「知識や理論に縛られた窮屈な食生活」
こんにちは。遠藤です。4823回目のブログです。
※過去ブログ(4740日分)はこちらにあります。
今日はFBL大学でともに学ぶ金崎さんのブログを紹介します。
「知識や理論に縛られた窮屈な食生活していることが大問題」ということが記されています。
本当にそうでしてね。
食事というのは基本的に「美味しいかどうか」でするものです。
「これは身体に悪い」的な偏狭な知識が先にあって、それに基づいて食べるものを選択をするわけではありません。
こんなことをやっていたら「人間らしさ」というものはどんどん失われていくし、とにもかくにも人としての「本能」が死んでいきます。
そうなれば性格的にも「つまらない人間」になっていくことでしょう。
例えばですが、うちのパル(愛犬)だって「まずいものは食べない」のですよ。
私は「動物は栄養学を知らない」という考え方が好きなのですが、動物に知識なんてないわけです。
「本能」で食べるか食べないかを判断しているのです。
が、こう言うと必ず反論されるのが「美味しいものばかりを食べているから肥満が増えるのだ」というものです。
が、私からすれば「そこで知識が必要なるのだ」という話です。
当たり前ですが、それは「知識や理論に縛られた窮屈な食生活」を指導することではありません。
具体的に言えば「必要量(過不足)」と「適切な質(バランス)」を教えるものです。
一般の方々に必要な知識はここまでで、それ以上の余計な知識を与える必要はまったくありません。
知識というのは「人生を楽しむため」に習得するものです。
食事や栄養に喩えるなら「何でも自由に食べていいんですよ!」という方向に誘導するのが正しい指導です。
金崎さんも書かれていますが「口から入れるものがすべて」です。
「細胞にどう入るかが重要」という人がいますが、そんなことは二の次、三の次です。
「それはごもっとも」ですが、体内に入ってから何が起こるかなどまったくわかりません。
人間には人間の数だけ「個体差」があるからです。
単純に考えて、アルコールを大量に飲める人もいれば、一滴も飲めない人もいます。
厳しい実験の上で認定された治療薬だって効く人と効かない人がいる。
すべて「個体差」があるからです。
だから「口から入れるものがすべて」と考えるのがもっとも確実だし、それ以上のことは「わからないのだから言えない」とするのが良識というものです。
こういったことを包括し、それを世界的な医科学的な見地から「現段階ではこれが正しい」と判断されているのが「五大栄養素」などの学問です。
「日本の栄養学は〇年遅れている」的な主張もありますが、それは「基本」を覆すような理論ではありません。
肉も食う!
酒も飲む!
甘いものも大好き!
お菓子も食べる!
が、すべて「過不足なく」。
※たまに「過」はあってもいい。常に「不」は良くない。
知識に縛られて生きるのが「もっとも不健康」です。