麻布抹茶

天使の抹茶ラテと悪魔の落書き㉕

【終わりの始まりⅥ】

 しばらく車を走らせると、二車線の道に出た。車の中はオープンカーとまではいかないまでも、冷たい風が吹き抜けていて裕也は寒さに肩を縮めていた。
「あーはいはい。この道ね」
トキエの見知った道らしく、先ほどの道に戻ることなく元々の目的地に車を走らせることが出来るらしい。舗装された道で、ラーメン屋や土産屋がぽつりぽつりとあるような道だった。
「お腹空いたねー」
運転しているタクローがこぼす。
「どこかに寄りましょう。後ろの窓どうにかしないと僕は凍死します」

裕也がそう言った時タイミングよくコンビニエンスストアの看板が見えた。暗闇に浮かぶその看板は裕也を少しほっとさせる。

 無駄に広い駐車場には軽乗用車が一台と原付バイクが止まっていた。店内に入ると、まずは暖房の温かさに固まった筋肉がほどけていった。お客を出迎える気の無い店員がレジに一人と商品の補充に一人、だらだらと作業をしていた。駐車されている車はこの二人の物だろう。隅の方には飲食スペースがあって、出来る事ならしばらくここで寝たい気分だった。タクローとトキエは喜々としてお菓子をいくつか選んでいた。

 裕也は割れてしまったリヤウィンドウの代わりになるような物を探して、結局幅広のセロファンテープを買った。寒空の下、ポルシェの外側と内側に隙間が出来ないようにテープを張る作業をしている時、前の席ではキノコ派かタケノコ派かで揉めていた。裕也を応援するように見つめるアヤタンを視界の隅にみながら割れたリアウィンドウ代わりにセロファンテープを貼り重ねた。
 とりあえず貼れる場所には全て貼り終わり、不格好になってしまったが車内が冷風にさらされる事はなさそうに思えた。かじかむ手を自分の息で温めながら車の中へ戻ろうとしたとき、駐車場の隅に人影がある事に気付いた。 

 月明かりとコンビニから漏れる店内からの明かりがあるとはいえ、充分に暗い。だが、暗闇から浮き上がるようなその人影はぼんやりと光って見える。いや、光ってはいないのだが光っているかのようにはっきりと見えた。だからその三人分の人影が家族であることが解るのに時間はかからなかった。
 裕也と同年代の男性と肉付きのいい女性。その二人の間に5歳くらいの少年がいて、三人とも黙ってこちらを見ていた。あんな所でなにやっているのだろうかと、薄気味悪く思った裕也は後部座席に乗った後タクローに聞いた。
「あの三人なにやってるんですかね?」
「どの三人?」
「ほら、あの隅で三人固まってるじゃないですか」

三人の方に短く指をさして視線を促した。家族は相変わらずそこに居て動くことなくこちらを見ていた。
「だめよ見ちゃ」
トキエが裕也に言う。
「居ないよ? ユウちゃん」
タクローは家族の方へ視線を向けて言った。
「居るじゃないで……」
裕也は絶句する。家族が運転席のすぐ側に立っていた。三人で車内の裕也を見ていた。三人とも目の部分に暗く穴が開いていた。そこへ吸い込まれるかのように裕也の視線も動かせなかった。視線を外すと本当に吸い込まれてしまうという恐怖が体を支配する。息が止まり、口だけを動かしているとトキエの声が聞こえた。
「だから見ちゃダメだって」
その声に引っ張られるかのようにトキエを見た。トキエを見ることで視線を外すことが出来た。トキエは困った子供をあやすような表情でそれを見ていた。
「二人とも何いってんの?」
「なんでもないよ、たくちゃん早くいこ」
「何~変な物見えた? 変なキノコ食べるからだよあはは」
「えータケノコの里とか可愛くないじゃん」

タクローは目の前の異様な家族が目に入らないらしく、軽口を叩きながら車を発進させた。裕也は黙って家族を見送った。
「だいじょうぶだよ裕也。あの三人はあそこから動かない。もう動けない」
トキエが優しい顔で裕也を見て言った。少し悲しそうな表情にも見えた。
「あれは……」
裕也が擦れた声を出す。
「私と同類」
そういうとトキエは前を向いてタクローがコンビニで買ったキノコの里を裕也へ一つ差し出した。裕也はそれを受け取って口に入れた。
チョコの甘さが口に広がった。
「たぶんね、時間が経ちすぎて、自分達が何であそこに居るのか忘れてしまった人達なの……もうなにもできない。喋る事もできないし怨む事であそこにいるだけの人達」
バタバタとリアウィンドウ代わりのセロファンテープが風に鳴る。再び暖房が効いてきたせいもあって、裕也は少し落ち着きを取り戻した。

 木々のトンネルに入る回数が多くなってきて、対向車も現れなくなった。深い海の底のような闇をヘッドライトの光で切り裂くように走っている。だんだんとトキエの口数は減っていき、今はもう何も喋らない。タクローの鼻歌とポルシェのエンジン音だけが車内に響いている。急なカーブの続く峠をかなりの高度まで登っているのが、鼓膜の違和感で解った。夢の道と似ている気がして不安な気分になる。
「そろそろ右に細い私道があるから……」
「はいはーい」

トキエの静かな言葉にタクローが元気よく答える。
「トキタンは目的地に着いたらどうしたいの?」
タクローが不意にこのドライブの核心に触れた。裕也も後部座席で黙って耳を傾ける。トキエの声を待つが、聞こえて来なかった。
「あ、ここ?」
タクローが車のスピードを緩めた。車のライトが古びた鉄の看板を照らす。私有地と書かれていて、看板の横を見ると林の中に続く一本の道があった。
「……うん。入って……」
トキエがか細く答えた。静かな声だった。それこそ幽霊らしい雰囲気の声だった。タクローがおじゃましまーすと言い、徐行しながら進んでいく。寂々としていたであろう山道はエンジン音に荒らされていた。なのに車の中は静かだった。
 裕也は沈黙に耐えきれなくなって言ってしまう。聞いてしまった。
あえて聞いてこなかった事を。
「何をされたんですか? これから逢いにいく人に」
トキエも聞こえないふりをしてくれたら良かったのだが、きっと喋る事で気を紛らわせたかったのかもしれない。緊張しているのだ。
「よくある話だよ。邪魔になったから殺されたのよ。たぶんね」
「たぶんって……」
「誰の話誰の話?」

タクローが話しに入って来る。解らないなら黙って聞いとけよ。
「あたしの友達の話」
トキエが取り繕うように架空の人物を作った。
「あ、なるほど。友達を殺した犯人に復讐するんだね。これから」
まったく許せない奴だ。といいながら鼻をならす。
「それでその友達可愛かったの? というか女の子?」
「すっごく可愛くてバカな女の子だよ」

トキエが笑いながら答えた。
「許せない奴だね! 復讐しよう!」
タクローに好き勝手に喋らせておくと、現地に着くまで意味の無い会話しかできそうもないので裕也はタクローの鼻息を無視してトキエに聞いた。
「ね、たぶんって言ったよね? もしかして誰が犯人かって解ってないの」
トキエは答えない。黙って助手席の窓を見ている。
「復讐って何するつもりなんですか?」
その問いにもトキエからの返答はなく、タクローの鼻息しか聞こえてこなかった。
 前方の暗闇にぽつりと明かりが見えた。小高い丘に何か建物らしきものがあるようだ。おそらくアレがトキエの目的地だ。

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