地法人。
次に働く予定にしていた会社のパートナーで、仕事で関わる前に会っといでと言われ、Marimo5のアキさんを紹介してもらっていた。
降りた駅は、ザ・バンコクなド都心。高級そうな高層ビルの脇を歩いて、辿り着いたのはめちゃ綺麗なオフィス。
汚い服装&髭面で初対面の僕も快く招き入れてくれた。
話していると、日を改めて、バンコクにある島を仕事の一環で見に行くから一緒に来ないかと誘ってくれた。
二つ返事で行きます!と答えた。予定は本当に行き当たりばったり。
環境汚染が進む大都市バンコクの中にあって緑あふれるこの島は、「バンコクの肺」と呼ばれるらしい。
半日かけて、島を自転車でゆっくりまわった。
ここ1週間くらい都会続きだったので、自然いっぱいの島で体が緩む緩む。
島の名前忘れちゃってすみませんが、バンコクの肺、で人に聞けばわかると思います。
バンコクに滞在する、あるいは住んでるけどまだ行ったことないという方、都会デトックスにおすすめです。
(追記:島の名前は、「バーンガジャオ」でした。)
コンドームでできたレストラン
小見出しの意味がわかりませんが、そのまんまです。
フィジー滞在中に"ABROADERS"というアジア・海外で生きる人のための情報サイトで記事を連載していたことがあったんですが、当時その本拠地がバンコクに。
そのABROADERSで働いていて、僕に記事を書かないかと話を持ってきてくれた(編集担当者でもあった)方と再会したレストランが、「キャベジズ・アンド・コンドームズ」。
置いてある人形も、シャンデリアも、よく見ると何から何までコンドームが敷き詰められてできている。
なんとシュールなチョイスかと思いましたが、ここは避妊の大切さを伝えるメッセージを発信している立派な社会的レストランでした。
客層が観光客が多いのもあって値段は激安ではないですが、雰囲気は清潔でご飯も美味しく、また社会的にも面白いのでオススメです。
(↓写真が無くなってしまったので、他の方のまとめをどうぞ)
しんどすぎて死ぬかと思った12月30日
出会いも多かった、充実のバンコクステイを思い返しながら、泊まっていた安宿に帰宅。
バンコクの中心にしては激安で目立たず、サービスも寝るベッドとトイレだけの超簡易宿。
他の客は誰もおらず、夜は管理人やスタッフもゼロ。ちょっと不安になるぐらい誰もいないが、疲れてたのでゆっくり休もうと布団に入る。
大晦日の明日は何しようか考えながら、寝落ちた。
***
23時ごろ、恐ろしい吐き気で目が覚めた。
体感的なしんどさは、昔かかったノロウイルスといい勝負でした。トイレに行こうとするも、しんどすぎて立ち上がるのもままならない。
なんとかトイレに辿り着き、上からも下からもゲロゲロ。吐いても気持ち悪さは治まらず、吐くもの無くなるまで吐いた。
誰かに助けを求めようにも、メッセージを打つ気力と体力が無い。
誰もいない安宿で延々と続く吐き気と下痢、この時の心細さは人生トップクラス。ちょっと死ぬかと思いました。。
ちなみに、最初はコンドームレストランを疑いましたが、後で聞いたらナナミちゃんは何ともなかったらしく、観光客向けの清潔な料理だったので多分違います。
これは多分、屋台を果敢に食べ歩いたシェムリアップのが時間差で来たんやと。。
そのまま眠れず、唸りながら夜があけた。
救世主現る。救世主すぎる...
状況が変わらず弱り切った朝6時ごろ、現地SIMを入れといた新スマホに一件のメッセージが。
メッセージをくれたのは、12年前(当時)実家でホームステイを受け入れていたタイ人のAiちゃん。
滞在中に会われへん?と随分前に連絡を入れていた返事が、このタイミングで返ってきた。
力を振り絞って事情をテキストすると、今から迎えに行くと!!!女神が現れたかと思いました...。
(↓実際のやりとり)
12年前のご縁に助けてもらった。ほんで今医者の卵って、奇跡すぎる。
1時間後、宿まで迎えに来てくれたAiちゃん姉妹総出の車に乗って、何とか脱出。
車には倒れ込んだように乗ったけど、家に着く頃には、一人じゃなくなった安心感でちょっとマシになっていた。このときほど、病気の時に誰かが一緒にいるってほんまに大事と思ったことは無い。
とりあえず、彼女の昔のホストマザーである母のCDをプレゼント。(母はカントリーシンガーです)
家族への挨拶もそこそこに、水を飲んですぐに寝かせてもらって(昼下がり)、あくる朝まで起きなかった。
***
図らずもタイの民家で年越し。最高。
1月1日、お正月の朝。知らん間に年越してもうた。
せっかくタイの家庭で大晦日の夜やったのに勿体無かったな、と思ったけど、今回ばっかりはしょうがない。
体調はだいぶ良くなった(まだフラフラではある)。
せっかくだから行くか、と、姉妹たちがみんなでお正月の恒例らしい寺院に連れて行ってくれた。
日本の神社と同じように、やっぱり大混雑。
床に座ってお経を聞いたあと、外で托鉢に参加した。
人の列に沿って練り歩いてくるお坊さんたちが持つボウルに、持参したりその場で買ったりしたお菓子や飲み物、お金を入れていく。
ラオスの村で参加した托鉢では、お布施の際は顔を伏せ、お坊さんの顔をみてはいけないと言われた。
ここのはそんなこと関係なく、お坊さんの後ろにビニール袋を持った別の集団もいて、ボウルに入れられるお布施を、入れたそばからむんずと掴んで、袋に放り込んでいく。
ラオスのを知っているだけに、神聖な雰囲気はあんまり無く商業的感がすごい。笑
体調が悪いのも相まってクラクラしたけれど、これはこれでバンコクのリアルでええなと思った。
(↑顔が死んでる)
全部の宗教的な意味はわからなかったけれど、他にも色んなコーナーがある。
寺院の端で、カゴに入った小鳥が売られてた。
小鳥を逃がすことで自由な一年になる、とな。逃がして、カゴは返す方式らしい。迷信も大事かもしれないけれど、小鳥にとってめちゃくちゃ迷惑な話。
それが大嫌いなAiちゃん姉妹。
店の近くで逃がすとまた捕まえられてしまうので、5分くらい歩いたところで逃がして、悪態つきながらカゴは放り投げていた。
その後はゆっくり家に帰って、おじさんたちの正月恒例ボードゲームに混ざったり(言葉通じずルール不明)、
料理したりしてゴロゴロ。
本当は次の日にラオスに飛んで旅は続く予定でしたが、
自分の体が限界を感じて帰りたがっているのが聞こえてきていたので、急遽行き先を変更。日本へ帰ることに。
空港まで見送りに来てもらって、また来ると約束してゲートに入った。
***
フィジー生活から直接バックパックに来てるから、かなり久しぶりの日本。
転職先で、これまた久しぶりの東京生活が始まった。
その後仕事でほとんどの国を再訪することになり、このバックパッキングで繋がった人たちにもプロジェクトにたくさん協力してもらうことができたのは嬉しい思い出。
旅は人生を豊かにしてくれる要素に溢れてると、本当に思う。
***
↓フィジーと南米での13の海外移住の話につづく。