「産まないと決めた日」第5章
こちらは創作大賞2024に応募した作品であり、フィクションになります。
物語はプロローグ、第1章から始まり、第7章、エピローグまで続きます。noteでは7話にわけてアップしています。ぜひ最後までお楽しみください。
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第5章 母の思い
母との再会
感染症の流行も少し落ち着き、感染症分類が引き下げられ、行動制限が緩和された頃、長兄から一通のメールが届いた。
『夏休みに家族で熱海旅行にいく。あおいも合流しないか?』
長兄のメールに何かひかかるものがあったが、スケジュールを確認し、2つ返事で参加の返信をした。
長兄の家族、次兄と次兄の彼女、そしてあおいの7名の旅行という話だった。当日は、次兄が車を出してくれるということで、次兄の車に便乗させてもらうことにした。
長兄達とは熱海のホテルで合流することになっていた。宿泊する部屋以外にも、庭園付きの個室が時間単位で予約できるらしい。次兄が打ち合わせに使いたいと、その個室を15時から19時まで事前に予約していた。
その部屋で、次兄の彼女とアイスティーを飲んでいた時、長兄の家族が到着した。あおいの予感は的中した。その場に、長年連絡を絶っていた母がいたのだ。
久しぶりの母との再会だった。2人の間には長い沈黙が流れた。その沈黙を破ったのは次兄だった。「とりあえず、母さんも何か頼めば」とメニューを渡した。
長兄の子ども達は「プール♪ プール♪」とプールに向かっていった。まるで全てを示し合わせたようだった。
母にも飲み物が運ばれてきた。紅茶が入ったカップを口に付けながら、母は静かに口を開いた。
「元気にしていた?」と‥‥
そしてあおいがいなくなった日のこと、その後の7年間のことを淡々と語りだしたのだ。
あおいがいなくなった日
あおいがいなくなった日は、梅雨明け間近の暑い夏の日だった。
祖母をデイサービスに送り届け、ケアマネージャーさんと打ち合わせをしたあと、母は自宅に帰らずにふもとの街で買い物をし、クーラーの効いた図書館で祖母の迎えの時間を待っていた。
図書館で過ごすことは、母の唯一の楽しみの時間だった。
図書館の窓から見えるひまわり畑をながめながら、いつも好きな本を読んで過ごしていた。
祖母をデイサービスに迎えに行き、夕方自宅に戻った。
何か自宅の雰囲気が違う、そんな風に感じながら、買ってきた食料品を冷蔵庫に片付けるために、台所に足を踏み入れ置き手紙に目をやった時、母は全てを悟ったのだ。
「いよいよこの日が来てしまった」
母は即座にあおいが家を出たことに気が付いた。
そんな母を見つめながら、
「あおいちゃんはあおいちゃんの人生を生きた方がいい。この町に残っても不幸になるだけだ」
普段は何も語らない祖母がこの時だけはしっかりとした口調で、でも静かに語った。
「私は施設に入って残りの人生を過ごす。だからあなたも自由にしたらいい」と母に伝え、祖母はそのまま自室に入っていった。
母自身、その日の夜のことはほとんど何も覚えておらず、
「いよいよこの日が来てしまった」
ただこの言葉だけが頭の中を駆け巡り、気が付いたら朝になっていたという。
翌日、祖母を予約していたショートステイに送り出した後、母はしばらくは放心状態だった。
誰にも連絡を取らずにあおいの帰りを待った。
帰ってくるはずのない娘の帰りを一人待ち続けたのだ。
数日たち、ふと何かを思い出したように役所に出向き戸籍謄本を確認した。その戸籍からはあおいの籍が抜かれていたのだ。
「もうあおいは帰ってこない。あおいの人生はあおいもの」
母はそう悟った。
我にかえった母は長兄に連絡をした。これから先のことを相談するために…
