ロイ・キーンを観に行ったら、肝心の彼が来てなかったけど、楽しめたからいいや、という話【Short Letter】
その昔、アイルランド代表の試合を観に行ったことがある。
2002年のFIFAワールドカップ日韓大会前の親善試合、アイルランド代表vsサンフレッチェ広島だ。
アイルランド代表は、島根県出雲市をキャンプ地にしていたため、その結果として、こういう試合が実現した。
本当なら、この時のお目当てはアイルランド代表の強面で、当時マンチェスター・ユナイテッドに在籍していたロイ・キーンだった。
今だったら、もう少し違う選手をお目当てにしただろうが、当時は海外の選手に関しては思い切りミーハーだったので、知っている選手が彼ぐらいしかいなかった。
ロビー・キーンとかはあとで知ることになる。そういう程度の、恥ずかしいとも言える知識量だったのだ。
ところが、どうもイヤな話を耳にしてしまった。ロイ・キーンが来ないというのだ。
あとになってわかったが、ロイ・キーンと当時のアイルランド代表監督だったミック・マッカーシーとが、些細なことの積み重ねから直前合宿の地であったサイパン島で大きな衝突を起こしてしまい、ロイ・キーンは代表を離れたらしい。
俗に言う「サイパン事件」とされる騒動だ。そのおかげで、ロイ・キーンは来ないらしいという。
当時の私は、太平楽にもロイ・キーンが監督と揉めたらしい、ぐらいにしか聞いていなかった。
後々判明していくが、ロイ・キーンという人も、元々一言居士であり、おまけに他者との軋轢の発生も辞さないような、我の強い一本気そのものの性格らしいので、兎角他人と揉めるようだ。
とはいえ、この時、そこまで深くは事情を知らなかったので、「ロイ・キーンの野郎、来ねえんでやんの」と小規模ながら憤慨していたり。まあ、呑気なものだ。
それをしかも、会場に着くまで知らなかった(と思う)のだ。結構前に買ったマンチェスター・ユナイテッドのパチモンユニを纏って、喜び勇んで出掛けたら、お目当てのロイ・キーン本人がいないと知った時の落胆もない。
まあ、たぶんパチモンのユニなんか着て彼を出迎えようとしたのがダメだったんだろうが、この一件以来、ロイ・キーンはあまり自分の中では好感度が高くない選手となった。
それはいいけど。
ともかく、ロイ・キーンがいなくても試合は見ることにした。
私はスタンドにはいたが、メインスタンドではなくアイルランド側のゴール裏にいた。別にサンフレッチェ広島を応援していたわけでもないので、そういう選択になった。
この頃は、自称「流しのサポーター」をやっていて、つまり、何処のゴール裏にでも、とりあえずお邪魔してみようという試みをしていた。
この一環で、かつて、浦和レッズのゴール裏にも行ったことがあるが、バードスタジアムという場所が幸いしたのか、情熱のあるサポーターはいたものの、決して悪い印象はなかった。
ともあれ、アイルランド側のゴール裏に行った。最初は日本人が応援を仕切っていた。
しかし、そのうち、日本在住か何かのアイルランドの人々がやってきて、何かやり始めた。
ギネスのタンブラーらしきものを象ったこんなでっかいバルーンがスタンド内を飛び回ったりした。
扮装もカラフルで、アイルランドの人々はノリが良いなあ、と思った。思えば、Thin LizzyやU2、Gary Mooreだとか、更にはHothouse Flowersなどを生み育てたお国柄である。ノリが悪かろうはずがない。
アイルランドのナショナルカラーはこのようにグリーンだ。アイリッシュグリーンという色調さえある。
アイルランド代表のユニフォームの色は、もう少しライトグリーン寄りで、日本のチームで言えば、この感じかもしれない。
まあ、当時はこのようにSC鳥取に入れ込んでいたわけでは必ずしもなく、応援に行き出したのはこの年の夏以降だったので、当時はこの頃のアイルランド代表ユニなど持ってもいなかったばかりか、鳥取のユニすら持っていなかった。
