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1,000文字のアートレビュー④ 高木正勝ライブ『S/PARK Summer FES 2019』

資生堂のS/PARKで開催された『Summer Fes 2019』に行ってきた。マイク・ミルズの『I Am Easy To Find』もよかったけど、ラストの高木正勝のライブが圧巻だった。(2時間前からスタンバって最前列でみた)

僕が高木正勝を知ったのは2002年くらいで、その頃彼はいまよりエレクトロでノイジーな音楽をパッケージしていて、僕は「j.f.p.」という曲が大好きでよくDJをする時にかけた。最近のライブはピアノ一台のシンプルな構成だが、その印象は会場のサイズによって変わる。


流動の音景

高木正勝のピアノを聴くといつも、川の流れが見える。「見える」というか、流れの中に「いる」ような気持ちになる。ひとつづきだけれど中にいくつかのまるい触感があって、陽に温められたぬるい水塊を運んできたかと思えば、突然の清く冷えた水に「ひゃっ」と声が出そうになる。そんな川の流れのように、いくつかの音の連なりがミニマルに繰り返される。
あるいはまた、夏の宵の空気。これらのイメージは共感覚的なものだが、音像のように焦点を結ぶのではない、「音景」とでも呼びたい感覚が、ひたと空間を満たし、僕に触れ、た、と思った瞬間には流れ過ぎ続ける。


弾ける粒

ライブ中、高木正勝の身体はぴょんぴょんと跳ね、時折チックのように弾ける。(ノッてきた彼のおしりに押されて椅子が後ろにずれるのを見るのが好きだ)
流れの中に、ぽつ・ぽつと大粒の雨が水面を打つような、木々の隙間から強い細い光が差す瞬間のような、くっきりとしているが、それでいてすぐにも消えてしまいそうな旋律があらわれる。その音は僕の身体を弾く。「琴線に触れる」という言葉があるが、文字通り、僕はじぶんの身体の中の弦が弾かれるのを感じる。ピアノが打楽器であり弦楽器なように、僕らの身体は、そして宇宙は粒であり弦だ。


あまたの神々

あめつちの祈りのような、かすかに聴こえる月に鳴く遠吠えのような歌声。「ミンミンゼミと一緒につくった曲なんです」と彼は笑う。山奥に引っ込んでからの彼の曲には、囲炉裏を囲んでおばあちゃんから聞く昔ばなしやユーモラスな土着の妖怪のような「原風景的な懐かしさ」がある。生き死にが近くにあり、神々がすぐそこにいて、人間と触れ合っていたような、太古の神代。僕らはそこに住んだことはないけれど、それは僕らの原風景だ。
昨日、僕の身体にぶつかり、押し流れ、出会ってはするりと遠のいていったたくさんの塊や弦のように振動し弾け続けた粒子は、そんなやおよろずの神々だったのかもしれない。

(2019年8月11日 高木正勝ライブ『S/PARK Summer FES 2019』)

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