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海外流学② 2010年23歳の時の書記をそのまま載せてます。

●日本での自分自身に対する違和感

バンクーバーに来る前の僕は、自分自身というものを失っていた気がする。アルバイト、仕事をしていたから年上の人たちと過ごす時間が増えた。そこで、年相応に接していれば良かったが、変に大人っぽくなろうと試みた。そして、恥ずかしながら当時自分の事を心からカッコいいやつだと思っていた。更に、アパレルの世界で働いていたから、洋服、アクセサリーに気を使いまくっていた。要するに見た目に。アパレルの世界には頻繁に、見た目でしか人を判断出来ない馬鹿がいる。そして、僕もその馬鹿の中の1人だった。だから、いつも僕の周りの人は僕の事をどう思っているのだろうとか、どんな人にもカッコいいと思われたいとか、全員に好かれたいとか、そういうくだらない事ばかり気にしていた。そうこうしているうちに、誰にも嫌われたくないという心があったからか、人に自分の本当の気持ちを言わなくなった。言えなくなった。人に合わせていた。一応、俳優業もしていたから、某プロデューサー、某芸能プロダクションマネージャー、そういった人々に対してゴマを擦った。そして、損得感情で動くようになっていた。この人といたら、仕事を貰えるのでは?とか。こいつといてもしょうがない、とか。相手の肩書をきにした。そして、友達が減った。更にゴマ擦る奴に、プロデューサーから話しをもらえるはずもなく、結局何も残らなかった。そういった類の男よりつまらないものはない。そして、そういった男たちが寄って来た。そういった生活は、とても疲れた。そりゃ、自分を隠し、キャラクターを演じるのは疲れる。今思えば、高校での楽しい学生生活卒業以来、バンクーバーに来るまで、大声で笑った事が何回あっただろう?とても少ない気がする。とにかく、自分の本当の性格と自分が人前にいる時の性格のギャップに違和感があった。それをブチ壊しに、バンクーバーに来たとも言える。そして、それをブチ壊してくれて、僕を大声で笑わせてくれたのが、バンクーバーで出会った、親友の日本人2人だ。彼らとの出逢いは、僕を大きく変えてくれた気がする。彼らについては、後で書きたいと思う。

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