桜漂流記 3
康広は子供の頃からでかい。最初に間近で見た時は本当に大木が服をきているのかと思ったほどだ。顔は強面に見えるが、よくみると爽やかな男前だ。口数が少ないがその少ない言葉で核心を突いてくる。
中学校の時に実は喧嘩が強くて有名であることを知ったが、私たちの前で喧嘩をしているのを見たことがないし、陽太の頻繁な一生のお願いをいつも面倒くさがりながら聞いていた印象が強く、いまいちピンとこない。
小学校5年の時にクラスが新しくなったのだが、私にいつも気持ちの悪い表情を向けてくる奴がいた。陽太だ。あまりの気持ち悪さに最初のうちは新手の嫌がらせかと思ったほどだった。それがウインクだと知ったのは陽太が私の隣の席になってからだった。そしてついに話しかけてきた陽太に仁美が立ちはだかり、陽太がそれに対抗するように康広を召喚してきて以来四人は仲良くなった。
私はそれまで仁美しか友達と呼べる子が居なかったので、四人で話しをする時間がとても幸せだった。
二人はかつて虐めにあっていた仁美とも普通に接してくれた。それまでふさぎ込むことの多かった仁美をどんどん明るくしてくれた。私は、楽しそうに二人の文句を言う仁美を見て嬉しくなった。彼女が声を出して笑えるようになったのはこの頃からだ。
そういえば、この二人と仲良くするようになってから、それまで頻繁にあった私や仁美に対する嫌がらせが嘘のようにピタリとなくなった。康広はいつも静かに私たちの側にいた。もしかしたらそれこそ大木のように雨風や迫る危険なものから三人を守っていてくれていたのかもしれない。
康広はいつも木陰のような居場所をくれた。
「冷たいうちに飲もうぜ」
陽太が手際よく缶ビールを渡してくる。康広は大量に買ってきた肴になる物や肴にならない物をベンチの空いているスペースや、足元に広げ始めている。お酒との割合を比べてみると圧倒的に肴の方が多いが、これは仁美の事を考えての割合だろう。当の仁美は口の周りに湿ったポテトチップスの破片を貼り付けたまま、並べられた食べ物に恍惚の表情を向けている。
四人が缶ビールを手にしたのを確認した陽太がおもむろに私を見た。
「この度は俺たち四人の中から初の婚約者が出ることとなりました。つきましてはここにささやかではありますが、お祝いの席を…」
とここまで言った陽太は、私の隣ですでに三袋目のポテトチップスをビールで流し込んで咽を鳴らしている仁美をみて音頭をとるのをやめた。
「豚だな」
康広が呟く が今度は聞こえていたらしく仁美が反論する。
「うるせぇ! こちとらエネルギー効率が悪いんだよ!」
「じゃあ洋子。おめでとー!」
高々と手に持った缶ビールを掲げ陽太が叫ぶ。
「おめでとう」
優しい笑顔で康広が冷たい缶ビールを私の頬に当ててくる。
「泣かされたりしたらたらあたしがだんなを喰ってやるからな」
口の周りだけではなく首元にまで食べかすを飛び散らせたままそんなことを言うと、本当に説得力がある。しかしなぜそんな所に飛ぶ?
「カンパーイ!」
三人の声が響いて空へと吸い込まれる。
「よし、お前も乾杯だ」
陽太が冷たいビールを開けて桜の木の根元に置くと強い風が通りぬけた。
桜の葉がザワザワと音を立て揺らぐ。仁美が手に持っていたポテトチップがその風に舞い飛んでいった。
「ああっ! もったいねぇ!」
仁美が叫ぶ。
「そんなに食って膨らんでどうするんだオイ! ってさ」
と、陽太が笑って言いながら風に散らばったゴミを拾いに行く。
「うるせえ、お前を喰うぞコノヤロウ!」
仁美が笑いながらバシバシと桜の幹を叩く。
「本当に喰いかねんな」
康広の言葉に私は笑って頷いた。
私はこの三人がとても好きだ。
皆がいなかったらきっと私は今ここにはいない。
私はいつだって助けられ、支えられてきたのだ。
私が悲しいときはいつもここで元気をくれた。
私が嬉しいときはいつもここで喜んでくれた。
三人がそのまま風景になったようなこの場所で。
だから私は大好きで掛け替えのないこの親友共にこう伝えるのだ。
「ありがとう」