仏教に基づいた経営とは?〜お釈迦様は嫌儲ではなかった〜

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こんにちは。ケービーです。あけましておめでとうございます。

私は、ビジネスパートナー(以下 相方)と共に、今年の1月6日に合同会社を立ち上げます。
事業内容は、シニア向けの出張パーソナルトレーニング、自費リハビリ、マッサージです。

最初は個人事業主で十分なのでは?とよくご意見をいただくのですが、私と相方で2人社長、報酬は完全に山分けという形で行っていく為、同生計とする為に合同会社を立ち上げます。

見込みのお客様がほとんどいない中で法人を立ち上げるという、見る人から見れば荒唐無稽な行動かもしれませんが、報酬分配のややこしさから見ればこれが1番自然だと思います。

会社経営をしていくということです。

そこで、私は「仏教の考え方に基づいた経営をしよう」という誓願を立てました。

もちろん、2人社長なので相方の持つ経営方針とすり合わせて方針を決めていくわけですから、私の立ち上げる会社の方針全てが仏教的思想に基づいているわけではありません。
「私個人として持つ経営の考え方が、仏教に基づいたものとしていく」という意味です。(わかりにくくてすみません…)

仏教とは、2500年前に悟りを開いたお釈迦様のお説法の数々を、後に弟子が体系化していった教えが仏教です。

日本では仏教というと「お坊さん」「葬式」という葬儀のイメージがあると思いますが、元々は今苦しみながら生きる人に、苦しみの手放し方を教えるのが仏教の本来の姿です。

ではこの仏教と経営がどう関係するのか?
なんだか仏教はお金稼ぎを悪いものとしそうではありませんか?

仏教は、人に苦しみの手放し方を教える宗教だと書きました。
人の営み全てにおいて、仏教は答えを持ち合わせます。

それは、経営にも言えることです。

というかもともと、「経営」という言葉は仏教用語です。
諸説ありますが、
「経」は筋(道理)を通すこと
「営」は営み。怠ることなく励むこと
という解釈が私は1番好きです。

少し脱線しましたが、お釈迦様は人の営み全てに適切な答えを持って、人の苦しみに寄り添い、それを解消しました。
労働の苦しみも、
家庭の苦しみも、
人間関係の苦しみも、
病や老いの苦しみも、
恋愛の苦しみも、
そして経営の苦しみもです。

お釈迦様は、お金を稼ぐことを悪とは言いません。
むしろ、若い頃には精一杯努力して、人の役に立ち、お金を稼ぎなさいと説きました。

「若い時に、心を育てることなく
または財をなすことを怠った者は、
魚のいない沼に佇む、老いた鷺(サギ)のように佇む」

ダンマパダ 155

衝撃的な詩です。心にぶっささるキッツイ喩えです。お釈迦様はこういうドギツイ喩えを可愛い動物を使って説くのが得意でした。

このように、仏教では若い頃に心を育て、正しく財を作ることを奨励しました。

お釈迦様はもともと、小国の王子様ですので、国を育てるのに「経営」「財産」が必要であることを、理解されていたのでしょうね。

具体的に、仏教のどの辺の教えが経営に役立つのか?

それは次回以降、お話していきたいと思います。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。


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