田邊和也

俳優。

田邊和也

俳優。

最近の記事

海外流学⑪ 2010年23歳の時の書記をそのまま載せてます。

●帰国を決めてから思う事 僕は、バンクーバーですごく多くのカナダ人と出逢った。数え切れないくらいの。良いやつ、悪いやつすべて含めて。けれど、帰ると決めてから、偶然か、運命か、僕がここに来て間もない頃に仲良くしていたカナダ人の友達から連絡がくる。まだバンクーバーにいるの?とか、今度また飲もうよ?とか。最近あまり会ってなかったみんなから。それで、何人かとはご飯を食べに行った。そして気が付いた事が1つある。結局、一緒にいて楽しいのは、僕の事を本当に友達として思ってくれているのは、

    • 海外流学⑩ 2010年23歳の時の書記をそのまま載せてます。

      ●今僕がやっている事 僕はついこの前、1つ台本を書き終えた。全て英語で。僕がバンクーバーでの海外生活で感じた事、得た事、そんな事が書かれたリアルな作品。時間はかかったが、僕の中では傑作。そして、上に出てきた彼が監督として、僕が主演で、その映画の撮影がもうすぐ始まる。彼のおかげで、最近は毎日演技について考えている。毎日、何か次書く台本の面白い案はないかと考えている。それと、彼の初監督作品は日本に関わっている作品なので、それを日本に売り込むために色々と試行錯誤している。毎日、映

      • 海外流学⑨ 2010年23歳の時の書記をそのまま載せてます。

        ●あるカナダ人若手映画監督との出逢い 彼と出逢ったのは、僕がバンクーバーに来てすぐの事だった。僕は部屋を探していて、偶然彼の家を見に行ったのがきっかけだ。結局僕はそこには住まず、それから約1年半逢うことはなかった。けれど、ある日たまたま街で偶然出逢い、それから飲みに行くようになった。話しをしていくうちに、彼が若手映画監督だと知った。そして、彼がどれだけ映画製作に真剣で、どれだけ時間を夢にかけているかを知った。それと同時に、どれだけ僕が口だけの俳優なのだと思い知らされた。むし

        • 海外流学⑧ 2010年23歳の時の書記をそのまま載せてます。

          ●英語での演技 もともとこれが目的でバンクーバーに来た僕だが、正直俳優業に意識を向け始めたのは、1年半くらい経ってからだった。最初の1年は英語の勉強、ビーチバレー、レストランでの仕事、飲み、女遊び。これしかしていない。でも時間の無駄だったとも思っていない。色々なもの事を知り、学べた時間だった。英語での会話に支障がなくなってきた頃から、バンクーバーの芸能プロダクションにも所属し、コマーシャル、フィルムのオーディションにちょくちょく行くようになった。英語でのオーディションは初体

          海外流学⑦ 2010年23歳の時の書記をそのまま載せてます。

          ●2人の日本人の親友 先ほど少し登場したが、僕に大きな変化をもたらしてくれた2人の親友。彼らとの出逢い は、僕にとって本当に大きかった。あんな日本人に正直、日本では出逢った事がない。彼らが特に特別な事を僕にしてくれたとかではなく、普通でいる事の良さ、本当の友達というのは何か、を僕に気が付かせてくれた。友達の前だからこそ変に気を使わなくていいとか、格好つけなくていいとか、言いたいことを言えとか。ポジティブでいる事とか。すごく単純な事。子供なら誰でも出来ること。僕も学生時代は

          海外流学⑦ 2010年23歳の時の書記をそのまま載せてます。

          海外流学⑥ 2010年23歳の時の書記をそのまま載せてます。

          ●僕の英語勉強法・白人ナンパ 僕の英語力の50%はカナダ人女性と話す事で学んだ。外で飲んでは、話しかけた。ただそれの繰り返し。僕の理論では、異性と話す事ほど言語を学べる方法はない。英語が出来る出来ない関係なく、ひたすらに会話をしようと試みた。初めてバンクーバーでナンパした時は、全く相手にされず、日本語だったなら・・と、ものすごく悔しい思いをした事は忘れられない。たかが違う言語を話す、英語が話せない、というだけで無視されるのは気にくわなかった。所詮、男と女。だから勉強した。く