「あおいの連絡先は教えられないけど、あおいは元気に過ごしている。だからこれ以上詮索しないでやってほしい」開口一番、兄は母に伝えた。長兄にそう言われた以上、母はあおいのことを兄から聞き出すことは出来なかった。それより、父親は戻ってくる前に、今後のことを考える必要があった。
母は重い口を開き
「あの人とは離婚しようと思っている」と兄に伝えた。
兄は手にもっていた封筒に入っていた、父の浮気の証拠写真を並べながら、「かあさんの好きにすればいい」とだけ伝えた。
事業を継ぎたくなかった長兄は、父を黙らせるために、こちらが有利になるかもしれないと浮気の証拠を集めていたのだ。なんなら海外での浮気旅行の写真もあった。
「まさか、父と母の離婚の切り札になるとはな…」と長兄は小さく呟いた。「婆ちゃんはどうするんだ…」
父と母の離婚は好きにすればいい、ただ、80歳を過ぎた祖母をおいては出ていけない。とりあえず離婚する前に祖母の住処を確保する必要があった。
長兄は施設を探したが、どこの施設も満室で、そう簡単に入居できる施設は見つからなかった。ショートステイとデイサービスを利用しながら一旦は施設の空きを待つことにした。
ショートステイから帰ってきた祖母に、兄が事情を全て説明した。祖母は静かに席を立ち、自室から鍵のついたケースを持ってき兄に渡して、部屋に戻っていった。
祖母から渡されたケースのなかに1通の手紙が入っていた。
祖父が元気な頃に、母宛てにしたためたものだった。苦労をかけたこと、自由にさせてやることが出来なかったことが詫びられていた。そして息子の浮気を詫びる一文も添えてあった。祖父はすべてお見通しだったのだ。その手紙の最後に弁護士の連絡先が書いてあった。祖父から母へ、何かあった時のために財産が残されていたのだ。
あおいが家を出て3ヶ月後、父は真っ黒に日焼けして何も知らずに帰国した。あおいの家出を知った父は、「すぐにでもあおいを連れ戻せ」とすごい剣幕で騒ぎ立てた。
父にはあおいの婚姻を利用して、市議会議員に立候補し、ゆくゆくは県議会議員という目論見があった。あの地域の組織票が喉から手が出るほどほしかったのだ。過疎化が進んでいるとはいえ、有権者の数はまだまだ多く、なんなら投票率も高い地域だった。だからこそ、あおいをあの地域に嫁がせたかったのだ。
ただ、この場に同席していた兄から不倫の証拠を突き付けられて、母から離婚届を渡され父の立場は逆転した。
「離婚だけはしない。佐伯家の恥だ!」
そう言い残して父は家を出て行った。
「そもそも離婚の原因を作ったのはお前だろ!不倫の方が恥晒しだろ!」
長兄は思わず叫びそうになったが、その言葉をぐっと飲み込んだ。
父はその後、会社の近くに小さなアパートを借り一人暮らしを続けている。お酒の席が増え、往復のタクシー代でアパートを借りることが出来たというのが世間への建前らしい。
母は、行政の手を借りながら祖母の介護を続けた。と同時に、学童保育でパートタイマーとして数時間働き始めた。これもそれも祖母が亡くなった後に、家から出ていくためだった。
祖母が亡くなった後、母は慰謝料をもらい離婚するつもりだった。ただ父はそれをがんなに拒否をした。最終的に離婚はせずに慰謝料をもらい、母も家を出た。今は兄が住む街の近くでひとり暮らしをしている。
ケアワーカーさんの紹介もあって、現在は介護施設で働いているという。「地方の介護施設は万年人手不足の状態。私のような年寄りでも雇ってくれるのよ」と母は笑いながら言った。長年、祖父母の介護をしていた母は頼れる即戦力に違いないとあおいは思った。
家の方は、古民家宿泊が流行っているいま、売りに出してしまいたいのが長兄の本音のようだ。ただ父と話し合うのが面倒でそのまま放置しているらしい。