後々SC鳥取や、その後身のガイナーレ鳥取に入れ込んでいった理由の一つに、恐らくは、この「色」へのシンパシーがあったんじゃないかと思う。実際、彼らの来訪で残った好影響の一つに、「緑色」に愛着を持ったことがある。
少々脱線するが、アイルランドのトレードマークの一つにシャムロックがある。
シャムロックでお馴染みなのは、スコットランドの有名チームであり、かつては中村俊輔が在籍し、現在だと古橋享梧や旗手怜央、前田大然に井手口陽介らが在籍していることでも有名なセルティックがある。
やはりケルト系に礎を持つセルティックは、アイルランドと同じように、そのシンボルにシャムロックを用いている。
著名人では、かのロッド・スチュワートがこのチームのサポーターとして大変に有名だ。こんな曲まで作ったほどだ。
そして改めて見てみると、民族的な関連性以外にも共通性がありそうだ。
セルティックもアイルランド代表のようにグリーンがチームカラーであり、そのグリーンがとにかく映えていた。グラスゴー・レンジャーズがしばらく諸々の事情により低迷していた頃は、セルティックの天下だった。
ともかく、シャムロック模様を同じように纏う、セルティックとアイルランド代表。そんなアイルランド代表がワールドカップの前にスパーリングパートナーに選んだのがサンフレッチェ広島。
拮抗した試合だったような記憶しかない。ただ、この頃のサンフレッチェ広島は、監督がガジエフの頃のはずで、チームがうまくいっていなかったような気がしてしまう。
確かこのようにサンフレッチェ広島が先行した。しかし……。
アイルランド代表もさすがに追いついた。そして……。
最終的にはアイルランド代表が逆転勝利を飾り、ワールドカップへの手応えをつかみ、結局は1994年のアメリカ大会以来となるベスト16入りを果たしている。
アイルランドの人々は非常に友好的で、私に話しかけてきた人も、私がマンチェスター・ユナイテッドのパチモンユニを着ているのを見て「ロイ・キーン」みたいなことを連呼していた。
あの国の人たちは、気さくな人たちが多いのかもしれない。私は決してアイルランドの人たちに悪い印象は持たなかった。むしろ、こんな地方都市に来てくださってありがとうとお礼を言いたいほどだった。
その後、出雲市で行われているアイルランドウィークというのは、この、アイルランド代表がワールドカップのキャンプ地として出雲市を選んだ時のことがきっかけになっている。
当時、アイルランド代表選手の一員だったロビー・キーンは、市内の某ホテルで何か壊したらしいのだが、そういうこともあったようだ。
たぶん、改装後の浜山公園陸上競技場であった競技を問わないあらゆるイベント事で、最もお客が入ったイベントなんじゃないか。
サンフレッチェ広島は1993年にも、ここ浜山で、アルゼンチンのインデペンディエンテを招いてPSMを挙行しているが、たぶんその時以上に人がいたと思う。
浜山は、今のところ、少なくともJFLぐらいまでは興行ができる。日本フットボールリーグという現在のJFLも、ジャパンフットボールリーグという旧来のJFLも、両方開催経験があるはずだ。
少なくとも今のJFLでは、SC鳥取と松江シティとで各2試合ずつ見ている。他に、なでしこリーグを見てもいる。地域決勝の予選ラウンドをやったこともある。
だが、やはりこういう試合が来てくれるとエキサイティングでいい。代表クラスの試合はおいそれとできないとしても、いずれまた、Jリーグの何処かがプレシーズンマッチでもやりに来れば良いのに。
あれからそろそろ20年近く経とうとしているが、こういう機会がもっとあってもいいのにな、と思ってしまう。Jリーグ、それが難しいなら天皇杯でもいいので、開催していただければ。
このアイルランド代表の試合を思い返すにつけ、そういう試合をあまり呼べないことが残念でならない。どうにかならないもんだろうか。
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