「発達障害」その定義
「発達障害」の定義は統一されていない。
医学、法律、社会一般で異なっている。
発達障害が論じられたのは、1970年に米国連邦議会で法律が制定されてから。そこでは、精神遅滞、脳性麻痺、広汎性発達障害、てんかん等多様な状態が含まれていた。
【医学の観点から】
1987年に、アメリカで米国精神医学会が示す診断基準DSM-5に発達障害の概念が導入され、精神遅滞、広汎性発達障害、特異的発達障害が挙げられた。そして何度かの改訂を経て、2013年には精神遅滞が知的能力障害、広汎性発達障害が自閉スペクトラム症・自閉症スペクトラム障害と変わったほか、社会的コミュニケーション症が新設された。
日本の医学で、広く用いられているのは、WHOの国際疾病分類という診断ツールがある。それによると、発達障害は、下記の通りである。
➀発症は常に乳幼児期や小児期
②中枢神経系の生物学的成熟に深く関係した機能発達の障害や遅滞
③寛解や再発が見られないもの
【発達障害者支援法の観点から】
2004年12月に成立したこの法律では、発達障害を下記の様に定義している。
「自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害その他これに類する脳機能の障害であってその症状が低年齢において発現するものとして政令で定めるものをいう」
ここでは、知的障害が含まれていない。それは、知的障害は知的障害者福祉法ですでに支援が定められているという法律的な理由によるからである。
【社会生活上の観点から】
「障害」は「個人に属するもの」でなく「個人と環境の相互作用」だと捉えるならば、知的な遅れはないが発達障害だと言われる人にとっては、社会の環境や理解によって生じる困難さは変わる。ならば、発達障害は本当に「障害」なのかという問題さえある。
例えば、識字率が20%の国があったとして、そこに発達障害であるディスレクシア(読み書き障害)の人がいたとしても、社会生活上の困難はさほど感じられない。それならば、発達障害、と定義する必要さえもないのだ。
「発達障害」については、医療には診断上の基準があり、法律には便宜上の分類があり、社会生活ではその環境によって障害と位置づけられる状態さえ変わる。
つくづく、障害とは、病名や障害名で一様に括ることができるものではなく、10人いれば10人の、100人いれば100人の個性も困難さがあり、ラベリングや決めつけることはできないものなのである。
ダイバーシティやインクルーシブ社会というが、やっぱりその中でも仕切ったり区切ったりカテゴライズしてしまうのが人間の社会だ。
人間は、仕切ったり区切ったりした方が、楽な生物なのかもしれない。
そんな自分達の特性を理解した上で、人間は様々な議論を行っていく必要がありそうだ。