桜漂流記 1
私は漂流している。時間を。空間を。
此処がなんであるのか。そんな事は解らない。考えても意味がない。ここに私はあって、ただ時間の流れに浮かぶように私は漂流している。それだけの事だ。ときおり孤独を感じると寂しくなった。だが、孤独である事しか知らない事よりも、寂しさを感じる事は幸せでもあった。
かつて、私は友人たちに色々な感情を教えてもらった。嬉しい事も、悲しい事も、楽しい事も。最後に教わったのが「寂しい」という感情だった。私は今寂しい。とても寂しい。
心の奥底にいつも湛えている彼らとの思い出は、感情の水滴が一滴落ちるだけで、私の中から溢れてくる。
ああ、また、私は想いを馳せる。私に名前をくれた友人達に……
『 洋子 』
「極めて強い」 と言われていた台風十八号が過ぎ去った次の日の午後。私は幼馴染の仁美と共に公園に来ていた。正確には、その公園の奥にある林を抜けた場所だ。この公園は小学校の頃から遊んできた公園で、丘の上になんてないのに丘の上公園という名前だった。
高校を卒業して以来、自称家事手伝いの仁美は会うたびに膨張している。よくない。摂取したペプシとポテトチップスがそのまま血と肉になっているのではないだろうか。体を壊してしまわないか心配だった。二ヶ月前に体重を聞いたら「もうすぐ三桁」と言いガハハと笑っていたので、とっくに大台に乗っているだろう。よくない。
いつものように、小汚いがしっかりとした木造のベンチに腰掛ける。
そこはとても大きな桜の下にあり、まだまだ落ちる気配のない緑の葉が心地よい木陰を作っていた。周りをたくさんの木々が、その大きな桜の木を避けるように取り囲んでいるのだが、どこからか風を通してくれているから涼しくて気持ちいい。
その風が枝に取り付けられたランタンを揺らす。桜の上の空は、雲の白が溶けてしまったような水色で広がっていた。私はまるで世界から隠れる事のできるようなこの場所が好きだった。
「式はいつ?」
そんな短い言葉を吐くのに、よほど頑張ったのか仁美は鼻息混じりに声を出す。さっきから座っているだけなのにどうしてそんなに汗をかいているのか。滝のように流れている汗が目に入って痛そうにいている仁美にハンカチを渡しながら、来年の私の誕生日にしたいと思っていることを伝える。
「ドレスあるかな? あ、マタニティドレスでいいか」
仁美が自分の腹をボフンとたたきガハハと笑う。よくない。そんな彼女も部屋に籠もってやりこんでいるネットゲームの世界では二時間に一度はプロポーズをされ、「姫」と崇拝されている存在である。常にナイト数人を侍らせ、その愛くるしいキャラと美貌とキャラクターで男共を骨抜きにしているらしい。
私達の会話に合いの手を入れるように、桜の葉が揺れる音がした。昔からこの桜は、会話が出来るような気持ちにさせてくれる事がある。だから私たちはよくこの木に話しかけていた。
隙間なく生い茂る木々の間から、体格のいい男とその体格差のせいで小柄に見える男が現れ、こちらへ近づいてくる。でかい方の両手にはたくさんのコンビニの袋が下げられていて、ちっちゃい方はポテトチップスを食べている。
小さい方は陽太。 大きい方は康広。二人とも仁美と同じく小学校からの付き合いだ。
「うす塩味全部食ったらお前を塩付けて喰ってやるからな!」
隣から、いきり立つ叫び声が耳を劈きビックリしてしまった。声の主である仁美をみると血走った目がポテトチップスを睨んでいる。よくない。女性として。
陽太は仁美の威嚇に完全に尻込みしている男は手に取ったポテトチップを静かに袋の中へ戻し、恐る恐る投げるように仁美へ渡した。
「おい半分位ねえじゃねえかよ」
仁美が袋の中に顔を突っ込むようにして嘆いたあと、一心不乱に貪り喰い始める。
「豚だな」
心底軽蔑したような目でその様子を見ていた康弘が呟くが、仁美には聞こえていない。およそ5秒で目標を食べ尽したかに見えたが、最後の一飲みが喉の変なところに入ったようで、ブホォッ! と凄まじい音とともにポテトチップの破片を吐き出した。
そんな彼女もネットゲームの中では「姫」である。