「深夜放送」は青春の入り口でした。 高橋真由美さんを偲んで。
桂文枝師匠の奥様、真由美さんの訃報に接しました。
また日を置かず、大恩あるお母上もお見送りになられたとのこと、お悔やみの言葉も見つからない心境です。
不謹慎かもしれませんが、ラジオの深夜放送を思い出しました。
半世紀前、当時の桂三枝さんと高橋真由美さんはラジオ番組のDJでした。
関西のラジオ大阪の「バチョンといこう!」
三枝さんは30歳前、真由美さんは大学生だったと記憶しています。
三枝さんはキャラクターを丸出しにして真由美さんをいじり、真由美さんはそれをかわいい声で受け流す。軽妙で楽しいコンビネーションでした。
当時、私は中学生から高校生になる年代で、漫画週刊誌を卒業したものの、小説を読みふけるにはまだ早く、ラジオの深夜放送に嵌り込んでいました。
もう寝よう寝ようと思いながらも朝方まで聞いてしまい、翌朝は眠い目をこすりながら学校に通ったものです。
スマホもネットもSNSも何もない時代、自分が送ったハガキが読まれた時などは、小躍りした思い出があります。
話はそれますが、私はラジオというメディアが今でも大好きです。
ラジオは聞く、とみんな言いますが、私は見るものと思っています。
ちょっとおかしいですよね。
確かに目では見えません。聞きながらスタジオの雰囲気を感じ取り、想像力という目で見るという感じです。
当時、接点を持つ女性といえば、同級生の女子ばかりです。
ラジオのむこうにいる大学生の女性。
どんな人なんだろう。
声はほんとうに可愛いけど実物もかわいいんだろうか。。。
今では放送スタジオの状況をライブ配信でネットで見せようという企画もありますが、興醒めです。
メディア特性を無視しているような気がしてなりません。
ラジオの媒体力については改めて書いてみたいと思っています。
ご意見があればコメントいただきたいです。
話を三枝さんと真由美さんに戻します。
その後お二人は結婚され、報道で初めて真由美さんを拝見しましたが、想像
通りの麗しさであったような気がします。真由美さんが以降メディアに登場されることが無かったので記憶の中だけですが。
方や三枝さん。
当時は落語をしているところを見たことが無い落語家でした。今でもそういう方がおられますが、バラエティー芸人というところでしょうか。
この人、いつまでこんなことやってるんだろうと思っておりました。
それが知らぬ間に、現路線に方向転換し、大名跡6代目桂文枝を継ぐまでになられました。
大変失礼で生意気な言い方ですが、何か文枝さん自身の中に大きな転換点があったのではないかと推察しています。
他名跡の、米朝、春団治、松鶴。。。当代は、落語好きの私でもあまり耳目には触れません。これはこれで寂しいことですが。。。
この世界にありがちなスキャンダルはありましたが、文枝さん抜きでは関西落語界は語り切れないと思っています。
そして、それには真由美さんが何らか関わっておられたのではないかとも。
もしかして、今の師匠の姿は真由美さんが描いたものなのかもしれません。
コメントでは「涙が止まらない」と仰ってますが、涙のむこうに見える話芸
の新境地に期待しております。
衷心より、高橋真由美さんのご冥福をお祈り申し上げます。 合掌。
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