「死霊館」「アナベル」シリーズから解く悪魔とは何か?
1950年代から悪魔祓いの実話をベースにした死霊館シリーズ、そしてアナベルシリーズはその地続きのスピンオフとなる。
日本で言う所の霊のような憑りつきや現象は、アメリカでは悪魔と呼称されておりこの辺の捉え方は宗教観の違いが影響している。
私たちに馴染みのない悪魔とは何なのか。悪魔観からの呪いや人知を超える現象を歴史を通して詳細に描かかれているこの映画シリーズの考察を通して考えたい。
悪魔とは
教徒で認識の差はあれど神が世界を創造し最初に創ったのは全能を持つ天使だった。そこに自分こそが神だと勘違いし抵抗をしたのが悪魔だと元々は言われている。
天使は霊的存在であるため神が創る物質的な世界の意義の信頼も無く自分たちこそが正しいと利益だけを主張し墜落していくのが悪魔であると神話でも解される解釈。
他人の財産や魂に憑依して自然の摂理を否定して主張していく悪魔に対するアメリカの元々の解釈もそういうとことから来ているのだとシリーズを追っても思える。
悪魔の行動原理と目的
映画の発言曰く悪魔は主に三点の行動を繰り返し人間や物に憑りついて目的を果たそうとしているらしい。
1出没 出没して恐怖を味わせることで人間の心を弱らせていく
2攻撃 物や人をポルターガイストによって攻撃していく
3憑依 憑依して人を殺していくことで魂を奪っていく
の三点の原理で行動し人間の魂を奪うことが目的。
神父は幾度となく払っているが悪魔はまた別の人間や物に憑りついていくため呪いは受け継がれているというのがシリーズを通して不気味に描かれている。
他の悪魔映画にしても結局は呪いや憑依は人に受け継がれるか魂ごとその人が消えるしか解決の道のない全て後味の悪い終わりになる。
またアナベルで赤子や子供に憑依しようとすることが多いのは憑依には魂の承諾がいると考えられているために、思考判断のつかない年齢の子供に憑依しやすいということだった。
「死霊館のシスター」と「アナベル」シリーズの悪魔は別物
死霊館のシスターによる悪魔は1950年代オカルトが好きな公爵が召喚を試みてしまいそのまま降りてしまった悪魔となる。
一度とある教会でシスターが封印をして閉じ込めたが戦争の破壊によって解かれてしまいその後の60年代にかけて人間に憑りつかれたと言われる事例が多発していく。
このシリーズの悪魔はヴァラクと呼ばれキリスト教とは異教徒の観点から来るものであり、神が野に獣を創り出してしまい人間がその姿の者たちを悪魔と呼んだ。ヴァラクはその獣における蛇の首領である。
何故かキリストの血が弱点とされているがあくまで神による抵抗勢力として創られているという認識から来ていると考えられる。
またアナベルシリーズの悪魔はアナベルを作っていた人形職人が幼い娘を事故で亡くしてしまい
その寂しさを埋めるために降霊を試みた結果誤って悪魔を現世に降ろしてしまったところから始まる。勘違いしたままアナベル人形に憑りつく許可をしてしまったのがアナベルの悪魔になる。
呼称は無くアナベルとそのまま呼ばれ人形から少女に憑依しアナベル人形を介しながら別にうけつがれていく。最後も人形は別のアンティークショップに売られてお婆さんが購入してしまい、死霊館シリーズの冒頭の看護婦の話に繋がっていく。
建物が呪われていたと思っていたらそこにアナベルが常にいたというのも不気味な話である。物にも魂が宿ると言われるのも物質が豊かになった人間の習慣にも関連する。
「死霊館」「アナベル」シリーズ時系列順おすすめ4選
両シリーズ合わせると8作ほどあり全て観てほしいが時系列順で根幹になるおすすめ4つを挙げる。
1,死霊館のシスター
シリーズとは異なるヴァラクについての悪魔の元凶となる作品。まともな祓いもなく教会の悪魔からの憑依から逃れるためにあることをしていたために村からも忌み嫌われていた。
2,アナベル 死霊人形の誕生
死霊館にも繋がるアナベル誕生の作品。シリーズでは一番いい。死霊館よりこちらから見る方が見やすいと思う。
3、アナベル 死霊の人形
アナベル1作目の終わりから繋がる続編。物に悪魔が宿された結果呪いが派生する恐怖を見事に描いていた。周りからみた住人らが全てを察していたのも不気味だった。
4.死霊館
実際に悪魔祓いをしていた夫妻が唯一隠した依頼の事件。アナベルの不気味さとは違うかなりリアリズムに寄った古典を感じる作品なので個人的には一番好きだった。アナベルシリーズを経てまた立ち戻ると見方も変わると思える。