1,000文字のアートレビュー② 藤幡正樹個展『E.Q. 』
日本のメディアアートの先駆者であり、アーティストを多数育ててきた藤幡正樹氏(会場には多数の教え子や落合陽一氏からの祝花も)。アルス・エレクトロニカでゴールデン・ニカ(グランプリ)を獲得するなど海外で高く評価されているが日本での展示はとても貴重だ。
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3つの表象:capture:
《Eternity of Visions》
壁に埋め込まれた魚眼レンズが天球のようにぐるりと部屋の様子をとらえる(capture)。
撮られた画像の中心にいるのは壁を見つめる僕だ。ふたたび壁に投影された僕らの世界は、ピザ生地のように引き伸ばされて穴が開き、裏返ってやがて量子のように小さな消点と消える。
それは宇宙の表象のようだ。
(僕は宇宙は広がりの先に極小の量子へとループすると考えている)
投影された2次元平面に3次元の僕らはみなcapture囚われている。それはあるuniverse(一つ・世界)の射影だ。あの壁を事象の地平面だと考えてみる。その向こうには何があるのか。その結節点、焦点の魚眼レンズは、次元の結び目でありほどき目でもある。
3つの表象:texture:
《Matrix of Visions》
伝統的彫刻へのオマージュのように石膏で固められた枕。マットな質感のくぼみや襞に、反復するイメージがマッピングされ投影される。
奥のカメラに近づいたり遠ざかったりするとテクスチャー(texture)は刻々変化する。ラテン語のtext(織る)を語源とし「テキスト」とも同根であるこのtextureという語は、生地であり手触りであるが、作品ではそれが幾重にも裏切られている。(布/石膏/投影)
投影されるテクスチャーは、粉々のフロントガラスを通して多重化された世界のようにも、トライポフォリアが身震いする小虫蠢く悪夢にもみえる。枕の上の透明な頭の中で、膨大なイメージが湧いては消える。
3つの表象:media:
媒体(media)。
僕らは世界を(ありのままに)知覚すると僭称しているが、実際にはmediaなしに世界を知覚することはできない。実在論をとろうが認識論をとろうが、mediaなくしては我々も世界もないのだ。
「E.Q.」におけるmediaとは何だろう。
壁か?枕か?石膏か?カメラか?投影された映像か?コンピューターか?プロジェクターか?光か?僕ら観客か?
藤幡正樹氏と山本豊津氏はこんな風に笑い合う。
「壁ごとくり抜いて運び出そう。そしてそれを立派な額縁に収めるんだ。」
これはメディアアートの「作品」の射程がどこまでか、という問いでもある。そしてそれは僕らと世界にとってのmediaの射程を問うことかもしれない。
(2019年7月6日 藤幡正樹個展『 E.Q.』)