写真をより良く見せる加工と写真の使い方について
おはようございます、フリーランスフォトグラファーのまちゃるです。
数日前からX(旧Twitter)のカメラ界隈で話題になっていますが、岐阜県のモネの池の件についてです。
様々なやり取りがされているので詳しくは割愛しますが、時おりカメラ界隈を賑わせる「写真の加工しすぎ問題」というやつです。
大きく分けると「カメラマンの表現の自由の範囲内」派と「現地はそんな色じゃない」派に分かれて小競り合いが続いていますが、僕個人としては「問題はそこなのか?」と疑問に思っています。
あまりそういう指摘は無いようですが、僕自身の問題意識は「写真の使われ方として適正なのか?」という点にあります。
正直、写真をより良く見せる加工は僕自身も行いますし、加工した写真が誰にも迷惑をかけずに多くの人に「いい写真だ」と感じてもらえれば、それはそれで良いことだと思います。
ただ、それを万人に向けて発信するとなれば少し話は違ってきます。
今回は場所が明示され、人によって受け取り方に違いにあっても「モネの池はこういう場所だ」と誤解する方も少なからずいる可能性はあると思われます。
ただ、僕はそれがすぐに撮影者・発信者の問題であるとは思えません。
最終的に判断する権利・責任を持っているのは当該施設の管理者です。
今回の写真が与える影響が良いものなのか、誤ったものなのかを判断し、しかるべき対応(場合によっては法的措置)を取るのが正しい問題解決の方法だと考えます。
言い方は難しいですが、今回の写真の加工の是非や表現の仕方を肯定・批判し合うのではなく、正しくは管理者の方に「こういう問題が起きていますが、大丈夫でしょうか?」と対応を仰ぐのが正しい問題解決の道ではないでしょうか。
おそらくこういった情報発信の行きすぎは全国の観光地で少なからず問題になっているはずです。
僕が活動する金沢でも起きていると感じています。
実例としては、広報写真の多くに晴れの写真が使われているために「金沢は晴天の日が少ない地域である」ということが伝わっていないケース。
人気観光地のひがし茶屋街という場所があります。日中は人で溢れかえっているのに前撮り系の宣材写真に人がいない早朝などの写真が使用され過ぎたために「ひがし茶屋街は閑散としている」という誤解を生んでいるケース。
出張撮影のカメラマンをしていると「金沢がこんなに雨が多いとは聞いていない」「旅行サイトの写真ではそんな感じではなかったのに、どこに行っても混んでいる」とやや方向違いのクレームを言われることも日常茶飯事です。
観光地にとってブランディングと同時に、誤った情報発信を訂正してマイナスイメージを正していく時代になったなと感じます。
少し前の時代のようにマスメディアだけが主な情報発信源ではなく、今回の写真の事例のように各所に「インフルエンサー」と言われる人たちがいるのですから、なおさらです。
最後に付け加えたいのが「その業界の常識がそれ以外で必ずしも通用するわけではない」というのは覚えておいた方がいいということです。
今回の件についてコメントを見ていると、「写真が過度に加工されていて実際は違うことは誰にでも分かる」「あくまで撮影者の表現の範囲内」というものがありました。
同じ写真業界にいるものとして否定するものではありませんが、その論理が必ずしもカメラや写真に興味が無い層に通じるわけではないことは心に留めておいた方がいいと思います。
カメラ趣味に限ったことではなく、ある業界の中で一定のセオリーとなっていることもその趣味に興味のない人からすれば「?」であることは日常茶飯事です。
少し前にも埼玉の水着撮影会の件で、カメラ界隈がやや紛糾していましたが、やや遠巻きに見ていると参加者や出演者を含めた関係者が「自分たちが一般の人たちからどう見られているか」という視点が若干欠けていたのではないかと感じます。
「普通の人が花や祭りを目で見て感動している時に、血眼になってカメラを構えている僕たちカメラマンという人種は、ちょっと変わっていると常々自覚しといたほうがいい」
「被写体をただ撮るだけの対象としか見れなくなったらカメラマンは終わり。時には被写体そのものの美しさを感じ、楽しめるようにしなさい」
あの時はピンと来なかった師匠の言葉が今では身に染みるなと振り返っています。