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子どもの様に純粋に人と接してみる

子どもをみていると、彼らは本当に先入観がなく、逆に大人が偏見を持ちすぎていることが多いことに気づかされることがあります。


子どもの頃を思い出してみると、どんな子とでも仲良くなれていたことを思い出します。


例え乱暴者だったり、大人になって思い返すと家庭がうまくいっていなかった子とでも、自分の小さい頃は関係なく一緒に遊んでいた記憶があります。


僕自身は大人しいし問題を起こす様な子ではなかったと思うけど、なぜか少し尖っていた子とも遊ぶことが多くて、金髪に染めた小学生の同級生の家でバイク雑誌を一緒に読んだり、乱暴で学校いちの嫌われ者だった子の家で一緒にゲームをやっていたという、今考えるとどうしてこの組み合わせで遊んでいたのかわからない組み合わせで遊んでいたことを覚えています。


僕が鈍感だっただけかもしれないけど、小学生の当時はヤンキーや家庭環境とか特にみていなく、ただ単にその時一緒に遊んで楽しいだけだったのだろうと思います。


そう考えると、子どもの頃って先入観なしに人と接することができていたのだなと感じます。


それが大人になると、関わる人の育ちや環境、過去の行動などから相手を色眼鏡で見て関わり方を判断する様になってしまったと感じています。


子どもの保育園で同級生に対して乱暴する子がいました。


その子も親も色眼鏡で見られ、大人はその子がトラブルメイカーと色眼鏡で見てしまっている印象。


しかし僕の子ども含め、他の子たちは色眼鏡で見ずに、少し乱暴なところはあるけどそんなことお構いなしに一緒になって遊んでいる。


そしてその子は少し話してみるととても優しくて、僕の子どもの帰りの準備などを手伝ってくれる親切な一面も持っている。


僕ら大人はその子のネガティブな面しか見ていないけど、子どもたちはその子が優しいところもいっぱいあることを知っているし、だから一緒に仲良く遊んでいる。



僕らも色眼鏡で見るのでなく、こどもの様に純粋に人を見て接することを意識しないといけないと思う今日この頃です。

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