【海外移住の話⑪】 ペルー 《大統領選から日本人との共通点まで、2011年当時の感性で》
9年前の今日は、マチュピチュへの玄関口として有名なペルーのクスコに住んでいました。
当時、日本では東日本大震災の直後、ペルーでは大統領選挙真っ只中で、今とはまた違った世界の大きな変化が進んでいたとき。
以下に、滞在中に肌で感じていた気づきを当時の感性で文字にしていました。
5記事を、ちょっと恥ずかしいですが、まとめてここに書いておきます。
①大統領選挙事情のリアル(2011/5/24)
いまペルー人にふったら延々と話が続けられるであろうテーマ、ペルーの大統領選挙。
首都のLimaを車で走りまわっていたとき、あるペルー人の友達が横からつついてきて、何かと思えば外を見ろと促してきた。
見ると、ビルの壁にやたらと大きな男性の名前が。
彼は、Ollanta Humalaという当時の大統領選の有力候補者の一人。
そこで疑問が湧いてきた。
クスコの街中では、至る所にこれでもか!というくらいKeiko Fujimori氏の名前ばかりが有力候補としてでかでかと貼り出されている。
なのにそのエリアにだけはKeiko氏じゃあなくてOllanta氏の名前ばかりが貼り出されてるんやろう?
生活するうちに、その理由も自然とわかってきました。
Keiko氏は、Alberto Fujimori元大統領の娘さんで、
Keiko氏の父親Alberto氏は10年以上もの間大統領の職についたため(在職中に無実の人がテロリストとして殺害された問題から投獄され、その手腕の賛否は分かれる)、独裁者であったという意見も多数聞かれます。
その娘のKeiko氏だから、現行の大まかな政治方針が大きく変わることはないと言われていました。
そのため、国民の多数を占める貧困層の人々は現状からの変化を求め、もう片方の候補者Ollanta氏が支持される。
一方、富裕層の人々は富ある現状に満足しているため変化を求めず、Alberto元大統領の政治を支持していたか、
あるいはベネズエラやボリビアなどの国々に影響を受けているとされているOllanta氏の共産主義寄りな性格を嫌い、Keiko派が多い。
そしてその間にいる中流階級の人々はというと、決めあぐねている人も多く、高い白紙投票率が見込まれたりもしている。
僕たちがOllanta氏のポスターを見たのは、首都リマの中でも、貧困層の人々が住む地区であったため、Ollanta氏推しというわけでした。
ここに書いたのはあくまで僕の周りの人たちの意見と一部報道によるものであり、もちろんこれだけで各候補者の是非を判断することはできません。
ただ、ローカルな人たちにこういう話を聞くのはリアリティーがあっておもしろいなぁと思います。
大統領選が終了するのは6月5日。ペルーの命運を左右する瞬間に注目です。
②クスコのビール事情(2011/5/27)
日本と同じく、クスコの人達にとってもビールはペルー原産のピスコと並んで大人気で、「クスケ―ニャ」というビールもあるぐらい。
ただクスコでビールを注文すると、妙な質問が飛んできます。
「常温のものでよろしいですか?それとも冷えたものにしますか?」
日本には常温でビールを飲む習慣はないし、あの冷たい喉越しを楽しむ日本人にとってぬるいビールは普通においしくない。
そういえば町で売ってる飲み物は水でもジュースでも、スーパーで売ってるものを除いてほとんどが常温で売られています。
それはその店の冷蔵庫に要する電力事情もあるのかも。でも、冷たいのを頼めるのにわざわざ常温のビールを飲みたがる人がいるんやろか。
と思って知人のおばちゃんに聞いてみた。答えは、
「寒いのになんで冷たいもの飲まなきゃいけないのよ」
...ごもっとも。
誰に聞いても、ビールは冷たないとあかんと思ってる人はほとんどいない。そもそも店員さんの質問も「常温のもの」が先です。
それからもうひとつ、クスケ―ニャのビールのグラスを見ると、バナナジュースかとつっこみたくなるほど真っ白。クスケ―ニャはビールを注ぐ時、あえてグラスを傾けません。泡が多いほどおいしいとされ、半分どころか8割方はみんな泡です。
