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ピス田助手と鋼鉄の花嫁 14½

14½: 反復横跳び並みの派手な脱線、あるいはムカデみたいに多すぎる蛇足に関する補足


何かについて語るときに、どこまで語るか、というのはなかなかむずかしい問題だ。たとえば出がけに靴下の片方が見当たらなくて10分ロスしたとか、出そうで出ないくしゃみを相手にじっとしていたら2分ロスしたとか、床に貼り付いたひとすじの髪がなかなか拾えなくて5分ロスしたとか、どこまで話をすれば丁寧で、どこからが蛇足になるのかはケースバイケースでいつも悩ましい。一見どうでも良さそうに見える計17分のロスによって仮に猫1匹が命を救われたとしたら、なぜその日にかぎってくしゃみを相手に2分もじっとしていたのか、やはり説明しないわけにはいくまいという気がする。

もちろんカエサルばりに要約すれば「いない。捜した。みつけた。終わり」の4語で済む。場合によっては名言として歴史にのこる可能性もなくはないかもしれないが、しかしカエサルのそれと同じくこれでは背景がちっともわからない。誰が、何を、誰に、そしてなぜ、という4つの補足がないかぎり、そこにあるのはせいぜいきもちのよいリズムだけだ。「何だと。それのどこがいけないんだ」と息巻く向きには、とりあえず一杯きこしめしてからもう一度よく考えてみることをおすすめしたい。そのころにはどこがいけなくて、どこがいけなくないのか、そもそもどことはどこなのか、その前にまず考える必要があるのか、必要なのはもう1杯のおかわりではないのか、うむきっとそうだ、ヤッホー!という気になっているだろう。

明らかに本筋とは関係がなさそうにおもわれる極上のハムとそのおいしさについて、わたしは多くを語りすぎたんだろうか?

しかしもしハムのことがなかったら、わたしはムール貝博士との通話を拒否するなどという暴挙には出なかっただろう。すくなくともその結果は火を見るより明らかなのだから、もうすこしうまくやりすごすことができたはずだ。そしてもしわたしが電話を一方的に切らなかったら博士が火のついた癇癪玉をこの屋敷に向けて撃ちこむこともおそらくなかっただろうし、したがってアンジェリカ邸の対空ミサイルがこれをみごとに迎撃するような事態にも、当然ならなかったとおもわれる。わたしだってできることなら今すぐにでも「THE END」と書いて長い旅に出てしまいたい。何もかもがひどく遠回りに見えるのはただ、順を追って説明するのに省略できる部分がどこにもないというだけのことなのだ。

反復横跳び並みの派手な脱線とムカデみたいに多すぎる蛇足についてはこれでおわかりいただけたとおもう。うっかり書いたがまだ話していなかったことについては、これから話そう。

応接室では、肉屋が下着姿で滝のように流した冷や汗をせっせと拭いていた。なぜパンツ一丁なのかといえば、みふゆの脇差しが目にも留まらぬ早業でブッチの服をばらばらに斬ってしまったからであり、なぜみふゆが攻撃したかといえば、ブッチが我を忘れてアイスノンに飛びかかったからだった。
「いや、わっしとしたことがつい取り乱しました」
「テレビなら放送事故になってるところだ」
「何しろわっしも本物ははじめてお目にかかったもんですから、どうか勘弁してください」
「肉屋が目の色を変える鳥なんだということはよくわかったよ」
「そりゃ、見かけるだけで肉屋冥利に尽きるって鳥ですからね」とブッチはためいきをついた。「それが手の届く距離にいるんです。気もそぞろになるってもんですよ」
「いくら珍しいからってそれで死んだら元も子もなさそうだけど」
「珍しいどころか!この天竺鶏って世にも稀なる鳥はですよ、ちょっとありそうにない偶然が冗談みたいにいくつも重なったときにだけウッカリ生まれて、不幸な身の上に絶望したあげく早死にしちまうってかわいそうな突然変異なんです。たとえ話をしましょうか?」
「いや、遠慮しておくよ」
「たとえば競馬です。ゲートに並んだ馬のうち、1頭がかなしくなるくらい足ののろい馬だったとしますね。配当で言ったら地球がそこにすっぽり入るくらいの大穴です。何があろうと勝つ見込みはまずありません。勝つ日が来るとすれば、それはレースに1頭しか出馬していないときだけです。どんな馬でももう1頭いたらそれだけで2着は確実って馬ですよ。そんなあわれな馬がです、ライバルの落馬とか落鉄とか病気とか八百長とか寝坊とか、その他もろもろの信じがたいアクシデントの大バーゲンで全頭脱落、気がつけばまわりにじぶんしかいなくてそのまま奇跡的に1着となったらそれが旦那、どれだけの暴動を巻き起こすことになるか、たいてい想像もつきましょうが?」
「何を言ってるんだかさっぱりわからない」
「遺伝子の話ですよ!劣性遺伝子の話です。DNAらせんの奥の奥にある頑丈な独房に幽閉してあって、本当なら永劫釈放なんかされないはずの劣性遺伝子が、何かの手ちがいから塀の外にヒョイと出ちまったときだけ、伏し目がちにオギャアとまろびでる、それがこの天竺鶏なんです」
「なるほど」とわたしは欠伸をかみ殺しながらこたえた。「なるほど」
「しかしそれだけなら、動物園の飼育員が世界中からおいしいエサと網をもって弾丸のように飛び出していくだけの話です。なのに養鶏業者や肉屋がいっしょになって飛び出すってことはですよ、つまりその肉が…」
「待った、わかった、そういうわけか」
「生まれながらのコールドチキンてわけです……おっと!」とブッチは首をひっこめながら降参するように両手を上げた。みふゆがふたたび脇差しの切っ先を向けたのだった。「そんな物騒なものはおしまいなさい、お嬢ちゃん。わっしだって無慈悲じゃあありません。このヒンヤリした鳥さんがどれだけこのお屋敷で大事にされているかってのは、パンツ一丁になってよくよく理解したつもりです。この期に及んで売ってくれとは口が裂けても言えますまいよ。第一、これから長いお付き合いになるかもしれないってのにそんなドジをやってどうなります。それにね、切り刻まれてミンチになるならそれだって肉屋の本懐なんですから、刃物なんてどのみちムダです。とすればそいつをおしまいなさるがよろしいと、やはりわっしはおもいますよ。心配なんてこれっぽっちもいりません」


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