桜漂流記用

桜漂流記 4

  『仁美』


 この場所に一人で通うようになってどれくらいが経つだろう。ここへ来たところで何も変わらないのはわかっている。それでもあの子の事を想うといつでもここへ来てしまう。

いつもと違うのは今日が少しだけ特別な日だということ。誰も居なくてよかった。今日ばかりは居てもらっては困る。

 毎年この時期になるとどこまでも溢れる湧水のように、その花びらを舞わすこの桜の木も今年は不思議と蕾さえ見られない。この木も嘆いているのだ。あたしはベンチに背中を預け、目を閉じてあの子と出会った頃の事を思い出した。


 あたしは物心ついた時から虐められてきた。友達はもちろん言葉を交わすような相手もいなかった。理由は子供ながらに分かっていた。デブでブスだからだ。虐めといっても殴られたりするようなものではなかった。殴られるほど接近するなんてことはない。誰もあたしに近寄らないからだ。あたしに少しでも触れようものなら、朝礼の時であろうと授業中であろうと、そこから鬼ごっこのようなものが始まってしまう。

 仁美菌がうつってしまうらしかった。

不幸にも仁美菌が付いてしまった子はすぐに付いた部分を洗いに行くが、気の弱い女子だと泣き出してしまう事もあった。仁美菌はあたしの所持品すべてについているようで、あたしがトイレから教室へと帰ってきたら、あたしの持ち物を気持ち悪そうに投げまわしている男子達を何度も目撃した。筆箱を投げられていた時は、中に入っていたペンや消しゴムが教室中に散乱してしまっていたから、全部拾うのに苦労したのを覚えている。

 次の授業時間が始まっても床を這って拾うあたしを先生は笑いながら注意した。

 ノートにくさい、汚い、死ねと沢山書かれていたこともあった。あたしは毎日お風呂にも入っていたし、洋服もお母さんの着ているサイズが着られていたこともあり毎日違う洋服を着ていた。それでも周りの人たちはあたしの事を「きたないもの」として認識していた。

 初めのうちは努力しようとした。みんながあたしのことを普通に扱ってくれるように積極的に自分から話しかけたりしてみたのだが、すぐに無駄だということに気づいた。

誰一人としてあたしのことなんか見ていないからだ。

みんな、「きたないあたし」しか見ていないのだ。いや見えていないのだ。

だからあたしは無視することにした。

「きたないあたし」を無視することにした。

家では普通に振舞った。毎日居もいない友達の話しを考えながら家路につき、それを両親に話した。考えるのは簡単だった。友達が出来たらやってみたい事を思えばよかったからだ。

 やがて小学校3年生になった。あたしの通う学校は同じ学年でも毎日のように初めて見る子がいるくらいとても大きかった。二年に一度クラス替えをすることになっており、三年生の新しいクラスでは殆どが新しく見る顔であったが、仁美菌は健在で危険度を増しているようであった。それまで仁美菌を知らなかった子も知っている子に聞かされ、皆と 同じようにあたしを嫌い蔑んだ。

こちらが全く知らない人に激しく嫌われるのは変な気分だったが、特に気にはならなかった。新しい学年になった初日にはもう、あたしの座る机の周りには誰もが距離を置いていた。

あたしはというとすっかり「きたないあたし」がさまになっていた。もしかしたら自分で見えてないだけで、本当はもっとおぞましい容姿をしているのではないだろうか。毛むくじゃらで毛虱が体中を徘徊し、常人には耐え難いほどの匂いを振りまいていているのではないのだろうか。口は閉まらず、いつも涎を垂れ流しているせいであたしの所持品は涎まみれなのだ。だからみんなが私を嫌うのだ。

 そんな妄想を信じ始めていた。

あたしが普通に発したつもりの言葉は、他の人には怪物の呻きにしか聞こえていないのかもと恐れ、口を開くことは滅多になくなっていた。

 あたし以外のクラスの皆が和気藹々とし始めた頃、転校生がこのクラスに来るという噂があたしの耳にも聞こえきた。あたしは、あたしよりももっともっと醜く汚くデブで頭も悪い奴がくればいいと強く願っていた。そうだ、そして皆から虐められることを甘んじて受け入れてしまうくらい気の弱い人がいい。そうすればもしかしたら今度はあたしが虐める側になれるかもしれない。みんなと一緒に仲良く虐めをする事が出来るかもしれない。

弱い者を一緒に虐めることでこんなあたしにもようやく友達ができるかもしれない。そしたらあたしもなんとか菌で鬼ごっこをしてみよう。友達となんとか菌のたっぷり付着している筆箱を投げてあってやろう。

きっととてもおもしろいのだろうな。


 ホームルームが始まってすぐに起こった歓声と共にあたしの望みは潰えた。新しい学校で周りは知らない人ばかりだというのに物怖じした様子もなく、颯爽と現れたその女の子は、とてもキレイな女の子だった。この世の良いものを全て集約したら彼女になるのではないかと思った。特に目を惹いたのはその子の笑顔だった。見ているこっちが気づけばつられて一緒に笑ってしまうのではと思うほどに可愛くて素敵だった。

あたしは見とれていた。

あたしだけじゃなくクラスの皆が溜息をついて魅入っているようにも思えた。奇しくもあたしがあんなにも強く願ったものと真逆の人間がきてしまった。つまりあの子はあたしとは逆の人間ということだった。わたしが持っていないものを全てあの子が持っているのだ。

華奢な体。きれいな目。きれいな顔。可愛く素敵な笑顔。

おそらく誰からも好かれるだろうその風貌はあたしの欲しかったものそのものだった。

ゆっくりと頭の中にドロドロとした重くて醜い、小さい虫が何万匹も蠢いているような気持ちが湧いてくるのを感じた。今思えばあれは激しい妬みだったのだろう。本当に欲しかったものを全て目の前にだされた結果、ずっと無視できていた「きたないあたし」に対して、あたし自身が悲鳴を上げた瞬間だったのだろう。

なぜ皆はあたしのことを嫌うのだろう。

あたしはなにもしていないのになぜ汚いのだろう。

あたしがあのこのようにきれいだったらぜったいにいまのようにはなっていなかっただろう。どうしてあたしはあたしなの?

 どうして? 
 どうして? 
 どうして? 
 どうして? 

 

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