ピス田助手と鋼鉄の花嫁 01
1: 部屋に扉のない理由
結論から言うと、アンジェリカはそこにいなかった。
彼女の屋敷をたずねるのは久しぶりだった。使用人のイゴールがでてきて部屋まで案内してくれた。イゴールとはもうかれこれ5年の付き合いになる。わたしに対する応対もすっかり心得ていた。他愛のない世間話をしながらアンジェリカの部屋までくると、彼は扉をノックした。
返事はなかった。しばらく待ってみたけれど、静まり返って物音ひとつ聞こえない。三度くりかえしてみても同じだった。「留守ならまたくるよ」とわたしは言った。用があるというよりは、たまには顔を見ようと気まぐれに足を運んだだけだった。ひょっとしたら調子をくずして寝てるかもしれないじゃないか?
「そうですね」とイゴールは首をかしげた。今日はいらっしゃるはずですが、お体のぐあいが良くないとなると、それはそれでいけません。そう言ってどこからか大きなハンマーを持ち出してきた。「ノックも三度したし、ぶち破りましょう」
「ちょっと待ってくれ、カギはどうなんだ」とわたしはびっくりして彼を止めた。「もしカギが開いてたら、扉をこわす必要はないだろう」
「扉にカギはついていません」とイゴールはまたびっくりするようなことを言った。「初めからついていないんです」
「じゃなおさらこわさなくたっていいじゃないか!」
「ピス田さん、これは礼儀の問題なんです」
「そりゃこっちのせりふだよ」
「もしそっと扉を開けてお嬢さまがいらしたらどうするんです」
「むむ」とわたしは彼の神妙な面持ちに気後れしながら言い返した。「何の問題もなさそうだけど」
「大ありです」イゴールは振り上げたハンマーを足元にどすんと下ろした。「いらっしゃるのにお返事をなさらないということは、少なくともノックをお聞きになっていないということなんですよ」
「ふむ。そういうことになるね」
「つまりお嬢さまにとっては『ノックをせずに部屋に入ってきた』のと同じことなんです」
「でも、ノックはしたぜ」
「しましたとも」
「しかも三回」
「おっしゃるとおり」
「何が問題なのかさっぱりわからないよ」
「ノックをしたかどうかではなくて、『お嬢さまがノックをお聞きになったかどうか』が大事なんですよ。お聞きにならなかったとしたら、それは初めからノックをしていないのと同じなんです」
「わたしが証言しても?」
「ノックをしたという証拠にはなりますまい」
「それが扉をこわすことにどうつながってくるんだ?」
「扉をこわせば、よんどころない事情があったのだという証になります」
「なるほど」
「カギがないのに扉をこわすよんどころない事情があるとすれば、ノックに対して返事がなかったということ以外に考えられません」
「ふーむ」とわたしは絶句した。「しかしもし単なる留守だったらどうするんだい」
「お嬢さまが行き先を告げずに屋敷を空けることはありません」
「わかったよ」とついにわたしは同意した。「扉を壊そう」
イゴールはふたたびおもむろにハンマーを振り上げて、扉をたたき壊した。渾身の力をこめた彼の手慣れた一撃に、扉は景気よく砕け散った。そして初めにも言ったとおり、アンジェリカはそこにいなかった。しかしその代わりに、予想もしていなかった光景をわたしたちは見た。部屋の中央には男がひとり、倒れていた。
男の背中には短剣が垂直に突き刺さっていた。床には血だまりがあった。部屋にいるはずのアンジェリカが見当たらず、代わりに男が死んでいる。誰がどう見てもじつにわかりやすい構図で、つまりこれは名探偵の登場を必要とするたぐいの事件だった。よりにもよってこんな日に、用もなく屋敷を訪ねたことをわたしは悔やんだ。
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