天使の抹茶ラテと悪魔の落書き㉒
【関之尾武雄と小岩井宏美~終わりの始まりⅢ~】
車は郊外を走っている。郊外とは言っても、都心からそれほど離れていないので車の数はそこそこある。まだ大丈夫だろう。
助手席のタケチャンはシートを深く倒し、タバコを吸っている。
きっと栄二さんの事を考えているのだろう。
「腹減ったな」
違った。
「なんか買っときゃよかったなぁ」
運転するボクを見ながら吸っていたタバコを灰皿へと突っ込んだ。
ボクのお腹が音を立てた。
「はっはっは! 可愛い音だなおい!」
ボクは恥ずかしくて何も言えなかった。まっすぐ前を見て運転する。
「終わったら飯食いに行こう。栄二に連れて行って貰ったすき焼きの店がいいなぁ」
ボクはまっすぐ前を見て頷いた。
しばらくするとタケチャンがタバコに火を付ける音がした。それから車内は静かになった。運転しながら栄二さんの事を想う。
ボクは昔、ボクと同じように捨てられた子供が沢山いる施設にいた。施設といっても暗い印象はなく、いつも賑やかで柔らかい光に包まれているような場所だった。栄二さんとはそこで出会った。
たびたび顔を出してはお土産にお菓子をくれるおじさんだったから、ボクはすごく好きだった。後から知った話だが、栄二さんもその施設で育ったらしい。
やがてボクは栄二さんに引き取られて施設を後にした。そして関之尾家の家へ住む事になった。
小学校に行かせて貰ってた時に、どうして沢山の施設の子供達からボクを選んだのか聞いたことがあった。栄二さんは鼻の頭を人差し指で掻いて言った。
「お前が一番優しそうだったからだ」
それからボクは誰よりも優しくあろうと努めた。
関之尾家はその地域では名の通ったヤクザらしかった。名前はそのまま関之尾組。栄二さんはそこの偉い人にお世話になっているようで、ボクを引き取ってこれたのもその人のおかげと聞かされた。その偉い人の一人息子がタケチャンだった。
栄二さんはよくボクとタケチャンを連れて色々な場所に連れて行ってくれた。色々な事を教わった。本当のヤクザは正義の味方なのだという事。それでも世の中からは嫌われがちだと言う事。世の中の正義と自分の中の正義は同じでなくていい。筋を通すという事は、自分が決めた正義を貫くという事。その中でやっていい事と悪い事。全て栄二さんから教わった。
中学校を卒業させてもらった時に栄二さんはボクに三つの事を約束させた。
「正しいヤクザであれ」
「筋は通せ」
「武雄を守れ」
栄二さんはきっと組長を守って死んだんだ。
運転することが多かった栄二さんが、たまに酒を飲むと決まって言うセリフをおもいだす。
「俺たちはいつ死んでもおかしくないんだぜ。別にヤクザだからってわけじゃねぇよ。この心臓だって急に止まるかもしれねぇ。だからいつ死んでもいいように生きなきゃぁなぁ。ホントはな」
タケチャンが栄二の真似をするときはいつもこの文句だ。
タケチャンの顔には左の目の下にから口にかけて大きな傷跡がある。あれは中学の頃、タケチャンの父親である組長に付けられた傷だ。
関之尾組が切通組との雰囲気が悪くなり始めた頃で、組長もぴりぴりとしていたのだろう。タケチャンの気性は父親譲りでもあったため、二人の親子喧嘩はいつも熾烈だった。ある日の夜中、激しい物音と罵声に飛び起きて駆けつけてみると、日本刀を持つ二人がにらみ合っていた。既に部屋中に血が飛び散っていたが、誰の血なのかは一目瞭然だった。脇差しを持つタケチャンの体が血に濡れていたからだ。その光景にボクは声すら出せずに立ち尽くした。
栄二は、太刀を振りかぶり今にも切ろうとしている組長と、血だらけで睨み付けているタケチャンの間に一喝して割って入った。そしてタケチャンの手から脇差しを奪い取り、そのまま組長の足下で自分の腹に深く刺した。
そのときボクは腰から下に力が入らなくなって、しゃがみ込んだのを覚えている。
「おやじ。まずは刀をこの鞘に納めください」
栄二のその一言が張り詰めた部屋に響いた。
すぐに組長は大笑いして刀を投げ捨てた。
部屋に張り詰めた空気が無くなった。
「バカ野郎。その鞘にこのなまくらにはもったいねぇや」
そういうとすぐに救急車を呼んだ。運ばれた病院で栄二は一度生死を彷徨ったが、無事退院した。
それから、組長とタケチャンは激しい喧嘩をしなくなった。
タケチャンの顔には深い刀傷が出来たが、栄二はソレを褒めた。
タケチャンとボクは栄二さんに育てられた。
長い信号待ちの時にタケチャンが舌打ちのついでに口を開いた。
「あのハゲ野郎……やっぱり認めなかったな」
ハゲ野郎というのは大河原組の組長の事だ。
「まぁ予想通りだけどな」
頷く。
「どうして大河原組の車がこんな時間にタクローの車を追ってるか解るか?」
解らないので黙り込む。
「ったくお前はしょうがねぇなぁ。おそらく、あのハゲは先手を打つつもりでタクローをやるつもりだぜ」
驚く。
「たぶんな。俺達に使わせないように」
驚きすぎて声が出なかった。
「おいそれと使うには難しい奴だけどなータクローは」
タクローという男には前に何度か会った事があった。組長に言われて依頼していた本(どうみても紙切れだ)を受け取りに行くのは僕達の仕事だった。いつ行っても機嫌が悪く、大抵は全く書いていないどころか、依頼の事すら忘れている。もちろんすぐに受け取れた事は無く、なんとか機嫌を取ってその場で目的の文を書くように仕向けないといけない。タケチャンが下手に回り、誰かのご機嫌を取る様子はタクローの前でしか見られない。
「親父がいつも自分でタクローに会わなかった理由知ってるか?」
それは知らない。知らないので言葉が出て来なかった。
「怖いんだと。あの親父がだぜ? 怖いっていうんだよ」
信じられなかった。
「な、驚くだろ? 確かにあんな力持ってりゃなんでも出来ちまうからな。変に怒らせちまうと命取られるらしいぜ」
そんな風には見えねぇよなとタケチャンは笑った。
ボクの目から見てもそんな物騒な男には見えなかった。タケチャンとタクローの会話が可笑しくて、僕はいつも笑うのを堪えている。
「大河原組は金持ってるからな……おおかた金つんでタクローの機嫌とってんだろうけどな」
たしかに、うちの組にはあんな立派な部屋なんて無い。
「さて、向こうさんがどう動くのか知る方法はないかな?」
タケチャンがボクに聞いてくる。解らないので黙り込んだ。
「いやもうちょっと考えろよ! しょうがねぇなぁ……あ! おい曲がったぞ!」
大河原組の車が暗い横の道に逸れた。後を追う。昼間走っていたとしても見落とすような脇道だった。赤いテールランプが闇の中に小さく浮かんでいる。あの車の前に居る車がタクローの車だ。
「下手に動いてくれたらいいんだけどな」
タケチャンが呟く。