友人が亡くなっていた話
はじめましての方は来てくださってありがとうございます。また来てくださった方はありがとうございます。kazzです。
すっかり寒くなりましたね。
先日は娘と地元のイベントにあそびに行ったのですが、風が冷たく鳥肌が立つような空もようでした。
わたしは秋が一番すきな季節なのですが、年々秋が短くなっていくようで少しかなしい気持ちです。
さて、今回のnoteなのですが、立ち上げた目的とは違うテーマになります。
実は、友人が亡くなっていたことが判明したのです。
この友人、歳はわたしよりひと回り上の方で、仕事と趣味でつながっていた方でした。
とても素敵な方でしたので、今回この場でこの友人のことに触れ、わたしなりの供養としたいと思っています。
友人(Tさん)のひととなり
まずは、友人(Tさんと呼びます)について、簡単に紹介をしたいと思います。
皆さんの周りに『すっごくいい人なんだけど独身で、仲間で集まるといつもなにか余計なことを言ったりやったりして怒られたり茶化されたりしているけど、みんなから好かれていて「彼は本当にいいひとだよね」と言われるような人』はいますか?
この特徴にピンと来た人、多分その人がTさんのような人です。
Tさんは、いつも誰かのことを気にして、人のためになにかをするような人でした。かといって、自分のものさしや行動基準がないような人ではなく、ときに言葉や行動のチョイスを間違って人から批判・非難をされることもしばしばでした。
基本的に要領が悪く、仕事ではよく上司に怒られている姿を見ていました。
でも、人からはあまり嫌わせるような人ではなく
「Tさんは本当にどうしようもない人間だけど、すごくいい人だし大切な人だ」
と言われるような性格の持ち主でした。
わたしも、優しく・隙のある性格であるTさんが大好きで、仕事で疲れたときや誰かと話したいときは本当にTさんとよく話したり、飲んだりしていました。
Tさんの最期(経緯)
Tさんと最後に会ったのは、2023年末でした。
「みんなで集まって忘年会をしようよ」ということで、Tさんとわたしを含む数名かで2~3年くらい前から定期的に集まっていたのですが、2023年はその輪が広がり、Tさんも喜んでいました。
「〇〇さんはとってもかわいくなった」
などと軽口を言い、周囲から「またTさんはそんなこと言って~」とからかわれていたのをよく覚えています。
今思えばその時、Tさんはまったくお酒を飲まず、解散後に「お酒やめたんですか?」と聞いたところ
「体調が悪くて医者に酒を止められている」
「脚が痛いんだ」
と言っていたのを覚えています。
その際、めずらしく
「kazzさんもご家族も元気でね」
と何とも言えない表情で言われ、半分ふざけてハグをしたのをよく覚えています。
今思えば、その一言はTさんにとってただのあいさつではなかったのかもしれないな思います。
その後、グループLINE等でいつも通り他愛ないやりとりをしていたのですが、だんだんとTさんがリアクションをしなくなりました。
わたしたちはそれぞれ別の仕事をする集まりでしたので、それほど頻繁にやりとりをしていたわけでもなく
「Tさん、まったく返事がないけど大丈夫だろうか?」
とふとひとりが言い出したことで、Tさんの安否を確認する流れとなりました。
結果、Tさんは亡くなっていました。
会社からはすでに警察から亡くなっていた旨が伝わっていたようで、死亡時期はおそらく6月、自宅で亡くなっていたようで、仕事にも行けていなかったようです。
独身貴族な方でしたから、おそらく自宅で亡くなったあと発見されず、どなたかから警察に通報があり見つかったのではないでしょうか。
みなさんとのやりとりを見ると、そこかしこに友人を心配する様子のやりとりをした形跡や、タイミングが合って会えた人には何か自分のもので高価なものをプレゼントしていたなど、形見となるようなやりとりをした形跡があったようです。
わたしがTさんと最後にやり取りをしたのは6/17でした。趣味の話で他愛のないメッセージを送ったのですが、返事は少し的が外れたような一言の返事のみで、その後は既読がつかなくなりました。
警察のお話ではおそらく亡くなったのは6月頃だったとのことなので、もし病気が原因だったとするなら、体調も相当優れなかったのではないでしょうか。
そして、これはTさんの人柄から考えることなのですが、きっとTさんは6月にわたしから連絡をしたとき、きっと体調が限界に近かったのだと思います。
そしてきっと、体調が悪かったにもかかわらず
「周囲に迷惑をかけたくないから」
「心配させたくないから」
と思い、わたしたちに身体のことを伝えずにいたのではないのかなと思います。
そう思うと、わたし自身、もっとTさんからの的外れな一言の返事の際に、深く関わるべきだったと強い強い後悔があります。
Tさんに対して申し訳ない気持ちと、せめて安らかに眠って欲しいという気持ちがあります。
Tさんの人生から学んだこと
Tさんの死後、関係が深かったと思われる人に連絡をし、いろいろなエピソードを聞きました。
驚いたのが、その多くの人が
「Tさんが亡くなったことで自分がこんなに深い悲しみの感情を持ったことに驚いている」
と言っていたことでした。
Tさんはどこか常識しらずで礼を欠く人だが、人に好かれている人だった。そんな様子がよくわかりました。
そして、話を聞けば聞くほど、Tさんに対して感謝をしている人が多かったことも意外でした。
そんなエピソードからわたしが学んだことを共有して、Tさんへの感謝と供養のことばにできればと思います。
ひとに感謝される人生を送ること
Tさんは思った以上に人に感謝をされている人でした。
その感謝は「なにかをしてあげた」とか「なにかをほどこした」というものではありませんでした。
友人のこころのゆらぎや変化に敏感で、普段はどうしようもないオジサンだったかもしれませんが、ここぞという時には人を心配し声を掛けてあげられる人でした。
きっとそのスタンスが多くの人に好かれたTさんの最大の魅力だったのだと思います。
そのスタンスのせいで、人知れずひっそりと逝ってしまったのかと思うと本末転倒な気もしますが、なぜかそんなところもTさんらしいなと思ってしまいます。
わたしは小さなころから死ぬことが怖いと思っています。
今でも寝る前に死ぬことを考えて怖くなってしまうときがあります。
Tさんは死ぬときどれほどの恐怖に襲われたのでしょうか。
わたしたちの顔は浮かんだのでしょうか。
でも、わたしたちはもうここにいないTさんに確かな感情と感謝、喪失感を抱えて生きています。
わたしも死んだ後に残った人にそう思ってもらえる人間でありたいと思います。
そうすることで、残った人に想ってもらえることで、わたしが本質的に抱える死への恐怖がやさしいものに変わっていくような気がするのです。
人は生まれたから必ず死ぬ。
その当たり前を当たり前として受け入れ、悔いのないように生きる。
そのためには他者から大切に思ってもらえる自分であろう。
そう思いました。
もちろん、前回書かせてもらった「自分軸」の考え方は大切に、まずは自分をしっかりと持ったうえで、他者にも愛されるためにバランスをとることは大切です。
そんなことを今回の件から考えさせてもらいました。
Tさん、今まで本当にありがとう。
悲しいけど、わたしはTさんの思い出を胸に生きていきます。
いつかまた会えたら、また一緒に飲みましょう。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
みなさんの今日がすてきなものでありますよう。
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