泡に関しては地域差があってもしかするとクスコだけなのかもしれませんが、今日もクスケ―ニャ(クスコの人)たちは、ぬるいビール片手に陽気に見えます。
③溢れる犬と警察官(2011/5/30)
世界中から多くの観光客が訪れ、インカ文明の首都として活気あふれるクスコ。
しかし、やはり第三世界やなぁと思わせる瞬間も多くあります。
恐ろしく年季の入った車やバスがすさまじい排ガスを吐き出しながら往来し、物乞いをする人も多く、断水が頻発します。
それらに加えて、日々の生活の中でふと気がついたこと。
それは、クスコの街を歩いていると、ちょっとびっくりするくらいノラ犬がいることです。
ここにも。
あそこにも。
こんなにも。
ほとんどが捨て犬らしい。
なぜこんなにも数が増えるのかとペルー人に尋ねると、
ペルーでは動物愛護法のように、捨て犬(他のペットも)を規制するものは存在しないそう。
動物愛護団体のような捨て犬を保護する組織も公・私問わずほとんど見られません。
貧困層の人々の補助、対策も機能していないところが多いと叫ばれるペルーで、動物にまで手が回らない感じなんやろか...。
クスコの悲しい一面です。
一方、クスコには警察官もあふれています。
広場にも。
道にも。
サッカー場にまで。
警察官が多いということはそれだけ治安もいいということであり、いいことなんでしょう。
しかし、それにしても異常なまでに多くの警察官を見かけるのはなんでなんやろう。
聞くところによると、それはペルーにおける職業としての警察の特殊さにも理由がありました。
ペルーでは警察官になるためには警察学校に約1年間通う必要がありますが、その過程は比較的簡単だそう。
就職後に法律等の勉強をする必要がありますが、それでも警察官になるのは他の国に比べあまり難しくはないようです。
普通は大学卒業後就活をするのに対し、警察所という就職先も保証される。
また、クスコに警察官が多いのは、近年ペルー政府が観光業に力を入れているからでもあります。
観光の最重要地域であるクスコの治安改善に政府は尽力しており、実際に犯罪件数は減少傾向にあります。
また、雇用機会を増やす狙いがあるのかもしれません。
しかし、治安を守る警察官に比較的簡単になれてしまうというのはいかがなものかと考えてしまう。
貧富の差が極めて激しいペルー、こんなところにもその現状が現れているように思います。
だからこそペルーの人々は今回の大統領選挙に特に重きを置き、現状からの変化、脱却を求めているんでしょうね。
6月にはペルー最大のお祭 「インティ・ライミ」 があるうえ、今年は大統領選挙まで。気温は徐々に下がってきましたが、6月に向けてクスコの町はあれこれ準備に大忙しです。
④新たな指導者(2011/6/6)
一昨日の夜は、静かでした。
多くのディスコやバーを擁し、毎晩朝まで人通りが途切れないクスコの中心地"Plaza de Armas"も昨日ばかりは静かでした。
大統領選挙の前日はペルー全域でアルコールの販売が全面的に禁止され、ディスコやバーもほとんど全てが閉められるためです。
まだ早い時間にも飲食店には警察の巡回が時たま入り、飲酒が無いか確認しに来ます。
それでも非公式に、こっそりと空いているバーはあるもので、多くの外国人観光客や飲み足りない地元民が集まります。
それにしても、ここまでするペルーの選挙に対する姿勢には少し驚かされました。
ダンスの先生も選挙の行方をテレビの前で見守るべく、レッスンの予約を断ります。
「首相選挙」が存在しない日本とは一概に比較できないかもしれませんが、政治への関心度にはやっぱり違いを感じます。
そして昨日、選挙当日。
選挙は日本と同様学校などの公共施設で行われ、時間は朝から夕方の4時くらいまで。
ペルーでは選挙は義務であり、投票に赴かない人には大体30solの罰金が課せられるのでほぼ全員が投票に行きます。
そのため会場付近はすごい混みよう。
警備にあたる警察も、ボランティアで集計にあたる人たちも大変そう。
みんな思い思いに投票所へと向かいます。街中をOllanta氏派の車が暴走族ばりに走ったりもしていました。
