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自分の信条

以下の文章は、ちょっと前に書いた、これの姉妹編みたいなものだと思ってほしい。モノローグの出来損ないみたいな文章なので、読み進めていくと何をグダグダ書いてるんだと思われるかもしれないが、しばしおつきあい願えると幸甚の極みだ。

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もう最近は、自分の信条については、ゴチャゴチャ説明するのも面倒くさいので、この曲に集約されていると思っているし、できるものならそういう風に説明しておけば良いだろう、とさえ思っている。

今でも現役で活動中のローリング・ストーンズのミック・ジャガーは、約半世紀ほど前のこの「無情の世界You can't always get what you want)」という曲で「自分が望んだような結果なんて、いつもいつも出るとは限らないけれど、何度か足掻いていれば、その結果が出ることもあるかもよ」みたいに歌っている。これが自分の信条を最も適切に表しているな、と思っている。
原詩はリリックビデオで見ていただくものとして、この曲は初めて聴いた時から好きだった。歌詞を読んだら余計好きになった。

初めて聴いたのはこちらの短い方のヴァージョンだった。

今でもこっちのヴァージョンが好きなのだけど、まあ、それはそれとして。ままならないことばかりの世の中だけど、嘆いてばかりいないで泰然と構えていようぜ、みたいな精神性のある曲で、その精神性がずっと好きだったりする。しかもそれが、年を追うごとにどんどん理解できてきた。
若い頃は、単純に曲だけが好きだったが、歌詞も含めた形で好きになっていっている。

ブリティッシュ・インヴェイジョンの勃興期にいて、その恩恵を大いに受けていたこともあって、カネモチで成功もそれなりにつかんでいるのに、それでもままならないことはローリング・ストーンズにすら多々あって、でも、そんな彼らでもその事実に直面した時に、「腹ぁくくってとりあえずジタバタ足掻いてれば、そのうち良いことあるかもしれんよ」と言い出す図太さを感じてしまうのだ。

この往生際の悪さが彼らのこの曲に、人間くささを生じさせているような気がしてならない。他の皆さんはどう思うか知らないが、自分はそう思っているし、それで良いんだと感じる。

唐突な話だが、自分は自分の葬式に・・・

この曲「ワイルド・ホーシズWild horses)」を流すのは無理でも、この曲のことを思い出してほしいなって思ってるんだが、一方で実際に流そうものなら、おっかないJASRACだかいう人たちが血相変えてやってきて「今すぐに止めなさい」って言うに決まってるので、実際に葬式の場で公に流すのだけは止めてほしいけれど、皆さんの心の中で流してほしいな、とは思っている。

そして、ついでに、「無情の世界」についても思い起こしてほしいなって、思っている。自分を象徴する一曲としてね。自分の葬式にどの程度の人が参列するのか知らないけど、小規模な集まりだったら、待ち合いの場でこの二曲をこっそり流しといてほしいな。
公に聴かせるわけじゃなく、あくまでも参列者が勝手に行うプライベートでの利用なんだから、そこまで文句は言わせないし、言われる筋合いもない。まあ、そう思ってはいるけど、実際は制限かかりそうだから、まあ、あくまでも一人になった時にでも、こっそり流しておいてほしい。

まあ、自分もこういう(脳梗塞を何度もやってるような)身体だし、いつ死ぬかわかんないので、別に死ぬこと自体、徒に怖がっても仕方がないと思ってて、「ま、時期が来たら死んじゃうんだろ」ぐらいには思っている。

4月のこの入院の時だって、「俺、やべえんじゃないか?」と本気で思ったぐらいだしね。まあ、幸いなのか、悪運が強いだけなのか知らないけれども、何を間違ったかくたばってはいないけれど。

でも、決して、望んだものが手に入るような幸せなことばっかりだった人生じゃなかったけど、適当に足掻いてると、それなりに何とかなったりもしたから不思議なもんだ。

サッカー(フットサルも含む)や音楽のファナティックを自任し、それらについては、自分なりに楽しむことを第一義としながら生きてきている。
なるべく他人様に迷惑をかけないようにと思ってはいるのだが、時々度が過ぎていろんな人に迷惑をかけているかもしれないし、そのことについてはもう、素直にごめんなさいするしかないのだけど、基本的には自分の好きなようにさせてもらっている。

たぶん、人生の終末もそのうち来るんだろうなって漠然とは思ってるんだけど、その具体的な時期など計りようもないので、今できそうなことはやれたら良いなって思いながら生きるようにしている。

でも・・・

ここでも書いているように、結構自分って「面倒くさがり」なもので、しかも困ったことに己の怠惰さの言い訳に「面倒くさがり」なことを持ち出しているだけ。
実際にいろいろ野望みたいなものはあるけど、この「面倒くさがり」なことに加えて、石橋を叩いて壊すような慎重派過ぎる性格もあって、物事がなかなか前に進まないのだ。そのせいで結構迷惑をかけている方面があるんじゃないかと思っている。えらいすんません。

まあでも、「面倒くさがり」ではあるけど、いざ性根を据えたら、それなりに貫徹はしちゃう方であって、意外と物事を投げたりはしない方だ。つきあい出すと、結構のめり込んじゃうしね。浮気性だと思ってる割に、安心するとそこにどっぷり浸かっちゃう方。対象に安心しちゃうとそれでいいやって思っちゃうのかもしれない。
物事には執着しない方だと、自分では自覚があるのだけど、こうして考えてみると、意外にも諦めは悪い方なのかもしれない。

