見出し画像

子どもをコーチングすることに対しての違和感

ある子育てブログを見て、非常に違和感を感じてしまいました。


そのブログでは、子どもと接するときにコーチングを用い、様々な気づきを起こしていくというもの。


コーチングとは、相手に答えを教えるのではなく、気づきを与えるテクニックになります。答えを見つけるのではなく、自分で考える力を育むものです。


僕自身もコーチングは使いますし、子どもの可能性を引き出すことはすごく大事だと思っていますが、このブログに関しては違和感しか持てませんでした。


なんでかな〜と考えて見たのですが、このモヤモヤの原因が、「大人の視点でしか子どもと接しておらず、言葉だけで相手を誘導しようとしている感が強い」と感じたということに気づかされました。



コーチングって非常に有効ではありますが、どうしてもコーチする側としてもらう側で上下関係が発生します。


その状態で親がコーチすれば、親の考える能力、いいと思う思考・行動に誘導される恐れがあります。操作感の強いコーチングは相手の思考を停止し、コーチする側の理想の方向へ相手を誘導してしまうからです。


そもそも大人は子どもにコーチできる立場なのでしょうか?子どもの可能性や思考を高める様に関わる工夫は大事だとは思います。しかし言葉での矯正や行動に逐一思考を強要するのは、自由度の高い思考を持っている子どもの可能性を潰す可能性もあると感じるのです。


家族にコーチングを行うのがそもそも必要なのかというのも感じてしまいます。まずは大人の視点でコーチングするのではなく、子どもの視点で必要なものを考え、一緒に歩んでいくことが大事なのではないでしょうか?


子どもに気づかせたいのなら、普段の接し方や行動で示す必要があると考えているので、言葉だけで誘導するやり方はどうしても違和感しか感じないのです。


あくまで僕の考えなので、何が正解というわけではありません。ただあくまで僕は大人の視点だけで子どもの動きを制限しようとする関わり方は少し違うと感じるのです。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集