ちなみに結婚予定だったお相手先には、母と長兄が菓子折りを持参して謝罪に出向いてくれた。ただ先方の母親はこの結末が見えていたのか、「家と家が結婚する時代は終わりました。親が子どもを縛り付けても何も良いことはないんです。お嬢さんにはお嬢さんの人生がありますから」と静かに語ったらしい。
彼女もまた地方に嫁ぎ、地方の犠牲になった女性のひとりだったのかもしれない
2人のしんみりとした空気の中に、突然子ども達の声が響いてきた。
「おばあちゃん かき氷食べたい 金魚すくいしたい」
そう、このホテルでは夕方になるとホテルの中に縁日が並ぶのだ。気が付けば太陽も西に傾きはじめていた。
母はおばあちゃんの顔に戻り、孫に手を引かれて縁日会場の方に歩いて行った。
母の呪縛
あの熱海旅行から数日が過ぎていた。あおいの夏休みも終わり、また明日から仕事だ。
あおいの目の前には、卵子凍結と書かれた資料とネット記事の打ち出しがおかれている。
そう、熱海旅行で母から渡されたものだった。
「子どもを産む・産まないはあおいが決めたらいいと思う。ただ将来に可能性を残しておいてもいいんじゃないかしら…」
そういいながら、母は現金の入った封筒をあおいに渡した。
その資料と封筒をながめながら、あおいは熱海で聞いた、母の昔話を思い出していた。
食事の後、母とあおいは花火が見えるバルコニーで涼んでいた。昼間はあれだけ元気だった子ども達は夢の中だ。長兄と次兄は部屋の中で飲み続けている。
母はぽつぽつと昼間の話の続きをはじめた。
母は本当は看護師になりたかった。ただ女が手に職なんてつけたら嫁の貰い手がなくなるという親の反対にあい看護学校にはいかせてもらえなかった。高校卒業後、しばらくして父と見合いをし、母の意思関係なく結婚は決まっていったらしい。
自由に恋愛をしている周りの友人が羨ましくて仕方なかったと母は言う。母が若かった頃もまた価値観が移り変わる時期だったのだ。たた、母は古い価値観の中で生きていくしか出来なかった。
母は結婚と同時に長男を授かったが、その後は流産を繰り返した。周りからの心無い言葉に傷つきながらも、なんとか7年後に次兄を授かった。男子を2人産んだのだから、もう良いだろうと思っていたにも関わらず、周りは3人目の男子を求めた。
しかし6年越しに授かった3人目は女の子だった。「一人ぐらいは家の手伝いや介護をする女子が必要だからな」と言い、父はあおいには見向きもしなかったらしい。その頃から夫婦仲は冷めていったと母は言う。
ただそんな中、唯一祖父だけが目の中に入れても痛くないぐらいの勢いであおいを可愛がった。あおいは、祖父、長兄、次兄の間でいつも取り合い状態だったらしい。
あおいが生まれた時、母は「この子には私と同じ運命を背負わせてはいけない」そう思っていた。そして祖母もとなりで複雑そうな思いであおいを眺めていたらしい。
「もっと早くにあなたを自由にしてあげるべきだった」母はあおいにそう小さくつぶやいたのだった。
母は今、大学に聴講生として通っているらしい。
そう、あおいに受験して欲しかったあの短大だ。母はあの短大に併設されている看護専門学校に通いたかったらしい。あおいに自分が叶えられなかった夢を投影してしまっていたのかもしれないと母は言う
今は4年制大学として生まれ変わっているその短大に、元々は介護の勉強のために通いだしたのがキッカケだった。今は大学で「人間環境学」を学んでいるという。
ようやく自分の時間が出来たと笑う母の目は活き活きとしていた。これが本来の母の姿だったのかもしれないとあおいは思った。
母もあの町の犠牲者だったのだ。
母には自由になってほしい。昔ながらの慣習の呪縛から解き放たれてほしい。
あおいは心のそこから母の幸せを願わずにはいられなかった。
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