麻布抹茶

天使の抹茶ラテと悪魔の落書き⑥

【本屋の店主と本】

 路地裏にホワイトボードが出ていた。矢印に従い、地下への階段を駆け降りる。下に行くにつれ気温が下がっていくように感じた。やがて鉄の扉が見えた。

 重そうな扉の前にはやはり『本売ります↑中』のホワイトボードが出ている。扉を開けると、やはり仄かなスパイシーな匂いが出迎える。嫌な匂いではないのが不思議だ。
丸いテーブルには昨日の男が昨日と同じ服で、こちらを向いて座っていた。おもちゃを見つけた子供のような表情で笑っている。
「あーいらっしゃーい。きたねぇ」
「どうも。これこれこれ!」

裕也はカバンの中から昨日電車で拾っておいた洗濯挟みとメモを出して見せた。
「びっくりした?」
男は笑いながらこちらへ歩み寄り、洗濯挟みに一瞥してメモを取る。手元に洗濯ばさみが残ったので仕方なくカバンへと戻した。
「いや。ビックリどころじゃないですよ! なんですかあれ! どうやったんですか!?」
「すごいでしょ」
「すごいですよ!」

裕也は抑えていた興奮を一気にはき出す。
「最初見た時はなんだコレって思ったんですよ。そしたら電車のったら同じ事が起こるんですもん! 舞妓さんになりたーいって! パチンっつって洗濯挟み飛ぶんですもん! あははは途中から面白かったですよあははは」
喋りながら昨日の光景が浮かび笑いがこみ上げてきた。
「どういう本屋かってのは解ったでしょ?」
「つまりあなたが書いた事は実際に起こるという事ですよね。だからそれを売る本屋!」
「まあそう。ここは本の内容を売る本屋ね」
「凄ぇ! 凄いです!」
「でしょ?」
「すげえ!」

昨日は薄気味悪かった笑顔が、今は爽やかにさえ思える。
ひとしきり興奮し、少し落ち着いた所で一番気になっていた事を聞く。
「あの、失礼ですけどあなた何者ですか?」
「僕? タクローっていうの」

名前だろうか。質問の答えが期待してないものだった為、もう一度聞く。
「まあ超能力者みたいな感じじゃないかな?」
曖昧な答えだが、超能力者という言葉に違和感はなかった。今までならそんな単語を真面目に聞き入れる事なんてなかっただろう。だが、実際にあり得ない出来事を目の当たりにした今、すんなりと耳へ入っていく。いやむしろ、その言葉が全ての疑問を溶かしてくれる。難解だと思っていた問題の公式を与えられたようだった。
「あの……本見てもいいですか? あの棚ですよね?」
「うん。いいよ。僕漫画見てるからなんか聞きたい事あったら聞いてよ」
「はい」

裕也は中央の、本棚で「コ」の字に囲まれた場所に立つ。
右も左も前も本棚だ。真上には裸電球がぶら下がっている。
ホッチキスで留められた薄い紙の束が並んでいる。並んでいるとはいえ、一冊一冊が非常に薄い為、本棚の割合で言えば何もない空間の方が多い。