ともかく、諦めが良いのか悪いのか知らないが、時々によってその辺のさじ加減がいい加減に変化してしまうので、得をしたり損をしたりと結構ばらつきはある方だと思う。
まあ、自分はパートナーいないので、いたらたぶんとても迷惑かけちゃうんだろうなって何となく思っている。この歳になっても独りでいるので、親不孝なことこの上ないのだけど、自分の性格から言って、結婚してうまく行くとは考えにくい。相手の人に必ず不愉快な思いをたくさんさせてしまうんじゃないかとさえ思う。自分という人間はそういうものなのだ。

甘えるのがとびきり下手くそなくせに、「甘えた」なんだもの。そのくせ、相手が甘えてくると自分勝手にしようとする。こんなわがままで面倒くさいヤツ、誰が面倒見てくれると思う?
誰も積極的に構ってなんかくれるわけがない。みんな敬遠しちまうよ。そういう人間なんだ、自分というのは。

それじゃイカンってのは、重々過ぎるほどわかっているんだけど、もう半世紀以上生きてるし、今更もうどうにもならない。諦めの境地だな。

だけど、まあ、「無情の世界」に歌われているようなシチュエーションじゃないけれども、最後の最後までジタバタと足掻きまくっていたら、何か良いことが起きるかもしれない、なんて淡い期待を持ったりして。「残り物には福がある」みたいなのを安易に信じちゃってるんだな。

まあ、そんな虫の良いことなんか、起きた例しがこれまでの人生に一度たりともなかったんだけどね。期待はするんだけど、その期待は大抵裏切られてばかりだ。でも、そういう人生を送ってきたのは、他ならぬ自分が悪いんだし、それはもう仕方がない。
これから先の、どれぐらい残存しているのかは知る由もないような人生にさえも、そんなことは起こり得ないと思っている。行き当たりばったり、出たとこ勝負の人生だから仕方がないんだよ。
だけど、そんな自分の人生にも、多少の後悔はあるけど、まあ、好き勝手やりながら生きてきたんだし、あんまり文句言っちゃいけないんだろうから、今はこんな人生でも案外良かったんじゃないかと思うようにはしている。
だいたい、今ですら、時々刺激をくれるような若い人たちと男女問わず交流させてもらえることもあるぐらいだからね。こんなどうしようもないようなおっさんでさえも。有難いことだよな。そんなチャンスがあること自体。
そんな状況下でウダウダやれていることで、自分はそんな状況を得ることができて何と恵まれているのか、と思うこともある。

ついでに・・・

自分のいい加減さと適当さの象徴として、この植木等さんの「だまって俺について来い」も思い起こしてほしいもの。
これも同じように、初めて聴いた時から好きだった。初めて聴いたのはこの植木等さんのオリジナルではなく、テレビ朝日/朝日放送の「ザ・ハングマン」のEDテーマとして歌われた火野正平さんのヤツだったと思うけど。

火野さんのキャラクターがまた、この曲に合ってるの・・・って、それはまあそれなんだけど、植木等さんのハイオクタンのガソリンが爆発したような歌い方とは違う、妙に淡々とした歌い方なんだけど、それがまた良いのね。ともかく素晴らしい曲だよ。

何度も書いてるように、自分はいい加減で適当で面倒くさがりでどうしようもないヤツなんだし、他の人たちからしたら、取るに足らない人間だってことは重々承知の上なんだけど、そんな自分でもとりあえず生きてる。
とりあえず今の自分は、そんなことに価値があるんだろうな、程度のことは考えている。みそっかすで十分なのよ。あんまりいろんなことを望んじゃいけないんだろうなって思う。

よって、「荒馬に、いつか俺達も乗ろう」(ワイルド・ホーシズ)って野望があるような「望んだ結果にはいつもならないけど、足掻いてればそのうちどうにかなっちまうだろうよ」(無情の世界・だまって俺について来い)と思って生きてる、それが自分って人間なのだね。

結局、何が言いたいのか、自分でもよくわかんないけど、まあ、何だ。

とてもいい加減で適当で面倒くさがりの自分のような人間でも、いろんな巡り合わせやタイミングがあって、とりあえず、どうにかこうにか生きることはできてる。そのうち死んじまうだろうけど、別にそうなりゃなったで仕方がないさ。自分は自分だから、誰をも偽ることはできねえよ。

そういうことにしといてくれたら、それでいいってことにするよ。自分の人生の針路を決める時に、今更誰からもとやかく言われたくない。もう自分もそれなりにいい歳なんだ。足掻く必要があると思った時は目一杯足掻くし、逆に大人しくしておいた方がいいと思うような時は大人しくする。
これから先に、何事か決める時も、リミッターを外す時も、何はともあれ、自分本位でありたいね。それだけは肝に銘じておきたいかな。繰り返すようだけど、結局、自分が生きる自分だけの人生だから。それを誰にも邪魔されたりするのはゴメンだな。

ホント、こんなわがままで適当でいい加減なおっさんが、この世を何とか渡り歩けてるんだから、いろんな人が助けてくれてるんだろうし、迷惑もかけちまってるんだろうなあ。本当に申し訳なく思っている。

ごめんなさい

・・・とデカい声で言いたい。

何度も言うけど、この先、あと何年生きられるかなんて、自分には予想もできないし、明日死んじまうかもしれなければ、もうしばらくは生きられるかもしれない。そりゃわかんないけれど、どうであったにしろ、縁のある皆さんは、もうしばらくはこんな自分におつきあい願えたらいいのかなって。そんな図々しことをお願いしたく思うのであった。

今はもうそれだけが叶えば、それで自分は満足だし、何も言うことはない。そういう人生だ。

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KAZZと名乗る適当なおっさん
基本的に他人様にどうこう、と偉そうに提示するような文章ではなく、「こいつ、馬鹿でぇ」と軽くお読みいただけるような文章を書き発表することを目指しております。それでもよろしければお願い致します。