電話の逆探知をちょっと調べた
概要
とある人が課金情報があるのだから逆探知はすでにできるということを言っていた。
私の記憶とは食い違うのでちょっと調べた。
このノートの信頼性は低いので、間違いなどあれば指摘してください。
手動式交換機時代
交換手が通話元と通話先の接続をプラグプラグの抜き先で行うので交換手は接続元を知っている。
ただそれを警察などへ渡すかは現時点では不明(後記にあるように通信の秘密を盾に電話会社が断ったことがあった)。
機械式交換時代
[1]の第3章課金機器を読む限りは発信側で課金しているので、受信側で発信側の情報を取得しているようには読めない。
ステップ・バイ・ステップの時代(1926年1月20日~1987月10月20日[3])
電話番号1桁について一つのセレクターが独立して存在している。
このため1か所見ればわかるというものでなく、着信側から回路を逆に辿る必要がある。
辿る方法は直接セレクターを目視するか、オシレーターを着信側につないでその信号を追うという方法を人手で行っていると聞いている。※Wikipediaでも要確認[2]となっている。
このような理由のため昔のドラマなどでは話を長引かせるなどの表現が使われたと思う。
クロスバ交換機の時代(1955年9月~1995年3月24日[3])
機械式なので、ステップ・バイ・ステップと同じように着信側から辿ることになるが、こちらは制御装置が存在してそこで全制御を行うので簡単になってそうな気がする(情報求む)。
1969年 プッシュホンが誕生したのでそのあとはこちらがメインになっていきステップ・バイ・ステップのような苦労はなくなっていったと思われる。
デジタル式交換時代
デジタル時代になるとコンピュータで網を管理しているので発信者番号は常時取得可能になった、、、と思われたが、実際は通信の多様化が行われ却って難しいことも発生する。
例えば海外の通信事業者は発信者情報を正しく提供しない場合があり、詐欺などに使用されている。
また移動体通信の場合は場所の特定ができないため発信者番号がわかっても相手を捕まえられない場合が存在する。
逆探知の歴史
前に警察などへ渡すかは現時点では不明と書いたが、その理由は当時の日本電信電話公社が「通信の守秘義務」を理由として逆探知を認めなかったことによる。
この件については1963年に発生した吉展ちゃん誘拐殺人事件[4]がきっかけとなり、約1ヶ月後の警視庁の強い要請により公社が逆探知に協力することとなった。
その後10月4日閣議決定で正式に逆探知が条件付きでOKとなった。
ナンバーディスプレイサービスは1997年1月28日に一部開始し、1998年2月1日より全国でサービスを開始した。
参考資料
[1] 新料金制と自動即時用機器(その1).pdf
[2] 逆探知
[3] ■5 群(通信・放送) - 4 編(ノード技術)2 章 電話交換システム
[4] 吉展ちゃん誘拐殺人事件
変更履歴
2024/9/28:参考資料のリンク誤記を訂正