それでも昨日はゴミにしか見えなかったが紙が、今日は宝の山に見える。
よく見ると、段ボールの切れ端で作られた見出しのような物が所々からはみ出している。

『女』
『金』
『名誉』
『呪い』

カテゴリー別に別れているのだろう。それにしても『女』の本が多すぎる。他は数冊ずつしかないのに、『女』の本だけは数えられないほどあった。何冊か面にして並んでいる。
本棚の向こうから男の声がした。
「今さ、お客さんが立ってるのがお客さんの人生でいう行き止まりって奴だとしようよ。横も前も道なんかなくて進めないと思うでしょ。進んで来た道を戻るしかないって思うかもしれない。でも、意外とそういう場所が運命の分かれ道って奴かもしれないんだよね。目の前の行き止まりは、実は無限の可能性が広がる本棚だった! なんちゃって。いろいろあるよ。ゆっくり見ていってよ」
安っぽい言葉に聞こえるが、この男は超能力者だ。言う事に説得力がある。そうだ。この場所は無限の運命を選ぶ事のできる奇跡の場所だ。
 裕也はあやのさんの顔を思い出しながら『女』の見出しに並ぶ本へと手を伸ばした。大きさはB5位だ。手元に持って来てタイトルを見る。
『寝取られた若奥様は超淫乱』
……
「すいません」
裕也は棚の向こう側へ声をかける。
「何?」
すぐ後ろから声がしてドキリとした。
「あの、これ立ち読みとかしてもいいんですか?」
「大丈夫だよーん」

気の抜けた返答があったので、裕也は改めて『寝取られた若奥様は超淫乱』を開いてみる。

 『僕は部屋へ入った。すると入り口から若奥様が現れる。とても美人で若い。そしてナイスボディだ。僕の事が気になり後をつけてきたようだ。若奥様は僕を見るなり言う。
「あっはーん。うっふーん」
若奥様はこちらへ近づき挑発してきた。
「あっはーん。うっふーん」
若奥様は超淫乱のようだ。おそらくその内に秘めたる欲求を満たすことが出来るなら、どんな恥ずかしい要求も受け入れるだろう。つまりいいなり人形である。僕は今一番して欲しいことを言う。
「解りました。ご主人様」
若奥様は僕の言った事を……』

 読むのをやめた。
「あっはーんて……」
小学生が想像するエロ本か。
「す……凄いでしょ!? しかも寝取られ! え? え? 君寝取られ属性!? いいよねーNTR! この部屋で思いついたんだ! その話!」
男はいつの間にか裕也の後ろから覗き込むようにして鼻息を荒くしている。一部理解できない言葉をはき出しながら。
「いやこれ寝取られてないじゃん!」
本を閉じる。
「ちゃんと最後まで読んでみてよ。結果的には寝取られてるんだって。それがあれなんだって! あれ! あーっと……分かんないけど! とにかくめちゃくちゃ興奮する展開になるから! でかいのは胸だけじゃないんだよ!?」
男の顔が近いせいで唾液が飛んできた。汚い。
「他のを見たいんで、コレはいいです」
本を元の場所へ戻し、隣の本を取る。


『セールスレディは隣の若奥様で、いけない昼下がり』


……そのまま棚へ戻す。
「読まないの?」
「はい」
「すっごい昼下がりだよ? 白と赤を選ばせるんだよ?」
「もっとこう、違う感じのを探してるんですよねぇ……」

そうだ。こっちには明確な目的があるのだ。若奥様や昼下がりには用がない。
『女』の見出しの本を次々と物色する。

『熟熟! 看護婦さんといけないお医者さんごっこ』
『セールスレディは未亡人』
『若奥様と公園でムフフ』
『欲求不満の若奥様2』
『欲求不満の若奥様6』

 ため息が出た。後ろが気になり振り返ってみたが、男はもういなかった。漫画でも読んでいるのだろうか。
『スクール水着と美人若奥様』
『黄昏の洗濯物 ~年の離れた旦那が帰ってくるその少し前に~』
『喫茶店の……』

「おっ!?」
裕也はようやく目当ての単語を見つけて声をあげた。

『喫茶店の若奥様』
「若奥様ばっかりか!」
「え? 何か言った?」

今度は棚の向こうから男の声がする。
「なんでもないです」
声を飛ばす。
「どうしたの? いいのあったの?」
裕也の首の辺りから男の声がして驚く。足音がしなかった。
「ちょっとビックリさせないで下さいよ」
「あ! それ? いいよー。しゃもじとお玉の新しい使い方が見物だよね。欲求不満シリーズもお薦めだよ」

