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Essay02|たくさん嫉妬して!「嫉妬」はいちばんの原動力。

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ジェラシー・ジェラシー~私はとっても嫉妬深い人間です

私は、自身がとっても妬き餅焼き、嫉妬深い人間であることを自覚しています。
「嫉妬」というと、どうにも恋愛絡みの話ばかりな印象ですが、たとえば仕事絡みの嫉妬も、重々に激しい人間です。そして、そんな嫉妬深い自身の性質のおかげで、成長を重ねる経験を積むことができたと自負しています。
ということで、自信をもって宣言できます。私はとっても嫉妬深い人間です。

敬愛し続けている、私の人生のサウンドトラック「中島みゆき」が、高校生時代の卒業文集に書き込んだ言葉を引用します。

この世でいちばん醜いものは、人の心。
そして、この世でいちばん美しいのも、人の心です。

1970年 北海道立帯広柏葉高等学校 卒業文集より

自身の18歳だったころを思っても、ずいぶん達観した・成熟した18歳のみゆき嬢です。他のクラスメイトが気後れしてしまいそう(笑)
私はこの言葉に《ものごとは美しくも醜くも、心持次第でいかように昇華しようがあるよね》、とお尻を叩かれました。
メラメラと嫉妬の炎を燃やす私自身も、その嫉妬心が憎悪に至ることではなく、自身のレベルアップのための原動力として昇華させることを目指し・択んでからは、いろいろなことが上手く運んでいることを実感しています。


私が嫉妬した女たち~「嫉妬」にお尻を叩かれて

18歳で田舎(秋田市)を出た私は、昼もそこそこ・夜はまあまあの、東海地方の地方都市に居を移し、時給の高さに惹かれて、BARで働き始めました。
当時の私は今よりも10kg以上も痩せておりまして、たいへん可愛がっていただいたわけなんですけれども、同時入社の、同じ歳の女の子がおりまして、この子にはずうっと嫉妬し続けていました。
私に負けないくらい綺麗な女の子の、名前はナナちゃんという子。お酒のことは私のほうが詳しかったかもしれないけれど、そんなことは大したことではなく、誰でも彼でも、ナナちゃんを苦手とするお客さまはいないようでした。ナナちゃんがカウンターに立つと、お花が咲いたようなふわっとした雰囲気を、ナチュラルに作っている子でした。すごかったなあ。
ナナちゃんが「天性の」人たらしなのか、それとも「(私には見えない部分で)計算された」人たらしなのかは未だに分からないところなのですが、そもそもそこが分からないということすら、私にはできない技だわ…と、キイっとハンカチを噛んでいた私です。
悔しくて、ナナの真似をしてみたけれど、上手くはいかず。真似+αの、ジトっとした修行で、なんとなく今の私ができてきたのかなあと思う日々です。

冒頭でもしたためましたが、私は英語を勉強しています。
その過程の成果もあってか、現在はワインバーの経営に加えて、社会人向けの英語教室も開講・運営しています。
英語を勉強し始めたきっかけとしては、なんとなく英語科を専攻したということがあります。
大学のあれよあれよな流れに身を任せ、オーストラリアでちらっと生活したことがありましてね。そこで出会った 一歳年が下の日本人の女の子が、英語がぺらぺらで、嫉妬しましたね~。
名門大学からの留学の女の子でしたから、地頭が違うもんネ、とは思いながらもね。「on footとby footを間違えてしまう自分」に気が付いてしまったりね、クラスでもぺらっぺらの英語を使っているこの子を見ては、ここでもハンカチをキイっと噛んでね、小指かんじゃったりね。
キイってなりましたので、帰国してからも独りでジトっと勉強してね。
インバウンド向けのツアーガイドを務めたりしてね、こっそり勉強を続けて、今に至ります。まだまだ話せないけれど。足りないわ。


「嫉妬」の正体を素直に認めてあげること

結局は素直な人間がいちばんよね、と思うわけですけれども、
メラっと燃やした嫉妬の正体を《「こんな人になりたい」という自身の羨望》であることに気が付いた私は、
「こんな人」になれるようにできることを考えて、ジトっと(笑)行動することが、私は得意だったのでしょう。

たくさんの方とお会いしておりますと、この「嫉妬の活かし方」に大きな差異があることに気が付きます。
最近もね、どうしてこんなにヒステリックに怒ってしまうのかしら、とキイっとなってしまう女性がおりましたけれど、
「嫉妬が憎しみに変わってしまう方なのだ」と考えるようにしています。

私たちは人間という、哺乳類の一動物でありますけれど、
他の動物よりは幾分か脳が発達しておりますゆえに、
いろいろと考えすぎてしまうことが往々にあるものです。
思惟が深くなるにつれて、単純に「心の持ちよう」で良くも・悪くもなり得ることを、ずーんとネガティヴな選択をしてしまうことも、あるようです。


「嫉妬」の活かし方も心次第!
~「原動力」として昇華させるべし

「この世でいちばん美しいもの」も
「この世でいちばん醜いもの」も、等しく心であるのならば
私はでき得る限り、美しく・愉快な・情熱的な・ポジティヴなものに、昇華させたいと強く思っています。

お尻をぺちんと叩いてくれる「嫉妬」という感情は、昇華の仕様によっては、なによりも強大な「原動力」になってくれます。
メラメラと燃やす情熱を絶やしてしまうことが、衰退の始まりよね…とも思っておりますから、
今日も・明日も・これからも、私はずうっと嫉妬深い人間であり続けるのでした。



ということで、今回は「嫉妬」という感情のとらえ方について、ひとつしたためてみました。
…恋愛の「嫉妬」?そうねえ、されるのは厭だけど、してしまいます。というふうに、とっても自分本位な私ですよ。うふふ。

私が嫉妬した女・ナナちゃん。
今も大事なお友達です。


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