          海外流学⑥ 2010年23歳の時の書記をそのまま載せてます。

          海外流学⑤ 2010年23歳の時の書記をそのまま載せてます。

          ●僕の趣味・ビーチバレー ビーチバレーとの出会いは僕にとってとても大きかった。日本でもバレーをやっていて本当に良かったと思った。ふらっと寄ったキツラノビーチで、たくさんのカナダ人がビーチバレーをやっているのを見て、僕もやりたいと思った。話しかけてみたが、彼らはとても真剣で完全に無視された。悔しいから、次の日も行って話しかけたが、また無視。だから次の日も行って、横に座り込んで、話しかけ続けたが相手にされず、それでも毎日通っているうちに、ようやく1度プレイする機会をくれ、僕のバ

          海外流学⑤ 2010年23歳の時の書記をそのまま載せてます。

          海外流学④ 2010年23歳の時の書記をそのまま載せてます。

          ●カナディアンと日本人僕1人の職場 ワーホリの醍醐味はやはり現地で働けること。僕はESLにほとんど行かなくなったから、バンクーバーについてから約1カ月半後から仕事を始めた。職場はビーチ沿いのいい雰囲気なレストランだった。履歴書を持って、つたない英語でいきなり押し掛けた。当時の英語力ではサーバーは無理と言われたが、コックとして雇ってくれた。これで金の心配はないとホッしたのも束の間、いざ仕事が始まると僕にとっては戦場だった。ものすごい忙しいレストランで、サーバーは僕の英語力も気

          海外流学④ 2010年23歳の時の書記をそのまま載せてます。

          海外流学③ 2010年23歳の時の書記をそのまま載せてます。

          ●バンクーバーでの最初の数カ月 僕はエージェントを通して来たから、一通り留学生がする事はした。ホームステイとESL通学。これらは僕にとって何の意味もなさなかった。ホームステイはまだ、いいとしても、ESLは金の無駄だったと今でも思う。最初の1週間はちゃんと行ったが、それ以降はほとんど行かなくなった。たくさんの韓国人、ブラジル人、・・・それと日本人。確かに、バンクーバーで色々な国の友達を一気に作れるのは良いが、昼休みとかは基本的に同じ国の人が固まり、母国語で話す。そんな連中が多

          海外流学③ 2010年23歳の時の書記をそのまま載せてます。

          海外流学② 2010年23歳の時の書記をそのまま載せてます。

          ●日本での自分自身に対する違和感 バンクーバーに来る前の僕は、自分自身というものを失っていた気がする。アルバイト、仕事をしていたから年上の人たちと過ごす時間が増えた。そこで、年相応に接していれば良かったが、変に大人っぽくなろうと試みた。そして、恥ずかしながら当時自分の事を心からカッコいいやつだと思っていた。更に、アパレルの世界で働いていたから、洋服、アクセサリーに気を使いまくっていた。要するに見た目に。アパレルの世界には頻繁に、見た目でしか人を判断出来ない馬鹿がいる。そして

          海外流学② 2010年23歳の時の書記をそのまま載せてます。

          海外流学① 2010年23歳の時の書記をそのまま載せてます。

          ●バンクーバーに来た理由 僕は、ただ英語が学びたかった。そして、英語での演技に挑戦したかった!英語を話せるようになれば、友達を世界中で作る事が出来るから!!これは、2年前の僕が人に言っていた理由。でも、本当はそんなものではなかった気が、今はする。もちろん、僕の夢は俳優になることだから、「英語で演技に挑戦」というのは今でも掲げている事だけど、本当のここに来た理由は、ただ日本を離れたかった。日本の生活から逃げたかった。それが本当の理由だったと思う。日本でも10代後半から俳優を目

          海外流学① 2010年23歳の時の書記をそのまま載せてます。

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