男は笑いながら捲し立てる。こちらの主張は無視されたようだ。
「あの、基本的にこうゆう感じのばっかりなんですか?」
男から笑顔が消える。
「何? こうゆう感じって」
「ですから、あの……若奥様とか……アッハーン的な……」
「だってそこ『女』の棚だもん。他にもあるよ。『金』とか『名誉』とか『呪い』とか」
「それってどんな感じなんです?」
「言わなくても解るでしょ? 金はお給料とかが上がる話で、名誉はなんか褒められたりする話とかで、呪いは誰かを不幸にするとかだよ」

面倒くさそうな感情を全面に出しながら説明してくれた。この男が凄いのか凄くないのか分からなくなってきた。
その気になればなんでも出来るのに、なんというかスケールが小さすぎる。
「そうですか……ちなみにこの本いくらなんです?」
「全部百万円」

高いのか安いのか解らない。ついでに冗談か本気かもわからない。内容によってはいくらだろうと安いはずなのだが、ここに並んでいる本にその値段は絶対に出せない。とはいえ裕也にはそんな大金用意出来ないが。
「高く感じるかもしれないけど、実際安いよね。場合によってはどんな綺麗な若奥様ともいいこと出来ちゃうんだから」
何故若奥様中心で話しをするのか。
「あの、この中にカフェで働く可愛い女の子を自分に惚れさせて付き合う事になるような本ありませんか?」
「カフェって喫茶店の事?」
「はい」
「へー」

男がニヤニヤと黄色い歯を見せている。
「たしか書いたよ。喫茶店の話」
男が女の棚へと手を伸ばす。
「若奥様じゃない奴ありませんか? というか、いやらしい事とかしなくていいんで普通に付き合ったりするような奴」
「えーないよそんなつまんないの……まあご希望なら新しく書く事も出来るけど?」
「え!?」

……きた。それだ。それならこっちの希望した通りの出来事を起こす事が出来る。思わず男の手を取った。
「それ……ぜひお願いしたいのですが!」
生ぬるく湿っていたが我慢して握り続ける。男はなぜか照れたような笑顔で言う。
「い……いいよ。少し値段も上がるけどね」
「おいくら位になります?」
「百二十万円」

意外に安いじゃないか。とも思ったが、裕也はお金をどう工面するか考える。アンダーグラウンドなバイトをしているとは言え、月々三十万円程稼げればいい方だ。家賃が八万円で、諸々の経費が五万円程。ちょっとずつ作ってしまった借金の返済が七万円程。生活費が、切り詰めても三万円。貯金なんてもちろん無い。
「なんとかローンとか組めませんか?」
男の表情が、笑顔のまま少し曇る。
「お兄さん仕事何やってるの?」
「えっとバイトですけど……」
「ふーん。別にちょっとずつ払ってくれてもいいけどさ、それなりの金額を毎回欲しいよね」

「そうですよね。月々いくら位ならいいでしょう?」
困った。こういう時貯金の無い生活をしていると身動きがとれなくなるのだ。
「逆にいくら位なら払えるの?」
男はもう笑ってない。どうする。ここで「五万円ずつ」と答えて、事態が好転するとは思えない。
「逆に最低いくら位なら大丈夫です?」
こう聞くしかなかった。男が視線を落とし、裕也の足下を見つめている。何やら考えているようだが、文字通り足下を見られているようで居心地が悪かった。
「じゃあさ……」男は顔を上げ裕也の眼前まで寄ってくる「十万円を一年払い。丁度いいじゃない。金利はサービスするよ。これ以上は一円もサービスできない」
「……解りました」
自分には払えないが返事をしてしまっていた。どうしよう。
「じゃあ説明するよ」男がきびすを返す「こっち来て」
裕也は側の丸テーブルまでついて行った。いつの間に用意したのか、テーブルにはパイプ椅子がもう一つ用意されていた。
「そこ座ってて。今コーヒー持ってくる」
「はあ……」

