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一番イタい自分を出せば、発信がラクになる
誰でも、発信するのは自由だ。
私が発信をはじめた目的は、私という人を知ってもらって、願わくば楽しいこととかお仕事とか一緒にできたらいいなぁということだった。
ただ、あまりに「有益な」「誰かの役に立つ」ばかり考えるとなかなか書けない時もあったので、今はとりあえずあまり深く考えずに書いている。そのうち慣れて、誰かのためになる文章になっていってほしい。おそらく数年かかると思うけど。
今は「何を書いてもいいんじゃないと思っている」という前提で、今日は思い切って私の中で「一番イタいこと」を書いてみようと思う。
サワークリームオニオンのポテチ
ポテトチップスの「サワークリームオニオン」フレーバーを食べたこと、ありますか?あれ、美味しいですよね。
実は、サワークリームオニオンを日本に広めたのは、この私なんです。
いや、自分では、マジでそう思ってるんです。
1997年、おそらく当時の日本には、サワークリームオニオン味のポテトチップスは日本で売ってなかったと思います。
留学先のニュージーランドでそれをはじめて食べた時、
何じゃこりゃ!
と、松田優作ばりに感動しました。
1年間の滞在を終え帰国する際に、ぜひこの美味しいポテチを家族・友人・知人に食べて欲しい!とパンパンになったスーツケースの隙間という隙間にサワークリームオニオンのポテチを詰め込んだのです。
なかには荷物に押しつぶされて、粉々になってしまったものもありました。
帰国後、友人数名に「これ、めっちゃ美味しいから!」と力説し、配りました。
今日本でサワークリームオニオンフレーバーが広まっているのは、おそらくその友人の誰かが
何じゃこりゃ!
と感動し、食品会社に勤める叔父に進言し、輸入して広めたのかと思います。
もしくは、ちょうど新卒社員として食品会社に就職した友人のひとりが、「こないだ友達のお土産でもらったポテチが・・・」と思い切って上司に話して、広まったのかと思います。
私がいなければ、私がニュージーランドに留学しなければ、私が友人にポテチを配っていなければ、サワークリームオニオンフレーバーは日本に来ることがなかったでしょう。もしくはもっと遅かったでしょう。
インターネットの生みの親
先日、ふとしたことからこの話を友人にしたところ、「アンタ、カナリ、イタイ」感じに受け取られたので、いっそこの際、とさらにイタい話をしました。
そう、私こそが、インターネットの生みの親なのです。
大学生の当時、一人暮らしをしていた私の下宿にはテレビがありませんでした。
当時、インターネットはまだ黎明期。アメリカのどこぞの大学のコーヒーサーバーがリアルタイムで見れて「うそ〜!」と言っていた頃です。私はこの新技術に興味津々で、大学のパソコンルームに入り浸っていました。
Windows95が話題になり、発売日に大阪の日本橋でそのロゴ入りの缶ビールをもらった私は
「テレビの観れるパソコン欲しい〜」
と思っていました。テレビの映る仕組みとパソコンのディスプレイは全く違う、ということなどツユも知らず。
パソコンに詳しい親戚の叔父に相談すると「パソコンとテレビはまったく別やから。第一、パソコンとテレビが一緒になって、何の得になるねん。」と一蹴されました。その時私が放ったコメントがこちら。
ニュースを見てて分からないことがあったら、ニュースの字幕に色がついてて、そこクリックしたらパソコンでその内容が詳しく説明されてるページに行くのよ。
子どもでも分からないことすぐ調べられるし、みんな賢くなるでしょ。
ものすごいドヤ顔で言ったのに、叔父に「そんなこと思いながらニュース見てる人いてへん。第一、誰がその『詳しく説明されてるページ』を用意するんだ。」と、軽くいなされました。
あれから20年。テレビのデータ放送も始まり、分からないことはすぐインターネットで検索する時代に。
あのとき冷たくいなした叔父が、「うちの姪っ子がこんなことを言っててさ〜」と飲み屋で同僚に話していたのを聞いていたどこかのエラい人が、私の妄想を「インターネット」という形で実現してくれたのです。
私が叔父にその話をしていなければ、インターネットはこの世に登場していないか、もっと後に発達していたことでしょう。
私こそが、インターネットの概念をはじめて世に語った女なのです!
自己開示すれば、発信は変わるか
私は人前で話す時、noteを書く時、とかくカッコつけがちになる。「いいこと言おう」「すごいと思われよう」と盛りに盛って、自分の中の一番スゴい(と自分で思っているところ)ばかり、前面に出しがちになる。
実は、もっとイタくて、かなりヤバくて、どうしようもない人だ。その事実を一度思い切って書いてみれば、その「良く見せよう」の呪縛が解かれるかなと思い、今回書いてみた。
うーん、そのままの自分を開示できるキッカケになるのか?
単に「あ、イタい人なのね。。。」と、さささーっと私の周りから人が去って行くのか。
反応を見てみようと思う。何事も、やってみなければ、分からない。