見出し画像

ピス田助手と鋼鉄の花嫁 35

35. 傍観者たち


わたしにとって、シュガーヒル・ギャングの頭目を目のあたりにするのはこれが初めてのことだった。シュガーヒルという限定された一画をその名に冠しているとは言え、極楽鳥エリア全体ににらみのきく荒くれ集団の頂点だ。それなりに年を召して幾分ふっくらとはしているものの、藍色をした大きめのキャスケットを小さな頭にふわりとのせ、同じ色のタートルニットに身を包んでその美しさには翳りもない。やわらかく波打つ漆黒の髪はうしろに束ねられている。唇よりも雄弁な眼光炯々たるそのまなざしに、わたしは身のちぢむ思いがした。佇まいはどちらかといえばまろやかで落ち着いた雰囲気を醸しているが、それはまた太く根をはって微動だにしない、強靭な胆力の裏返しでもあるのだろう。コンキスタドーレス夫人とシルヴィア女史、品格と美しさだけを抜き出せばどちらも圧巻で、このふたりが懇意というのもどこかうなずけるところがあった。

「ずいぶんと賑やかなことだね、ゴンザレス。え?」とシュガーヒル・ギャングの頭目はこの奇妙な状況を楽しむような表情をみせた。「いつから団体行動ができるようになったんだい」
スピーディ・ゴンザレスは隣に並んだもうひとつのテーブルに寄りかかりながら、肩をすくめた。「いいとばっちりですよ、こっちは」
「次郎吉は?」
「仰せのとおり、置いてきましたよ。その代償がこいつらってわけです」
「ふふふ。連れてきたって同じだわね、こんなことなら」
「意地のわるいことを言わんでくださいよ。ジャングイデはどこです」
「奥でアンジェリカを待ってるよ。しかしひどい顔だね」
「言ったでしょう。とばっちりですよ、これが」

どうやらアンジェリカはまだ来ていなかったらしい。わたしはまだ混乱していた。なぜコンキスタドーレス夫人はアンジェリカの窮地を知ってなおこれほどくつろいでいられるのか?また、シュガーヒルの支配者がこんなにも小さなスワロフスキを出しに使って、いよいよよこしまな目的を果たそうとしているというのに、それでもなお茶飲み友だちと言い切って憚らないのは、いったいどういう了見なのだろう?

右手に威厳あれば左手に貫禄ある、婦人方の重圧に飲み込まれそうになりながらも意を決して問いただそうとすると、その気配を察してかスピーディ・ゴンザレスがわたしを遮った。「おい言ったろ。姐御は部外者とは言えないだろうが、といって当事者でもない。この件に関しちゃ単なるオブザーバーなんだ。責任があるとすりゃ、ジャングイデの奴さ」
「ジャングイデ?」
「この店の番頭みたいなもんだ」
「息子の話じゃなかったのか?」
「だからまァ、名代だな。アンジェリカにとっての次郎吉と同じさ」
「オブザーバーだろうが何だろうが、知ってて止めないなら同じことじゃないか」
コンキスタドーレス夫人がこのやりとりを聞いておかしそうにしとやかな笑みを浮かべた。「おかんむりね、ピス田さん」
「あなただってそうだ」わたしはだんだんいらいらしてきた。「どっちの味方なんです、いったい?」
「味方?誰と誰のことをおっしゃるの」
「アンジェリカとシュガーヒル・ギャングですよ、もちろん」
「なるほどね。そういうことなら、どっちでもないわ」
「どっちでもない?」とわたしはおうむ返しに言った。「だってスワロフスキは……」
「もちろんスワロフスキちゃんの味方ですよ、わたしは。だからこうしていっしょにお茶してるの」
「アンジェリカは?」
「アンジェリカがどうだと言うんです」
「どうって」とわたしはいささか狼狽えた。「その、もしアンジェリカがこの……この話を断ったら」
「アンジェリカがスワロフスキちゃんの不利益になるような答えを出すということ?」
「いえ、それは」
「ないとおもうわ、金輪際」
「そうです。しかし……」
「だからこれは、アンジェリカの問題なの。屋敷でもそんなことをお話ししたような気がするけれど。アンジェリカがどんな答えを出そうと、スワロフスキちゃんのしあわせが大前提なのであれば、心配することなんて何ひとつありません。それにシルヴィアとお茶が飲めて、ついでにあのコから大鎌を取り上げることができるのだとすれば、わたしにとっても具合がいいわ」
「アンジェリカは心配じゃないんですか」
「心配?」とコンキスタドーレス夫人は眉間にしわを寄せた。「いいえ。子供じゃないんですから。たのしみだわ、むしろ」
「たのしみ?」とわたしはまたおうむ返しに言った。「たのしみですって?」
「あたしがおもしろいとおもってるのはね」とここでシルヴィア女史が愉快そうに口をはさんだ。「あんたに言ってるんだよ、お兄さん。どのみちアンジェリカは年貢をおさめることになる、ってとこなんだ。ウチの嫁に来ようが、来なかろうがね。要は何をどう年貢としておさめるのか、それを見てやろうってことなのさ」

巣から転げ落ちた雛鳥のように、わたしはすっかりわからなくなってしまった。こちらの了見が狭すぎるのか、それとも向こうの度量が広すぎるのか、話の理を求めているだけなのに、どういうわけか途方に暮れる。割り切れないことこの上もない。わたしはじぶんがオブザーバーどころか単なる野次馬にすぎず、またそれ以上にはどうしたってなりようがないということをつくづく思い知らされた。

「ひょっとしてダシにされてるのは」わたしは再びくらくらと目眩をおぼえながら言った。「スワロフスキじゃなくてアンジェリカだったのか?」
「そうかもなァ」とスピーディ・ゴンザレスは安穏とした調子でうなずいた。「ダシの出ない女相手なら初めっからこんな話にゃなってないさ」

押しつぶされるような虚脱感に放心していると、往来からやわらかな風に乗って声がきこえてきた。そしてふと、わたしはブッチが庭にいないことに気がついた。それからまた、彼が今もってパンツ一丁のままであること、さらにその格好ではさすがにコンキスタドーレス夫人とシュガーヒル・ギャングの頭目という、恐るべきふたりの婦人の御前にまかり出てその肌をさらすことなど、当然できようはずもなかったことに思い至った。ブッチは賢いハンス号の影にかくれて、遠目からこちらの様子をうかがっていたのだ。

通行人にでも見咎められたのだろうとおもい、またひとつにはぐるぐると脳裏に渦巻く混乱をすこし脇に置きたかったこともあって、わたしは「ブッチ!」と声をかけながら往来に歩み寄った。身ぶりと手ぶりをおろおろと駆使して必死に弁解するブッチのそばでは、刃渡りのやたら長い大きな鎌を幟みたいに立てたひとりの女性が、呆れた表情でこちらに状況の説明を求めている。「ねえ、ちょっと」と彼女は言った。「なんか変質者みたいのがアイスノン抱いてるんだけど」

わたしはおもわずその名を呼ばずにはいられなかった。「アンジェリカ!」


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?