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【考察】「走るゾンビ」はなぜ生まれ進化したのか。元祖「バタリアン」と映画「呪呪呪」までに観る時代観変遷

走るゾンビの元祖とも言われる(諸説アリ)映画「バタリアン」をこの令和に初めて観た。

なぜそこまで辿ったかは個人的な「ゾンビ観」の変遷について研究したかったから。名作と呼ばれる映画には制作側が意図していなくても社会的な先見性や雰囲気がどこか含まれてしまっているとよく言われる。

最新のKゾンビ映画「呪呪呪」から観た令和の視点で見るとザックリとではあるがその変遷と「走るゾンビ」だから見える感染症社会以後と以前における物語性の独特な変化の部分は多かったので、あくまで個人的な考察としてここに記しておきたい。

バタリアン あらすじ
科学資料庫の地下で発見された謎のタンク。医療会社に務める男性は、その中にゾンビが保管されていることを知らされる。後日彼がタンクを叩くと、そこから特殊なガスが吹き出る。そのガスには、死者を蘇らせる作用があった。

「リビングオブザデッドの後日譚である」位置づけを取った意味

バタリアンの冒頭で「この映画は実話である」と字幕で語られる。

その上で冒頭の会話から「リビングデッドオブザデッドは実は本当にあったことであり、あれは軍の圧力で渋々すり替えられたシナリオだった」と会話する。

バタリアンはこの時点でリビングオブザデッドの後日譚の位置づけとして制作された映画だということが分かる。監督は違うし公式の証明は無いがそういう意図で作られたのがこの作品だったのは間違いない。

リビングオブザデッドを観た人は分かると思うが、あれは今見ると社会がパニックになった時に必ずおきる陰謀論が国中に広まったらどうなるかの先駆けを見せた映画だった。

バタリアンでは「あれは軍が生物兵器として持っていた化学薬品の漏出を隠蔽するためのすり替え作品だった」と語って真実性を出しているのはそういう意味でもある。

そして敢えて後日譚の位置づけを表明して何もかも直接的に表現したのは、陰謀論で人間の愚かさを隠蔽するのではなく、

国の支持化にいる軍の緻密な隠蔽は市民の愚かさで簡単に破られることを直接的に証明した作品だったと思っている。

バタリアンの事の発端は軍が民間の化学倉庫に隠蔽していたゾンビと薬品を、それを管理している社員のおっさんがバイトにどれだけセキュリティが強固かをおちょくって証明するためだけに箱を破ろうとして誤って破壊してしまったから。

その後にバタリアンが解放されたあとの社員や社長の対応も後手後手で、結局バタリアンを焼却処分した煙に化学薬品が混ざってしまいその後の雨によってウィルスが地上に散布されたという流れであり、「市民による愚かさ」をこれでもかとよく描かれている。

その上での最後のオチも実にアメリカ的で、ウィルスが散布されたことを知った軍はマニュアル通りに核をその街に向けて発射し生存者諸共焼け野原にして終わらす。

アメリカは建国された時から既に理想国家であることが大前提である特殊な国のため政治制度はこれから良くするためのものではなく、これ以上悪くならないためにどうするかの思想で設計されている。

その中には「市民は愚かな選択をしてしまうものだ」ということから制度やマニュアルも想定しているために、その計算を入れた結論があのオチだったというのはアメリカ人にしたらありえなくはないものだったと思える。

歴史的にも「自国の被害を最小限にする選択」として核を利用し同盟国を増やした成功体験がある意味でもあの結論に行きつくのはそう難しくもない。

ただリビングオブザデッドの場合は逆で国側の愚かさを示した作品だった。

作中の終盤からは終始ゾンビについての見解をテレビから陰謀論めいた情報工作を放送し続け、ゾンビを倒すために急造で市民警察をかき集め団体を結成させる。

ラストは主人公らがゾンビから隠れている家にその団体が向かうもゾンビは家に侵入してほとんどの人間が襲われ、主人公だけが生き残っていたのに無条件にその警察団体に撃たれて終わる。

市民警察はこの件に関して正義はなくあくまで市民に示しをつけるための結果を残すために時間とポイント制だけで動いており、全員が白人。

そして無条件に殺された主人公だけが黒人で露骨な人種差別を示唆したオチで終わらせる。公開当時も68年の映画で南北戦争後から残る名残があったのかもしれないと思わせる。

そこからバタリアンの80年代に繋がっていくオチが何か強い暴力的な雰囲気は変わりなく時代性としてよく表われた作品だったと思わされる。


「走るゾンビ」は弱者に寄り添えるためのアップグレード

バタリアンが走るゾンビが生まれた前提として語る。

オチに社会の暴力性を感じるはあれど、バタリアンにおいてはゾンビに対して切なさと親しみを感じる部分も多々ある。

ゾンビが走ることで画期的な部分は、身体性が生きていることで完全な死人としては見えづらく知能が生きていても全く違和感を感じないということである。

そしてそこに映画としてのコメディ要素として発揮することもできれば、ゾンビとしての恐怖の特殊性も感じられる。これは最近のKゾンビ(韓国映画の走るゾンビ)を見ても感じたところだった。