頭の中は月々十万のローンをどうするかという問題で埋め尽くされていた。バイトを増やすか? いやソレを一年も続ける時間も体力も持っていない。バイト先に前借りするか? いや、たかだかバイトにそんな大金用意してくれるはずがない。しかも返すのは一年後以降だ。
「ん? あれ?」呟く。
これからあの男に書いて貰う話の中でお金を手に入れられればいいんじゃないか。そうだ。自分はこれから、望む物は何でも手に入るという話を書いて貰うのだ。何も悩む事はないじゃないか。
 目の前が明るくなった気がした。
そして目が潤み始める。涙が出そうだ。それは行き止まりにぶつかったにも関わらず、解決策を見いだした自分の狡賢さに対しての涙という訳ではない。目の前の液体のせいである。湯気と共に立ち上る刺激臭が脳天をつく。コップには可愛らしい女の子のイラストがついているが、それがどうした。
「なんすかコレ」言いながらコップを遠ざける「何コーヒーなんすか!」
「え? 駄目? コーヒー。無理なら僕が飲むよ」
この液体をコーヒーだと飲めるなら、アンモニア水を紅茶として飲めるのではなかろうか。
「どこの国のコーヒーです?」
「どこの国って……何言ってるの?」

男が笑う。コーヒー風の匂いなのに刺激臭。なるほど、そういえばこの店に漂うスパイシーな匂いが凝縮された匂いにも思える。
「あの……なんの説明をするんです?」
涙目を瞬きしながら聞く。早くも二杯目の液体を飲み始めていた男はコップから口を離す。
「だから、僕の本。書いて欲しいんでしょ?」
「はい。……え? 説明ってなんです?」
「ルールがあるんだよ。一応。何でも思いついたまま書けばいいって訳じゃないんだ。実際に物事を起こすにはそれなりの可能性と制約が必要なの」
「え!? そうなんですか!?」

どうりであの棚に並んでいる本がワンパターンな訳だ。あの程度の物しか書けない、確かな理由があったのだ。場合によっては、あやのさんを自分の虜にするという計画が倒れる可能性が出てきた事に焦る。
「制約ってどういったモノなんですか?」
男は空のコーヒーカップをテーブルに置いた。一気に飲み干した為か、無精髭が濡れている。
「本に出来るのは、僕の可能性だけなの。例えばね、大統領になるだとか、そういったのは本に出来ないんだ」
男は空のコーヒーカップをテーブルでくるくると回す。
「僕アメリカにはいないし、英語とか出来ないしさ。こないだ渡したお試しのメモあったでしょ? あれ電車の中の出来事だったけど、電車の中の出来事を書くには、電車に乗る可能性を自分に作らなきゃならないのね。だからほら」
そう言うとダウンジャケットのポケットから何かを出そうとしたが、何も入っていなかったらしく、デニムの前ポケットを探る。しかし何も入っていなかったらしく、最終的に立ち上がり、後ろのポケットから小さい紙切れのような物を取り出し、裕也へと渡した。
文字の部分は刷れて消えかかっているが、大きさや素材から切符であることが解った。男は今の動きで軽く息切れをしていた。
「切符ですか?」
「そう。僕はこの切符を買って帰ってきて、切符が使えるその日のうちに電車の中で起こる出来事を本にしたってわけ。つまりね、もし僕が切符を買って、そのまま電車に乗ったとしたら起こったかもしれない出来事が本になってるって事。解る?」

