【海外移住の話⑩】 ペルー 《南米移住生活のリアル: 滞在先事情と2つの事件》
3ヶ月過ごした、旧インカ帝国の首都クスコ。
南米というとパーティーピープルなイメージで人々や街のテンションについていけるか不安でしたが、住んでみるとペルーの人々は意外にちょっとシャイ。
知り合いゼロ&唯一の日本人で始まった滞在だったのが、そのちょうどいいシャイさと小さな街の規模感も手伝って、たくさんの人たちと深い関係が築けて、大好きな街になりました。
当時を振り返って、生活のリアルをお届けします。
やっぱり遠かったクスコ
初めての南米、地球の裏側なので当然それまでの最長移動距離やと心して行ったものの、やっぱり遠かった。
関空→トロントを経由して南へ→ペルーの首都リマ→国内線でクスコ
というルートで出発したものの、トロントまでの飛行機がいきなり2時間遅延。トロントで次の飛行機をギリギリ逃してしまった。
急いでエア・カナダのカウンターに行って便の振り替えを相談するも、担当の黒人お兄さんが内輪で盛り上がっていて、「遅延?ああしょうがないね」とまあ話を聞いてくれない。
40分かけて交渉の末、次の日の便とホテルを無料で手配してもらえたのはいいが、南米仕様の軽装だったので寒い。。(雪が積もってた)
次の日は無事にリマまで飛べて、空港を出ると、連絡していた「泊めてくれる人」が迎えに来てくれていた。
彼はもともと知り合いではなく、内閣府の国際交流事業「世界青年の船」のOBのメーリングリストで「誰かペルーで泊めてくれないか」と投げたところ、初対面なのに快くOKしてくれたAdrian。
世界船の参加者というだけで「こいつは大丈夫だ」と思ってもらえる、ありがたい繋がりに感謝...。
他にも世界船関係者の家2軒でお世話になって、最終目的地のクスコへ一人飛んだ。
南米では街の規模が大きくなればなるほど一般的に治安は悪く、リマはかなり悪いと言われます。現地の信頼できる人無しで旅をする際は十分気をつけて。
クスコで選んだスペイン語学校
到着後は、目星をつけていた語学学校、Maximo Nivelへ。今回の目的は、スペイン語の習得だった。
タクシーに乗り込んで学校の名前を言うと通じたけど、やっぱり英語はほとんど通じない。カタコトのスペイン語はできるようになってから行ったものの、わかるのは3割くらい。Si(Yes)を連発してるうちに、15分くらいで目的地に到着。
アメリカ人でペルーにワーホリに来てるというJuliaが受付で対応してくれて、じっくり話を聞いて、とりあえずここで授業を受けることを決めた。
その後ももっといい学校があれば転校しようと、町歩きをして語学学校を見つけては体験入学(5校くらい)。
値段と内容を天秤にかけたけど、結局Maximo Nivelが一番良かったのでずっとお世話になった。
滞在先:シェアハウスからホームステイへ
Maximo Nivelが運営するシェアハウスを手配してもらい、世界中からスペイン語を学びに来るメンバーとのシェア生活が始まった。
クスコの中心は、Plaza de Armasという大きな広場。ここを起点に、放射状に町が広がってる。
ここから急な坂道を上がって徒歩15分くらい。治安がいいクスコの中ではやや悪めなArcopataという場所にシェアハウスはあった。
(↑シェアハウス入り口前)
最初は警戒しまくってたけど、深夜に帰ってくるなどせず(たまにあった)、気をつけてれば基本大丈夫です。
中はこんな感じ。
常時6、7人が立ち代わり住んでいて、当時はオセアニア、中東、北アメリカ、ヨーロッパの老若男女がステイしてた。
彼らとの共同生活は、めちゃくちゃ楽しい。
同じ学校にも通っているため、毎日のように一緒に通学したり飲みに行ったり。メンバーが去る度に小さな送別会も開いた。
一緒にマチュピチュまで4日間歩きもしたし、
トラブル続きで2回絶望したコンドル・キャニオンへの旅もした。
けど住んで1ヶ月半、ひとつ大きな不都合があってシェアハウスを出ることにした。
当然スペイン語取得のモチベーションは人それぞれで、バカンスのついで、という感覚のメンバーが多い。なので、ガチガチに勉強したいと思ってたのは僕ともう一人のアメリカ人だけ。
授業以外の会話はむしろ英語づけになってしまったのがこたえて、学校に頼んでホームステイに滞在方法を変更させてもらった。
(今はさらに規模が大きくなってるMaximo Nivel、金額も当時よりは上がってるようですが、いろんなオプションがあり便利です)
そして移動したホームステイ先は、英語が全く話せないPalomino一家に。
毎日スペイン語漬けになって家ご飯をいただいて、やっぱり異国の地では家庭に住まわせてもらうのが最強。
というわけで、スペイン語の勉強を本気で頑張りたい方は、ホームステイがオススメです。
道で出会った、もうひとつの家族
クスコの生活にも慣れて来た頃、クスコで1年に一度ある最大のお祭り、インティ・ライミ(太陽の祭り。インティ神を祀る)があった。
世界中から人がクスコに詰めかけるこの日、人口は普段の4倍くらいになったんじゃなかろうか。
その賑わいの中Plaza de Armasのパレードを見ていると、たまたま隣に立っていた家族と「あの衣装すごない?」「いやーやばいやろ」と話し始めて、意気投合。ほぼ毎日会う仲になった。
名前はBello(ベジョ)ファミリー。
