憂鬱、絶望、悲哀、慟哭…人は誰もが「うつ」を抱えて生きている!
青森で生を受けた太宰治の本名は、津島修治。津島家は大地主であり、父も名士として知られていました。太宰は学校の成績も優秀で、弘前中学に進学。当時は旧制中学への進学率が5%程度と言われていた時代です。家柄に恵まれたこともありますが、太宰少年はかなり頭がよかったのです。
さらに、旧制弘前高校に進学。ここで文学に出会います。後年に師事する井伏鱒二や、逆に猛批判することになる志賀直哉を愛読。中でも、太宰少年の心をとらえた作家は芥川龍之介でした。在学中に芥川が死去したことで、太宰は絶望への第一歩を踏み出します。
薬物中毒、自殺未遂、愛人関係…太宰治の絶望史
同人誌を発刊するなど文士としての道を歩み始める一方、在学中には1回目の自殺未遂を起こしています。どうにか卒業し、1930年、東京帝国大学文学部仏文科に入学。上京後、講義についていけなくなると「左翼活動に傾倒して投獄される」「津島家を分家除籍される」「カフェの女給・田部シメ子と心中事件を起こす(シメ子のみ死亡)」など“絶望キャラ”と化すのです。
1933年ごろから執筆活動を本格化させ、1935年には第1回芥川賞候補になります。この頃、「新聞社の入社試験に落ちて自殺未遂」「腹膜炎の手術からパビナール中毒に(鎮痛剤のパビナールの依存症)」「芥川賞に落選して選考委員の川端康成に激怒」「妻が不倫したことから夫婦で心中未遂 (後に離縁)」など、現在、よく知られる太宰像がほぼ完成するのです。
1938年の結婚を機に文士としての活動が動道に乗り始め、数々の名作を生みます。終戦後、太田静子との再会(戦前から深い関係にあった)や山崎富栄との出会いを経て、既婚の身でありながらそれぞれと恋に落ちます。1948年、富栄と玉川上水に入水(じゅすい)。38歳没。自己破滅的な一生を送った太宰だけに、名言の数々は他を圧倒しています。
太宰の真骨頂、運命を呪いたくなる名言
太宰の人生を振り返れば、堕罪の絶望や憂鬱に満ちた名言も理解できます。SNSなどで「太宰暗すぎてウケる」などとつぶやかれていますが、ここまで振り切ると、読み手にはむしろ生きる活力になるでしょう。本書に掲載されている100を超える太宰の「ネガティブ名言」の中からいくつかをご紹介します。
・生きてゆくから、叱らないで下さい(「狂言の森」)
・ちかごろの僕の生活には、悲劇さえ無い(「正義と微笑」)
・水は器にしたがうものだ(「ダス・ゲマイネ」)
・自分が誰だかわからなかった。何が何やら、まるでわからなくなってしまっていたのである(「誰」)
・姉さん。僕には、希望の地盤が無いんです。さようなら(「斜陽」)
太宰以外にも、著名な文豪の内面が描かれています。
【石川啄木】
娼婦、借金、無断欠勤も赤裸々なクズの証明日記。エロ本写しに没頭して会社をサボり、給料が入るなり連日、吉原に繰り出す。さらに、月給を前借りして浅草に繰り出す。
【夏目漱石】
神経症にも悩まされ、さらに胃痛から胃潰瘍となってしまう。以後、痔(じ)、糖尿病、ノイローゼ、リウマチと、漱石は複数の病気につきまとわれることとなる。病苦から漱石を解放したのは、1916年、胃潰瘍による自身の死であった。
【谷崎潤一郎】
女性崇拝を通り越したマゾと脚フェチ。2人目の妻となる女性には「あなたに支配されたい」、3人目の妻となる女性にも「ご主人さまとして仕えたい」「気の済むまでいじめてほしい」「生命身体家族兄弟収入等全てささげます」などと書き送っている。
文豪も普通の人間である
人生を生きていくにあたって、あるいは残念な人生を楽しむ際に、文豪たちのこうした言葉がそっと寄り添い、慈しんでくれるだろうと編者は残しています。名だたる文豪たちも私たちと同じ人間であり、悩み苦しみながら、人生を生きてきたことが理解できます。文豪があなたの心に寄り添い、慰めてくれるかもしれません。
本書では、太宰治以上に猟奇的な心中を遂げた有島武郎や、めいとの近親相姦(そうかん)を描いた自伝小説「新生」の島崎藤村ら、あまり類書には出てこない文豪も取り上げられています。憂鬱、絶望、厭世(えんせい)、狂気に満ちた本書を読めば、文豪がますます好きになることは間違いありません。一味違った名言本の良さを体感してみたいとは思いませんか。
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外部リンク ※アクセスが良かったので紹介します。
Yahoo!ニュース(2020.7.11)
オトナンサー(2020.7.11)より転載。一部記事用に加工。
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