男が裕也の顔を覗き込んできた。
「何となくは……でも、洗濯ばさみや舞妓さんになりたいおじさんは?」
どうすればあのおじさんがあの台詞を吐く可能性が生まれるのか気になった。
「僕がアレを書いた時のイメージはね、新聞の折り込みチラシか何かで舞妓さんを見たオヤジは、ふと自分の顔を鏡で見たわけよ。なんて自分の顔は不細工なのだろうと思うわけ。こんなんだから女性に相手にされないんだと嘆くわけ。自分の部屋で。隅の方には取り込んだ洗濯物の山がある。オヤジは洗濯挟みで顔を矯正できるのじゃないかと考える。そんで洗濯挟みを顔中にくっつけるわけ。でも顔はそんな簡単に変わらないんだ。そのまま電車に乗ったオヤジは反対側の席の窓に映る自分を見て哀れになるわけ。洗濯バサミつけててバカじゃないかって思うわけ。そんで叫ぶわけ。舞妓さんになりたーいっつって」
どうやら何も考えずに書き殴ったわけじゃないらしかった。あのメモにはオヤジの切ない人生の断片がしっかりと刻まれていたのだ。
「なるほど……そこまで考えながら書かないといけないんですんね?」
「ううん。別に深く考えなくても大丈夫だよ。キッカケさえ掴めば結構なんでも起こっちゃうみたい。今のオヤジの話も書いた後に考えた奴だし。あはは」

男は何も入っていないコップを啜った。むなしい音が響く。
この男の意味の無い話に付き合っている場合ではない。あやのさんと自分の虜にする話を早く書いてもらうのだ。
「ではさっそくですが……」
「前金ね」

目の前には男の手のひらがある。
「いやあの……今はちょっと手持ちが……」
払える訳がない。財布の中には今日もらった一万二千円とちょっとしか入っていない。
払うあてはこの男の書く本の出来事なのだ。
「明日必ず持って来ますから、とりあえず書いてもらえません?」
「一万とちょっとしか入ってないじゃない」
「へ?」

男は裕也の財布を開いていた。
「ちょっと! いつの間に盗んだんです!」
慌てて財布を取り返そうとしたが、男の言葉に阻まれる。
「どうやって払う気?」男が真顔で見つめてくる「本当に払えるの?」
やばい。この場はこの男を信用させなければ、自分の欲しい出来事を書いてもらえない。
「もちろんですよ」
「正直きついと思うんだけど。バイトで月々十万のローン。なんでそんなに自信満々なの?」

このやろう。解ってて言ってやがったのか。
「いや、俺のバイトは普通のバイトと違って割がいいんですよ。だから余裕で払えるんです」
余裕という部分はもちろん嘘だ。
「へー。なんのバイトなの?」
「まあ……裏稼業です。無修正の違法アダルトDVDをコピーして売るっていう……」
「え!? む……むしゅっ……無修正!!?」

男が勢いよく立ち上がり裕也に迫る。顔が近い。臭い。座っていたパイプ椅子が倒れる音が男の後ろから聞こえた。
「無修正って……あの……モ……モザイクとか入ってない奴ですか?」
財布を丁寧に返される。

「そうですよ」

「違法って法律に違反しているっていうアレですか?」

「そうですよ」
「その……という事は、ま……まる……まるみえのですか!?」
「……そうですね。でも誰かに言っちゃ駄目ですからね。見つかったら捕まっちゃうんですから」

「言わないよ! 絶対言わない! へー。そうなんだ。すごくいい所でバイトしてるんですね。いいなー。無修正かー。違法かー。丸見えかー」
「別に良くはないですよ」
「だって、無修正の奴いつも見放題なんでしょ?」
「いや、意外と見ないですよ。何千本とそういうのがあると逆に嫌になってくるもので」
「何千!? すごい! すごいすごい! いいなぁ! いいですねぇ! 僕違法で無修正の奴なんて見た事ないんだよなぁ……本当に存在してたんだねぇ。ですねぇ」

男がこちらの表情を伺うような笑顔で見つめてくる。羨望のまなざしとはこの視線の事を言うのだろう。これは使えそうだ。あの小説の内容からして、この男はその類のモノは絶対欲しいに違いない。しかも普通には売っていない裏モノだ。今のご時世、持っているだけで捕まってしまう危険なものでもある。
「ねえねえ。どんな感じなんです?」
「何がですか?」