その中にいた、韓国人のチョン。彼はクスコを旅している間に、この家族の長女Melody(上の写真左)に一目惚れして、アタックして早2年。付き合ってるわけではないが、そのうちに家族に受け入れてもらったらしい。
このときはアタックしてる最中やったけど、現在は無事結婚してこの一家に欠かせない人に。幸せそうに暮らしてる。根気に脱帽。
こんな風に立ち話から居場所が増えていくのが、東京でももっと起こればいいなあと思います。
事件① 頭から流血。吹き抜けバーでは頭上に注意
頭部から血が出ると、なかなか止まらないのを初めて知った。
ホームステイに移って数日したある夜、シェアハウスの友人たちと一緒にPlaza de Armasから徒歩3分のバー "INDIGO" に飲みに行った。
夜中まで飲んでても一応大丈夫なぐらい当時のクスコの治安がいいのはびっくり(海外での行動が慣れてて周りに気をつける前提で)。
いつものようにフロアで立ち飲みしていると、突然頭に衝撃が走っった。よろけて膝をつく。というか、何が起こったかわからなかった。
あまりの衝撃に目が霞んだけれど、数秒後に目に入ったのは、床に転がった1リットルのビール瓶。
次第に、痛みも感じるようになってきた。
あぁ、この瓶が上から落ちてきて頭に当たったんや、と徐々に理解した。フロアは暗く爆音で、周りの人は気づいていない。
不思議と痛みはあまりなく、意識もはっきりしてきた。大丈夫そう。
しばらく休もうと部屋の隅に歩いていくと、一緒に来ていた友人が僕をみて目を丸くした。(むしろその顔にびっくりした)
「Ken、肩に血が垂れてるで!!!」
えっ、と肩を見ると、その通り。気づかなかった。
人は気づくと痛くなってくるもんで、一気に不安になってフラフラになってしまった。
友人たちが肩を貸して、ホームステイ先まで連れ帰ってくれた。
あまりに血が出たので心配したけど、幸い傷は浅く、大丈夫だった。
頭部の怪我は浅くても血がめっちゃ出る、漫画の知識を身を以て知った...。
結局、誰が瓶を落としたとか、どんな状況だったとかはもちろん不明。落とした方も気づいてないかも。
INDIGO...に限らず、特に海外のバーやクラブで、構造が吹き抜けの場合は、頭上に十分気をつけてください。
(緊急事態だったので写真なし)
事件② 何か入れられた?意識失いかけた夜
これは帰国間近のタイミングやったと思う。
ホストファミリーのように親しくなった上述のBello一家と一緒に、別のバーで飲んでいた時のこと。
僕が頼んだのは、当時よく飲んでた「キューバリブレ」というコーラにラムを混ぜたお酒で、テキーラのショットみたいに強くない日本にもよくあるカクテル。
グラス4分の1くらい飲んだだけで、頭がクラクラしてきて話が入ってこなくなった。あれ?と思い「トイレ行ってくる」と席を立ったが、トイレに入る前に歩けなくなって、気がついたら仰向けになってた。
びっくりしたBello一家が駆け寄ってきた。しばしゆっくりした後、肩を貸してもらって店を出た。
ホームステイに送ってもらう車の中で、こんなになるのはおかしい、睡眠薬でも入れられたかもな、と。そう思う。
彼らがしっかり送り届けてくれて、本当の家族のように安心できるホームステイに到着。
結局盗られたものもなく、次の日には体調も問題なく回復した。
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メキシコでテキーラ6ショットしたときもこんなにはならなかったので、やっぱり何か入れられたんじゃないかと思います。
損害が無かったのも、Belloファミリーと行動を共にしていたから。
南米で、信頼できる現地人と一緒じゃない時は特に、出される飲み物には気をつけましょう(ある程度気をつけようが無いので、慣れないうちはとにかく頼れる人無しで夜の外出は避けるのがいいです)。
(こちらも緊急事態で写真なし)
住みやすい街だったクスコ
クスコはマチュピチュの拠点であり、ペルーの一大観光地。
そのため観光に力を入れる政府の方針もあり街中に警察が多く、気合いを入れれば端から端まで歩くこともできて、規模感も大きく無いのが住みやすかったです。
街のいたるところにインカ帝国時代(もしくはそれ以前)の遺跡が残されていて、丸ごと世界遺産の街並みを持つ美しいところ(街中に突然現れる12角の石が有名)。
夜のPlaza de Armasから斜め上を見上げると、宙に浮かぶように白く光るキリストが見えます(ちょっと不気味)。
観光客の店だらけで外食すれば出費がかさみますが、市場(歩き回るのが本当に楽しい)も大きくて自炊すれば全然です。
街を歩き回るだけで、エンターテイメントだらけ。
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ペルーではビザ無しで3ヶ月しか居られなかったため、この後はエクアドルに移動。
エクアドルでも3ヶ月勉強し、帰国前に受けたDELEという資格でB2(TOEIC730程度)が取れました。
人生で一番勉強した半年で、このときの勉強法はこちら:
後に北方の田舎町ワラスを訪れたら、観光地のクスコよりも更に人々は親切で、物価も安くてより住みやすそうでした。
現在、唯一ワラスに住んでいる日本人夫婦が営む宿がむちゃくちゃオススメです。
そっちの話はまた別の記事にて。
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↓2011年当時、3ヶ月間クスコで暮らした際の日々の気づきをまとめたお話に続く。