桜漂流記 17
夢だと思っていた。
でもこれは夢じゃない。月明かりに照らされて、僅かに見える木の枝にぶら下がったランタンに気付いた時、俺はそう確信する。驚いたが、不思議と受け入れることができた。そして理解した。それは桜の木が俺に、最初にかけた魔法のようなものだったのかもしれない。
なんだか涙がでた。やはり涙脆くなっている。しかも今度は陽太に見られた。でも構わなかった。 嬉しかった。
「全く……昔から普通の桜じゃねぇとは思ってたけど……」
そう言って下を向いて少し泣いた。嬉しくても涙が出るというのは本当だったんだな。
その後、しばらく俺達は壁に背中を預けて、座ったまま上を眺めていた。ぼんやりとランタンを見ていたのだが、ふと妙な事に気づいた。その遠く向こうから、この穴の中を照らしている満月の位置が、さっきから少しも変わっていないのだ。その事を二人に伝えようと口を開きかけた時、に座っていた村山君が勢いよく立ち上がって言った。
「あれ?」
そして怪訝そうに言葉を続ける。
「あの……この穴、こんな深さでしたっけ?」
「え?」
俺は再び上を見上げた。たしかに満月の光に浮かぶランタンがさっきよりもハッキリ見えるようになっていた。穴が浅くなっている。
「おい! お前最高だ!」
陽太が立ち上がって叫んだ。
「本当だ。あいつの体ももう見える」
そう言って嬉しそうに俺に立つように急かす。立ち上がってみると、穴の端の方に見慣れたあいつの姿が在るのが分かった。今なら3人で協力すれば一人は出られそうだ。
……いや。あいつが出ろと言っているんだ。
「ここから出ろってさ」
陽太がいつもの調子で代弁する。
「そうみたいだな」
そして、この場所から出る順番も指示してくれている。
「本当に不思議な桜ですね……」
「あのな、俺が最初に見つけたんだぜ! な、ヤス?」
陽太が自慢げに言う。
「ああ」
そして、もう一度三人であいつを見上げた。
「陽太。お前が先に出ろ。」
俺はしゃがみながら言った。
「村山君よ。身軽さしか長所のない陽太を乗せてやってくれ」
「はい。わかりました」
村山君もしゃがむ。
「わかるなよお前。他にもいいとこあるから」
「陽太さん。どうぞ」
陽太が村山君の肩に座る。
「ヤス。いけるか?」
「いつでもいいぞ」
座っている陽太に気を遣いながら、ゆっくりと立ち上がった村山君が俺の肩に座ろうとした。
「村山君。たぶんそれじゃチビの陽太が上まで届かないと思う。」
「チビじゃねぇ!」
「……はい。分かりました」
俺の言葉の意味を察してくれたのだろう。体勢を整えた村山君は俺の肩に両足を乗せる。陽太と村山君を乗せた俺は、腹と両足に力を入れた。両手で村山君の両足を押さえる。そして、ゆっくりとゆっくりと立ち上がった。
「だめだ……あと少し足りない」
上から陽太の声がする。
「陽太さん。そのまま立ち上がれますか?」
村山君の声。
「おお……そうか……畜生。尖ったスパイク履いてくればよかったぜ」
「勘弁してください」
陽太が立ち上がろうとしているのが分かった。バランスをとるのが難しい。
「いけるっ! 行くぞ!」
「陽太!」
目の前の壁を見詰めながら叫ぶ。
「……頼んだぞ」
「よろしくお願いします! 気をつけて!」
村山君も叫んだ。
「大丈夫」
頭の上から陽太の魔法の言葉が聞こえた。根拠なんか全然ないくせに、こいつの言うこの言葉には力がある。
洋子の事は任せた。
一際大きな肩への圧力を最後に陽太の気配が消えた。