羨望のすぎる視線に窮屈さを感じ立ち上がる。先ほどの本棚の方へ移動したのだが、男はすぐ後ろをついてくる。
「だからさ、見た事ないんですよ。違法も無修正も」
「モザイクが入ってないのは当たり前ですけど、今や手に入らないという事が全てですね。だからこそ人気も有りますし」

裕也は本棚を一周する。男も後に続いて本棚を一周する。
「へー。やっぱり人気ありますよねぇ」
「今や持っている事さえ出来ない物ばかりですから……ドキュメンタリーっぽい物から、小学生が出てくる物から……」
「小学生!? やばいじゃん! じゃないですか!?」

感嘆の言葉と敬語を交えながら男は唾液を飛ばす。
「だからやばいんですって」
「よし! わかった!」

急に後ろから大きな声と拍手の音がしたので振り向く。
「その無修正のDVD買う!」
よし来た。
「一本いくらなの?」
「一本一万円ですよ」
「一万円!?」

嘘だ。本当はもっと安いがここは交渉のカードとしてうまく利用させてもらう事にしよう。まさか、あのバイトが役に立つ事があろうとは思っていなかった。
「でも、特別に半額の五千円にしてあげますよ。僕もこれから本書いて貰うわけですし」
「五千円!? 解った! 買う! ありがとう。ありがとう。ずっと見たくて見たくて仕方なかったんだ。本当にありがとう!」

そこまでお礼を言われるとさすがに罪悪感が出てくる。
「じゃあ次から、僕が適当に見繕って持って来ますよ。それをあなたが買って、僕はそのお金をあなたに渡すってのでどうです? 月に二十本」
「いいよー。じゃあ決まりね。でも一本一万円なんだ……意外と安いんだね」
うれしさに飛び跳ねそうになる体を押さえながら、一本一万円のまま交渉を進めなかった事を後悔した。しかし、これで気兼ねなく本を書いて貰う事が出来るので良しとしよう。
そう思うと胸の辺りだけが宙に浮いているような感覚になる。早く書いてもらい、あやのさんと素敵な関係を築くのだ。顔がにんまりとしてしまう。
「ではさっそくですけど、書いてもらっていいですか?」
「え? 何を?」

男は笑顔でさっき倒したパイプ椅子を起こし、そこへ座る。
「だから本。今までなんの話をしてたんですか」
「あはは。嘘嘘。お客さん面白いんだもん。僕タクローっていうの。よろしくね。あ、タクちゃんって呼んでいいよ」

呼ばないです。
「僕はなんて呼べばいいかな? 名前教えてよ」
素直に教える事が躊躇われたが、仕方なく教える。
「吉元裕也です」
「じゃあユウちゃんでいい?」

無視という形で返事をする。
「じゃあさっそくお願いしますよ」
「あー楽しみだな。どんなのかな? あ、僕雑食だからどんなジャンルでも見るよ。でも強いて言えば主婦とかが好きかも」
「解りました。では本を書いてください」
「ねえねえ。今から少し持って来てもらうのは駄目?」

勘弁してくれ。
「明日でもいいでしょう? 無修正は逃げたりしませんよ」
「む……むしゅっ……無修正っ」

タクローが両手で顔を覆い、激しく足踏みする。喜びを表現しているのだろうか。
「お願いしますよ。書いて下さいよ」
気持ちが焦る。
「さっき説明したでしょ。本を書くには可能性が必要なの。君さ、カフェの子を惚れさせる本を書いて欲しいんでしょ?」
「そうですけど……具体的に何をどうしたらいいんですか」
「簡単」
タクローは得意げな顔で黄色い歯を見せた「僕がその子に会えばいいんだ。お店に案内してよ。あ、せっかくだからご馳走してよね。あはは」
タクローが椅子から立ち上がる。事態は好転しているはずなのに、裕也を嫌な予感が包む。
「どうしたの? ほら、書くんでしょ? 行こうよ」
「はい」
と答える。
「意外にブスだったりして」
タクローは「ヒヒヒ」と笑いながら重い扉を楽々と開けた。


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