そして昨夜、ペルーの新たな指導者が誕生しました。
Keiko Fujimori氏優勢という当初の世論調査を覆し、熾烈な大統領選を勝ち抜いたのは Ollanta Umala氏でした。
その差なんと、
1.42%。
かつて10年以上続いたFujimori政権の再来にはならず、大きな変化の時代になるであろうペルーの今後。
超左翼で近隣の共産主義国とのつながりを持つHumala氏の政権のもと、それがペルーにとって良い変化になるのか、あるいは新たな混乱を招くのか。
貧富の壁を超え、これからの動向にペルー中の関心が集まります。
僅差なだけに大勢いるFujimoristas(Fujimori氏支持派)のデモや抗議活動なんかが予想されそうなので、今日は皆できるだけ家にひきこもるみたいです。
が、軍隊関係者からの支持も強いHumala氏が負けた場合にはより過激なデモが予想された上、クスコを含むペルー南部は比較的Humala氏派が多い。
そんなに大したことないだろうと踏んでいるので、いつもどおり出かけてくることにします。
今日はまた一段と日差しが強い。クスケ―ニャは今日も日差しなんて気にせず、人生をマイペースに歩んでいるように見えます。
⑤インカと日本の共通点(2011/6/27)
じゃんけんは韓国では"カイバイボ"
エジプトでは"キロバミヤ"
オーストラリアでは"Rock, Scissors, Paper, 1, 2, 3"
フィリピンでは日本と同じように"じゃんけんぽい"
(※地域差あるかも)
フィリピンで初めて聞いたときはびっくりでしましたが、日本の近隣諸国だから影響も強いのかなと納得。
でも、地球の裏側ペルーでも
「じゃんけんぽん」といいます。
いろいろとそのルーツを聞いてまわってみたものの、はっきりとはわからず。
でも察するに、戦後ペルーにやってきた多くの日系移民一世たちが現在の二世、三世たちにじゃんけんを伝えたのがきっかけなのかも。
クスコではあんまり見かけないけれど、たとえばリマに行けば日系人が沢山いる。
多分そうやないかな。
ところで、ケチュア語は日本語に似てるとよく耳にします。
ケチュア語はかつてスペインのコンキスタドール(征服者)がペルーを侵略するまで使われていた、インカ帝国の言葉。ペルー人たちの本来の言語。
インカ帝国は現在のペルーの国土を飛び越え、北はコロンビア南はチリやアルゼンチンにまで及んだ大帝国。
全員と言うわけではないですが、特に年配の人々は大概スペイン語とケチュア語のバイリンガル。
現在では南米で1000万人以上の話者がいるそう。
なのでときたまケチュア語を耳にすることもあるけれど、言われてみると確かに発音が似てる。
発音以外でも、日本語のように動詞が後ろに来たり、
日本語を学ぶ人にとっての難関であり、英語やスペイン語をはじめほとんどの言語に存在しない 助詞 や 助動詞 のようなものがあったり、
文法的にも発音的にも、共通点がたくさん。
それに、インディヘナ(先住民の人たち)の顔を見ると、どこかアジア系の顔にも似ている。
特に子どもたちには一瞬 アジア人か と思ってしまうような子もちらほら。
(http://www.sekai-isshu.com/photo/nanbei/peru3.htm)
日本とケチュア、文化も全然違えば地理的にも地球の反対側。普通に考えればインカ帝国時代に繋がりがあったとは考えにくい。
実際にルーツの交わりを示す証拠も無いので、ただの偶然かもしれません。
けれど、まだ発見されていない何かがインカ帝国やインカの前の文明キルケやチャビンの時代にあったかもしれないし、
あるいはそのもっと前の段階で何らかの接点があったのかもしれない。
そう考えると、なんだかクスケ―ニャたちとその文化が違って見えてきそうな気がします。
インティ・ライミの後、あの大騒ぎがウソのように日常に戻っているクスコ。
お祭り騒ぎの疲れか、みんな心なしか眠たそう。
普段の平和なクスコに戻りました。
***
↓4日間かけた神秘のトレッキングでマチュピチュを目指した話に続く。