続かない理由
今日も卒論をやりつつ、「僕らは奇跡でできている」を観ています。
そこで、またまたハッとすることがあったんです。
主人公は大学の教授をしているのですが、蒟蒻工場の息子である生徒に、
「先生だったら、蒟蒻工場を継ぎますか?」と聞きます。
先生が「どうして、継いだ方がいいと思うんですか?」と聞くと、
「先生が蒟蒻はすごいと言ったし、親も継ぐって言ったら喜ぶだろうから」と答えます。
(この前に偶然この生徒の実家で蒟蒻が「奈良時代からあるもので、手間暇かけて作られた素晴らしいものだったんだ」と主人公が知るエピソードがあります)
そうすると、先生の答えは「僕が君だったら継ぎません」。
なんでだと思いますか?私はこれを聞いて、ずっと疑問に思ってたことがスッと解決しました。
答えは、「理由の主語が自分じゃなかったから」
いつも、なんかわだかまりが残ってました。「これをやらなきゃいけない」「こうした方がいいんじゃないか」という相談を受けたり、自分がそう考えていたりするときに、何かが間違っている気がするけれど、そういうものなのかなって。
そういうとき、いつも理由の主語は私ではなかった気がします。
ちょっと前まで、卒論を書くのがすごく苦痛でした。
もっとやりたいことがあるのに、封印して卒業のためにやらなければならない。
その時の私の卒論をやる理由は、
「卒業しなきゃいけないから」「卒業するためにはやらなきゃいけないから」
「やらないと先生に怒られちゃうから」
でも、今は、『百人一首』の研究が心底楽しいです。
私は研究するのが好きだし、何より定家に興味津々だし、何を考えて作ったのか知りたいし。
主語が自分になったんです。
「(私が)定家が何を思って『百人一首』を作ったのか知りたいから」
「なんでその歌を選んだのか、そこにどんな意図があったのか知りたいから」
もう一つ、例をあげると、「韓国語の勉強」です。
中1の頃から勉強しているけれど、モチベーションがどうしても続かない。韓国ドラマが好きだし、アーティストが好きだし、韓国語を勉強する動機はいっぱいあるのにどうして?って思っていました。
それは、「ドラマを理解するのに、アーティストのバラエティを見るのに韓国語が必要だから」「韓国ドラマに出たいなら韓国語を話せなくてはならないから」という理由だからです。
これ、一見自分が主語に見えますが、「必要だから」なんです。私がやりたいからではないんです。
今、ありがたいことにモチベーションができました。それは、「韓国語で話せるようになりたいから。理解できるようになりたいから。」です。
この半年くらいで、韓国人のお友達が増えました。バイト先だったり、友達の紹介だったり。そうすると、「韓国ドラマに出たいから学ばなくてはならない」という間接理由ではなく、「話したい。理解したい。」という直接理由になったんです。
そうしたら、勉強しようなんて思わなくても、ときには日本語より先に韓国語で考えてしまうくらい、頭の中で韓国語変換をすることが多くなりました。
まだまだ理解できない部分が多くて、なんて言ってるかわからなくて、悔しいなあって思うこともたくさんあるけれど、やっと自分の中で繋がりました。
結構前ですが、菜々緒さんが、「ダイエットが成功しない人は、それを必要としていないから」って言っていたんです。
まさに、この話と直結することで、「痩せたい」と言っていて痩せない人は、理由が「痩せたいから」ではなく、「痩せた方がいいから」なんだと思います。
私もそうですが、「やーせよっ!」って軽い気持ちの時の方が痩せて、「痩せたいけど食べたい」みたいな時は痩せません。
「夏だから痩せた方がいいよね」「細い方が可愛いから痩せた方がいいよね」と、二重に「から」がついちゃう理由だとモチベーションにならないなって思いました。
だから今、やりたいのにモチベが続かないって人は、一度余計な理由がついていないか、「〜した方がいいから」という理由になっていないか、考えてみてほしい。
やっぱりドラマや映画は色々な発見をくれるなあ。好きだ。
おしまいっ!
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