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ピス田助手と鋼鉄の花嫁 22

22. ムール貝博士との交渉


こちらの飛び道具は当たらなかった。というより向こうの飛び道具によって撃ち落とされた。しかしイゴールの目論見はちいさなハンマーをぶつけることではなく、その一瞬だけ相手の注意を逸らすことにあったらしい。イゴールはそのわずかな隙を見て取ると、ふたたび賢いハンス号のハンドルをきりきりと捌いてブレーキを踏み、怯んだスピーディ・ゴンザレスに車体の側面を遠慮なくぶち当てた。向こうは当然、エンジンを積んだ自転車ごと派手に転倒した。わたしたちは改めて体勢を整え直すと、猛スピードでその場をはなれた。

「やるなあ!」
「おそれいります」
「派手にすっ転ばしたけど大丈夫かしら」
「ご心配には及びません」とイゴールは涼しい顔をして言った。「頑丈さだけが取り柄のような輩ですから」
「友だちみたいな口ぶりだけど、友だちなわけ?」
いえ、とイゴールは短く否定すると、それ以上はつづけようとしなかった。深く考えずにたずねたものだから、気のないそぶりが却って意外なようにもおもわれた。
「用心棒だか唐変木だか知りませんが」とブッチはみふゆをアイスノンごと抱きかかえながら悲鳴をあげた。「何だかもう、気が気じゃありませんよ、わっしは」

賢いハンス号の賢い立ち回り(とイゴールの巧みな手綱さばき)のおかげでひとまず足止めはしたものの、これでめでたしめでたしとはいかないことくらい、わたしもよくわかっていた。理由がどうあれ、シュガーヒル・ギャングに売られたケンカを安く買いたたいたようなものだ。売れるとなったらまた売りにくる。

このままスタコラ逃げるのもいいが、肝心のアンジェリカからはまちがいなく遠ざかるのにこのまま追われつづけるのは、どう考えても平仄が合わない。圧倒的な不人気を理由にここで手記を打ち切り、ピス田先生の次回作にご期待くださいという手もあるにはあるが、それではわたしの立つ瀬がない。第一、一銭ももらっていないのに打ち切りだなんてあるものか。

一方で、スピーディ・ゴンザレスは何かを知っている。いいかげんちょっとはスッキリしたいわたしたちにとってこれは、ものすごく大きな手がかりだ。みすみす手放す法はない。欲を言えばとっつかまえてけちょんけちょんにしてあんなことやこんなことでねちねち苛んだりしながら最終的にはサービス料10%をとられるようなりっぱな店で晩ごはんをおごらせてみんなで乾杯的なところまで持っていけるのがベストだろうが、個人的にはピザでもいい。

要するに、迎え討つより他にない、ということだ。

ただ、いくらべらぼうな強さとはいえ、みふゆひとりにそれを背負わせるのはいささか荷が重い。大人としての立場もない。やはりどうにかして手を打つ必要があった。幸いにして、というかむしろ不幸にしてわたしは史上最強の戦力にツテがある。想定外のタイミングではあるけれど、こうなってしまえば四の五の言ってもいられまい。わたしは携帯電話を取り出して、しぶしぶ博士の番号を押した。

「もしもし」
「ピス田か。生きてて何よりだ」
「あれ」とわたしは博士の物腰に意外なやわらかさを感じて驚いた。「ご機嫌ですね、博士」
「ぴかぴかのミサイルを9本ばかり手に入れたからな」
「手に入れたって、どこでです」
「知らん。飛んできたんだ」
「飛んできたって……」
「詫びのしるしに贈ってきたんじゃないのか」
「誰がです?」
「お前の他に誰が詫びるんだ!」
「そうです、そうでした。面目ありません」わたしは通話口を押さえてイゴールに残念な事実を通達した。「ホワイトデー・モードはとっくに発動してたらしいぞ」
「何の用だ、それで?」
「何の用って…博士がかけてきたんじゃありませんか」
「む?ああ、そうだった。あのな……」
「あ、そうだスミマセン、その前にちょっと」
「何なんだお前は!」
「助けてほしいんです」
「やなこった」
「助けてほしいんです」
「2回言うな」
「一刻を争う事態なんです、後生ですから」
「後生も金曜ロードショーもあるか」
「お土産に博士の好きな赤い実をどっさり買って帰りますから」
「赤い実?」
「クコですよ」
「あのな」とムール貝博士の呆れるようなため息が電波を伝ってわたしの耳に吹きかけられた。「そうやってそれを持ち出しさえすればいつでも話が楽に済むとおもってるんだろうがな、そりゃ大きな間違いだってことを、ここではっきりさせておくぞ。人をハムスターか何かだとおもってるのかお前は?何kgだ」
「何です?」
「何kg持って帰るかと聞いとるんだ」
「あ、じゃあ、そうですね、3kgくらい」
「5kgだ」とムール貝博士はおごそかに宣言した。「それで手を打ってやる。そっちの要求は何だ」


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