一期一絵 SAV 1972


 SAVで待ってます。アパートの扉に書きなぐったメモが挟みこんであった。それだけ。モリカゲさんは通りがかりにいつもこうだ。
 


 会ったのは1970年の暮れごろ。三島由紀夫のあの事件があったから憶えている。モリカゲさんは小さな詩集を二冊ほど出していて知る人ぞ知る詩人だった。 
 哲学的な詩でよく分からなかった。もの静かでいつも考えごとをしていた気がする。面と向かって詩の話などしたことはない。

 会うのは渋谷の道玄坂を登り、百軒店の坂道の途中にあったジャズ喫茶SAVだった。いまは風俗店やラブホテルに至る坂道だがかつてはジャズを聴かせる名店が多かった。恋文横丁、クラシックのライオン、カレーのムルギーなど多彩な雑多な味わいのある界隈だった。

 SAVの店の重い扉を開くと重低音の音楽が足元から響き、狭い階段をあがると一番奥の壁下に沈むこむようにいつも座っていた。

 

   モリカゲさんはいつも2,3時間はいたように思う。注文したグラスが空くと、肩掛けのバッグからトリスの小瓶を出し注ぎ込んだ。ボクが顔を出したのを機に「じゃあ行こうか」と立ち上がり、いつも店を出た。向かうのはいつも新宿だった。

 新宿に行くと西口のボルガへ。最後はきまって地下のみのるに下りた。ここにはモリカゲさんのオヤジさんも常連で3回に1回はU字形のカウンター越しにお会いした。
 ボルガだけはいまも変わらずにあるが、SAVもみのるも姿を消した。モリカゲさんも僕が各地を転々としてるうちに酒を愛したまま亡くなった。

 三軒茶屋のもともとオヤジさんの書店だったのをジャズ喫茶にしてマスターをしていた。上京した折りに店をのぞいた。SAVに沈み込んでいた姿そのままでカウンターの中でそれらしくマスターにおさまっていた。
 洋酒瓶に埋もれるようにSAVの油絵を飾ってくれていた。アパートで描いていた一枚をモリカゲさんが、いいねといって貰ってくれた。19歳のころのSAVの絵だと思う。三軒茶屋のジャズの名店アンクル・トム。いまはオヤジに似た息子がマスターやってるらしい。


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