桜漂流記用

桜漂流記 14

 それからどれくらいの時間が流れただろうか。

村山は穴の壁を調べている。そして不機嫌そうに腕を組む康広が口を開いた。

「……行けよ」

その二人に背を向けたまま固まっている陽太が答えた。

「……どうやって?」

「知ってたらお前をさっさと行かせて俺もここから出てるよ。何が未来で待ってろだ。 自信満々でかっこつけやがって」

「だって夢だし……テンションでどうにかなるかと思ったんだもん」

「でたよ。お得意の見切り発車」

「だって何がきっかけで夢から覚めるかわかんないだろーよ」

「どうすんだよ。遊んでる時間はねぇぞ」

ばつの悪そうな陽太を康広が責めている横で村山が二人を振り返る。

「あの……つまり夢から醒めればいいわけですよね?」

「おそらくな。なんかいい手でもあるのか?」

組んでいた腕を解いて康広が聞き返す。

「いえ。 ただ単純に抓ったりしてみたらどうだろうと思いまして」

「なるほど。 陽太、コッチ来い」

「は? なんでオレだよ! 自分でやれよ」

「俺が醒めても意味ねえだろーが」

「いいよ! 自分でやるよ!」

陽太が自分の頬を抓る。

「痛い」

「だめだ俺がやる」

康広が真剣な顔で言う。

「村山君よ。陽太を押さえててくれ」

いきなり名前を呼ばれて驚いていたが、康広の表情を見てジリジリと陽太に迫った。

「陽太さんすいません。 一刻を争うんです。夢から醒めてください」

「今自分で抓ったろーよ!」

「お前が自分でやっても駄目なんだ。たぶん」

「たぶんって何だよ。嫌だ。それにお前手加減知らねぇだろうが!」

慌てふためく陽太が言い終わるか否や、村山に気をとられていた陽太の体を康広が捕まえた。懸命に逃れようともがくが、康広の大きい体はピクリとも動かない。

「さあ村山君。力一杯抓ってあげてくれ」

「はい。すいません陽太さん。洋子の為ですので」

村山の右手が陽太の頬をしっかりと捕らえる。

「痛い痛い痛い!」

「まだ抓っていませんので……じゃあいきますよ」

「てめー初対面のくせにそんなことすんのか!」

「僕は初対面じゃありませんので……」

そう言ってにっこりと微笑んだ村山が、今までの物腰からは想像もできない大声を出した。

「うおおおおおおおおおおお!」

陽太の頬が信じられない程に伸びている。あまりの痛みに陽太は声すら出せないようだ。

「洋子おおおおおおおおおああああ!」

村山の額には血管が浮き出し始め、その顔がみるみる赤く染まっていく。

「あああああああああ」

「あ、ああああ、ああああああああ」

陽太が村山の声に喚起されるように叫び声をあげた。その二人の様子を一番近くで見ていた康広も思わず声を洩らした。

「おぉ……すげぇ……」

村山はさらに力を込めている。

「ほ……ほっぺたってこんなに伸びるものなんだな」

康広が捕らえていた体を離した瞬間、陽太の体が崩れ落ちる。

「うおっ」

康広はビックリして、すぐに陽太を受け止めた。そして、全く反応のない陽太の顔を恐る恐る覗きこむ。

「陽太?」

「へああああああああああああ」

陽太の声が甲高く空気を震わす。

「ああああいってぇぇええああ」

頬を押さえながら叫ぶ陽太に、村山はたじろぎ、さらに力を込めることしか出来ない様子だった。陽太の眼球は白目になっている。

「ああああああああぁ」

その様子を一番近くで見ていた康広が声を洩らす。

「おぉ……こえぇ……」

「ああああああああああ!」

「頬を抓り過ぎると人はこうなるのか……」

「やめてええええええ!」

陽太の悲鳴が穴から虚しく響いて、夜空に溶けていった。

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