【旅の話⑥】 東ティモール 《立ち替わり占領され続けて独立した国の、入り混ざったエネルギー》
バリの後はマレーシアに行こうとイメージしていましたが、その前に寄りたいところができました。
東ティモールにはバリ/シンガポール/ダーウィンからしか行けないとわかり、バリの滞在を短くしてでも現地の空気を感じたくて急遽行き先を変更。
興味の無いことはすぐ忘れてしまう僕が、2002年の東ティモールの独立をテレビで見たのを、なぜかよく覚えてる。
中学生の僕に、父親が「新しい国ができたんやぞ」って力説してた。
警戒からの始まり
外務省の危険度情報や、バリを出国するときのイミグレでちょっとモメたことから、かなり警戒しての始まりだった。
到着後はアライバルビザから空港タクシーから、とりあえず警戒の目で全てを見ながら、まずはシンガポール人オーナーの宿を確保して、一息。
体調が優れなかったので、旅の疲れを癒しつつ、ゆっくり外を歩いてみる。
事前になんとなしに調べてはいたけど、やっぱり英語はほとんど通じない。。
ただ、救いは現地語以外に、ポルトガルの占領下だった歴史からポルトガル語を少し話せる人が多いこと。
スペイン語と、カタコトなポルトガル語をごちゃまぜにして、人によっては言語でコミュニケーションがとれた(スペイン語とポルトガル語はとても似ています)。
何も通じなくて身振り手振りしかなかったジャカルタよりも、東ティモールの方がよっぽど自由が利いたのは意外で、嬉しい誤算(!)
商店の店員、家先で手作りジュースを売るおばちゃん、子どもたち一団、声をかけたら言葉がイマイチ通じなくても、大体めんどくさがらずにおしゃべりしてくれる。
紳士と出会い、中心街へ
空気は乾燥してて埃っぽく、日差しもまあまあ強い。体力的にしんどくなってきたなーと思っていたら、幹線道路沿いで立ってる白人の紳士を発見。
話しかけてみると、ポルトガル人ビジネスマン。
ディリ(首都)でレストランを開こうとしているらしい。なんでまた東ティモールで?と聞いたら、親戚がこっちにいて、新興国でビジネスをするのが楽しいとのこと。
中心街に行くのに迎えの車を待っているとのことで、ご一緒させてもらった。
ディリの中心街に着くと雨がパラパラ。山がちなので、平地でも天気は変わりやすいのかも。
広場では雨の中、子どもたちが裸で走り回ったり、若者カップルがPCデートしてたり、雰囲気すごい平和。
何となく惹かれて小道に入ると、外からは見えない裏庭があって、何世帯かが一緒に暮らしているところにお邪魔させてもらった。
みんな家族かな(英語もポルトガル語も通じなくてわからず)。
初日の夜に、協力隊や国連ボランティアで在住中の日本人の皆さんとも会えた(ジャカルタでカオリに繋げてもらった)。
一晩話をして、東ティモールが徐々に未知では無くなってくる。
知らなかった歴史
歩いていて見つけた、立派な歴史博物館にも入った。
3ヶ国語で書いてある説明を読みふけって、2002年の独立まで4世紀に及ぶ植民地の歴史があったのが学びになりまくった(日本も!)。
知らなかった…。
1511年にポルトガル人がやってきて植民地に
→1942年に日本軍が占領。対オーストラリアの最前線に
→1945年、終戦と同時にまたポルトガル領に
→1974年にポルトガルが撤退、初の独立宣言
→独立宣言から1ヶ月後、インドネシアに占領される(悲しすぎやろ…)
→1999年に国連による暫定統治が開始(日本も後にPKOで自衛隊派遣)
→2002年、再び独立宣言
→2005年に国連東ティモール事務所が設立
→2007年に東南アジア友好協力条約に締結
→2011年にASEAN加盟を申請、未だ交渉中
途中で館長がやってきて、日本人だと伝えるとにっこりして追加説明をしながら長いこと一緒にまわってくれた。
この館長、この1、2時間会っただけやのに未だに連絡をくれる。マメか!
いつかどこかで再会できるといいなと思う。
生活の様子のリアル
ローカル市場やバス停で人々と話していると、みんなむちゃくちゃ親切で人懐っこい。
インドネシアの人々と同じような温かさがあった。
豚さんが縛られて売られてる民家の軒先では、何となく景色が埃っぽくて、生活する人達の生き生きとした、何というか、「生」のエネルギーを感じた。
突然ひらけた場所に出て、何やらスッキリした雰囲気に。
よく見てみると、大学!
大学周辺では学生のみんながむちゃくちゃオシャレで、それまで割と溶け込んでいたひげ面メガネタイパンツのズタボロスタイルが急に浮いて戸惑う。
みんな話しかけたらめっちゃ元気。
高校も↓
21世紀に世界で初めて独立した国、東ティモール。
いろんな世界が入り混ざっていて、入国時と出国時の国に対するイメージがめちゃくちゃ変わった場所でした。
(ちなみに、入国時に警戒して乗らなかった空港タクシーが提示してきた値段は、あとで確認したら高くなかった)
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↓50以上の民族が共生していると言われるマレーシアのマイナーな街、クチンの話につづく。