1,000文字のアートレビュー⑤ 熊谷拓明『北の空が赤く染まるとき四十男がこうべを垂れる』
熊谷拓明さんを知ったのは今年1月。裏参道フェスというアパートを一棟借りしたアート・イベントにゲスト出演してもらった時。その時僕は熊谷さんを観れなかったのだけど、彼のnoteも好きで、シルク・ドゥ・ソレイユで850ステージに立ったという熊谷さんが生み出した新しいジャンル「ダンス劇」なるものがずっと気になっていた。そんな彼がダンス歴25周年・40歳を機に25日間・40ステージの公演をするという。40ステ。狂気だ。
身体のナラティブ
ミュージカルは苦手なのにミュージカル映画が好きだ。「ヘドウィグ」「ダンサー・インザ・ダーク」。なんというか、劇中で歌が歌われる時、物語の時空間が破られて、歌のナラティブがにじり出るように生まれる瞬間が好きなのだ。
ダンス劇は、身体のミュージカルだ。ある冴えない男の、冴えない男たちの物語の、その中に、羊水にまみれて産み落とされる身体のナラティブ。身体は書かれた物語とは別に、「熊谷拓明」のナラティブをうたいだしてしまう。
にゅっと、ゆがむ
熊谷拓明の身体はしなやかだ。ストリートダンサーともバレエダンサーともちがうその体は、知的だがいたずらっぽい、イルカのようでもある。
しかしまたどこかに、「びっこ」のようないびつさがある。均整がとれちょうど必要な分だけついた筋肉は美しい弧を描くのだが、それがいまや完成する刹那、うにょっとゆがんでそれを壊す。
ウディ・アレンみたいに神経症的でストイックなのに、まっすぐ立つには真面目すぎる男の身体は、均整を裏切って、にゅっと、周りの空間も巻き添えにゲル化する。
踊らない社会と踊りつづけること
しかし社会は強固でソリッドだ。男の抵抗もむなしく、うにょっと歪んだ時間も空間も、踊りがおわり男の息が整う頃にはまた、秩序のうちに整列する。
看守が踊らないように、社会は踊らないのだ。
男の試みはうまく行かない。社会は変わりもしないし、終わりもしない。踊ることは、なんの役にも立たない、混じりっけなしの徒労で、だからこそ男は踊るしかないのだ。やきとりを咀嚼するときだって、彼は踊ってしまう。
いつか少年だった「シジュウオトコ」へ
男が番をする文房具店の前の通りが夕日に染まる時、僕はなぜだか泣いていた。そしてなぜだか、小学校の学校帰りを思い出していた。
50円で何を買おうか、10分も悩めたあの頃。「ガンダムのぱちもん」みたいなプラモデルが当たるクジにハマり、母親の財布からお金をくすねつづけてたあの頃。
大人になることは、踊らなくても生きられるようになることだろうか。
熊谷拓明の踊りをみてそんな頃を思い出しながら、100円玉を2つ出して、やきとり缶を買って帰った。
(2019年11月8日 熊谷拓明『北の空が赤く染まるとき四十男がこうべを垂れる』)