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ピス田助手と鋼鉄の花嫁 06

6: コンキスタドーレス夫人、演繹する


長い沈黙だった。実際のところ伝えるべき事実はシンプルで、わざわざ手短にするまでもない。わたしが来たこと、アンジェリカが消えたこと、そして男が死んでいたことだ。イゴールはコンキスタドーレス夫人(というのだそうだ)にそれを話した。夫人はその間いちども言葉をはさむことなく、黙って紅茶を飲んでいた。かくべつ驚いたようにも、思案しているようにもみえなかった。むしろそわそわして落ち着きのないわたしたちのことなど歯牙にもかけず、ただお茶の時間をゆっくりと楽しんでいるようだった。彼女はたっぷり10分もかけてようやく空になったカップを置き、それからおもむろに口をひらいた。
「最初に訊いておくけど、イゴール」と夫人は言った。「おまえの仕業ではないのね?」

イゴールのしわざ!言われてみればそれはまったく、頭をよぎってしかるべき可能性のひとつだった。どうして気がつかなかったのだろう?この論理からするとわたしも負けず劣らずあやしい人物ということになる。そのとおりだ。考えてもみなかった。見目にたがわぬ視点のするどさと、身内にあって微塵もためらいのない口ぶりに、わたしはいっぺんでこの貴婦人が好きになった。
「わたくしではございません」とイゴールは答えた。それが嫌疑ではなく逆に信頼からくる確認であることを、彼も理解していたはずだ。
「ピス田さん、あなたも?」
「もちろんです」
「話はよくわかりました」と再びみじかい沈黙を置いてコンキスタドーレス夫人が言った。「道理で様子がおかしいとおもったら。いいわ、案内なさい」

今さらながら、この家はアンジェリカとイゴール、その他数人で管理するにはいささか広すぎるようにおもう。見た目以上に奥行きがあるのと、ややこしい構造のせいで何度訪ねてもいまだに全体像がよくわからずにいる。和室と洋室が混在しているのはまだしも、らせん階段や朱塗りの手すり、果ては廊下と廊下を太鼓橋でつないだりする始末で、挙げれば枚挙にいとまがない。基本的には長い年月をへた古い木造建築でありながら、あちこちに西洋風のつくりをもった国籍不明の遊郭といった趣が、屋敷にはあった。要はぜんぜん、住まいにみえないのだ。

「もうひとつ確かめておきたいことがあります」と夫人は黒光りする板張りの床に絨毯敷の廊下を歩きながら言った。「田村が言うには、あれの大鎌をアンジェリカは借りたままだそうね?」
「はい」とイゴールは答えた。
「かれこれ5年はたつと言っていたけれど」
「仰るとおりです」
「あの子のことだから」と夫人は言った。「観賞用ではないでしょうね」
イゴールは頷いた。「ステッキのように肌身はなさずお持ちです」
「決まった置き場所はあるのかしら?」
「衣紋掛けにそのまま刃をおかけになることが多いようです」
「他には?」
「そうでなければガンラックに立てかけてございます」と答えて、イゴールは息をのんだ。わたしもハッとした。夫人の言わんとしていることがわかったのだ。イゴールの表情にすこし光が射したようにみえた。
「日ごろから持ち歩いているものが主不在の部屋にあるかどうかというのは、なかなかおもしろい問題だとおもうわ」と夫人は表情を変えずにつぶやいた。「あるならこの場合、少し困ったことになるかしらね」
「仰るとおりです」とわたしはイゴールを真似て言った。鎌の有無がもつ重大な意味に驚かないわけにはいかなかった。
「その代わりもし部屋にないのなら」と夫人は言った。「まず十中八九アンジェリカが持ち出している…そうね、イゴール?」
「そう考えて間違いございません」
「つまり」とわたしは黙っていることができずに口をはさんだ。「アンジェリカは自分の意志で出ていったことになる」
「少なくともあの子の身に危険が及んでいる可能性は低くなるでしょうね」と夫人はやわらかな笑みをかすかに浮かべた。「何しろ得物を持ち歩いているんですから」

コンキスタドーレス夫人万歳!問題の解決に寄与するわけではないとしても、場合によってはある保証が得られる可能性を、わたしたちはみたのだった。気を落ち着けて思い返してみたけれど、部屋にアンジェリカの付属物たる死神の鎌を見た記憶はなかった。もちろん、動転していて気がつかなかったこともありうる。わたしたちは部屋に鎌がないことを心から願いながら部屋に向かった。


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