このバタリアンにおいても正にそういう描かれ方がされており、彼らの内臓は死んでいても知能と身体性は生きており、生存者と会話することもできてしまう。

作中ではおばんばと呼ばれる老婆のゾンビが登場し、自分たちが如何に死の恐怖と痛みに苦悩し、生存者の脳みそを食い尽くすことで和らぐかを表明している。

彼らには生存者のままの思考と身体がそのまま生きていることで市の境界線が分からなくなり、それを和らげるためという人間同等の理性が働きながら生存戦略の目的をもって人を襲っていることまでを自覚している。

ただウィルスによって姿が哀しいほどに変わってしまった「人間」であることを異様に強調して見せる。

同じ見せ方で言えば倉庫の社員のおじさんも自らの愚かな行動を悔いて焼却炉に自ら飛び込むシーンも印象的だろう。

リビングオブザデッドの後日譚の意味、そして15年後のアンチテーゼとして描かれたのはこの部分であり、

外的な要因で差別に繋がる人権の曖昧さとゾンビとして社会的弱者となった象徴に対して見てる側も寄り添える作品に描かれている。

それは身体性が生きている「走るゾンビ」だからこそ特殊性のある画期的な新たな見せ方であり、知能が生きることに違和感のない説得性が唯一見られるからだと思えるのである。


バタリアンから繋ぐ令和のKゾンビ

そこから飛び越えて令和のKゾンビは走るゾンビの象徴的な存在になった。

新感染シリーズから頭角を現し、アクションやサスペンス性にもともと定評があった韓国映画らしい見せ方と躍進だったと言える。


ファンの間でもそれまで「走るゾンビ」に対して邪道であるという意見も多かったが、最近は「ある出来事」の経験で認識も変わりゾンビ映画界に再び光をもたらしていると思っている。

そのある出来事は世界を襲った感染社会がきっかけだろう。ゾンビ映画とウィルス社会はどこかで関連している。

感染社会で我々が新たに感じたのは無症状者でも感染している可能性があり、さらにはそれを無意識に不特定多数に対して広めてしまう危険性を持つ存在に誰しもがなりえるということ。

それまでのゾンビ映画では無症状者や生存者は貴重な「血清」を持った救世主として祀られるストーリーが前提にあり、それ以外の感染者は全員殺されることが当たり前であった。

0か100か、死ぬか根絶するかの2択で協議されることが普通だった。実際に感染社会の政治もそういう選択の議論を取る人間が多かったのだが、時間が経つにつれそれは共同体としての生存戦略には当てはまらないことが分かるようになってきたと見える。

誰しもが感染源になるし、その可能性があるだけで怒りの対象になったり誰かの死にも関与するかもしれないという危険性を経験してきたから。


走るゾンビの最新作であった「呪呪呪」でも社会的な弱者とされる人々が製薬会社の実験によってゾンビ化し、その怨念によって企業の人間に襲い掛かるという限定的なフォーカスをしたシナリオであった。

バタリアンからの繋がりで観れば弱者と言われる人権へのフォーカスは見られたし、そこからの変遷で見れば国柄の違いはもちろんやはり感染社会以後の時代性の変化もよく見られる。

国柄で言えばやはり最悪な被害をいかに最小限に留めるかがマニュアル化されているかのアメリカと、

呪詛しや被害者から謝罪だけが条件に求められているのに後手後手のまま動いている製薬会社の上層部の人間たちの違いは良く見られた。あれだけ報道されても国は動かずに限定的な当事者の人間に委ねているのも面白い所だった。

そして時代性の違い。呪呪呪ではゾンビと全面戦争する人間は当事者だけであり、主人公や外側にいる祓い師はあくまでゾンビの排除ではなくソフトランディングで徐々に共存を求めるスタンスとして直接存在している。

走るゾンビとしても知能は生きているし彼らは「被害者」として常に描かれる。主人公は中立的でありながらそちらに寄り添う描かれ方になっている。

この作品もシリーズ化していくぽいが、ゾンビ対人間ではなく製薬会社対主人公と被害者という構図は軸のまま進んでいくのだろう。

世界共通でウィルスやゾンビを根絶する思想は是ではなくさらなる危険を生むと知った、現代を生ける人間の視点は明らかに「走るゾンビ」との相性と親近感を生み始めていくと私は思っている。

今後も生か死かのシナリオより世紀末と化していく世界で如何に「共存」の道を歩むことができるかを描いた作品が増えていったら面白いなと思っている。

個人的な仮説と研究に対して長々と付き合っていただきありがとうございました。















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