日本の女帝の歴史から解くラクスと女王アウラの決戦で終わる最終章【映画「ガンダムSEED FREEDOM」】
ガンダムSEEDFREEDOMがアマプラに早くも追加されたので早速見た。
大絶賛されていた割にはストーリーは若干蛇足感もあり終わりもあっさりしていて、20年間待ちわびていたファンのために注力したファンさ映画だったなと思う。
そういう意味ではひどかったDISTNYから上手く原点回帰してくれた作品ではあった。
普通に作品内容やキャラクターをいじった話やエンタメ性について触れた感想はすでに溢れていると思うので、自分はもう少し引いて見てしまった今作の主な「女帝同士の争いの異様さ」について思う事があったので書いていきたい。
今作はデスティニープランの阻止からなお争いが地続きにわたって起こる話になっている。
新たに登場するユーラシア連邦は反コーディネーターであったブルーコスモスの思想を継承する残党を中心に再びディスティニープランを支持し、ぶれずに反対し続けるラクス陣営となるコンパスや中立国オーブがそれらと争う。
またコーディネーターを超える種とされる「アコード」という新たな概念が今回生まれる。
そしてラクスは実はコーディネーターではなくアコードであり、母とユーラシア連邦の女王アウラの研究によって作られた人物だったという後付けな真実も展開される。
アコードであるラクスはデスティニープランを支持するユーラシア連邦には必要不可欠な存在であるためにオルフェに略奪され、キラはショックで一時イジケていくが愛の力で取り戻し再びナチュラルを含めた平等的な人生と平和の模索を選択し終わっていく。
未熟な少年の「母親の代理」を担う豊富な女性たち
SEEDシリーズの特有なところは女性キャラが多く少年主人公の活躍の領域にも抵抗なく侵入して活躍までするところだろう。
そしてキャラによっては繊細な精神の部分にまで容赦なく言葉を浴びせ少女らには追い付けない少年たちの未熟さをこれでもかと強調してくる。
特にDESTINYのシンやアスランはその影響が尾を引くようなキャラクターとなり、最後まで成長する気配もなければ常に思想が寝返るあやふやさで50話も見守ったとは思えない酷い出来になってしまった。
シリーズ100話を追っても大人へと成長する気配を見せる少年キャラはキラ以外はいなかった。
逆にデスティニィープランを提唱するデュランダル議長が過去の幸福を諦め、未来を見据えている点に関しては唯一成熟した人間に見えるほどである。
神話として少年が大人になる瞬間は母親にまつわる記憶や幸福を諦め、離れたときに初めて大人として成長していくといわれる。
これはガンダムでも採用され初代のアムロは母親の前で正当防衛として拳銃を構えたことで、母親から拒絶され過去の幸福を諦めたあの話から大人のアムロとして再びホワイトベースに戻っていく。
SEEDの場合は主人公が皆特殊な遺伝子操作によって生まれたという設定のために母親の顔や記憶は作品の中でほぼ見えない。だからこそ「母親の代理」として役割をになっていくのが様々な女性キャラクターの登場だったと思える。
子どもである少年らを受け入れ成熟を支援するキャラもいれば、少年の未熟さを否定しながら精神依存の関係性を願い母親の役割を拒絶するキャラクターも出てくる。
それは同時に彼女らは実の母親ではなく、あくまで代理的な役割しか彼らには存在しない現実も同時に描いている。
そして存在しない母親、母性の傷を最終的に癒すのは恋愛成就して対等な関係性にいることでしかない。
そういった意味でもキラは1期を機に早々と成長しアスランはDISTINYでぎりぎりその片鱗を見せ、シンは最後まで恋人の死を引きずり残念な形で終わったのである。
しかし今作ではラクスがオルフェに男として横取りされたことでキラは再び少年に戻り、アスランが大人としてそれをサポートするというこれまでとは逆のパワーバランスが見える。
結局キラもラクスとは完全な関係性ではなくまだ成熟支援段階の少年だったともいえ、期待していた最終章らしい展開ではなかったのは正直なところ。
フリーダムを見て総じて言えるのは少年たちは未熟なまま、それだけ大きな女性中心の社会として成立した果ての争いを見せる作品だったということである。
ガンダムシリーズでおそらく初めて総裁や国の首長、女王など関連するすべての組織代表が女性で成り立ったこの異様さも無視はできない。
トップに立つ男性の「人材不足」である現世の未来を占っていると同時にこうした物語が抵抗なく受け入れられる違和感も日本書記から伝わる過去の歴史からもう少しほどいていきたい。
西欧では採用されない女帝同士の結末はなぜ日本では受け入れられるのか
フリーダムの最終的な対立構造はコンパス陣営とユーラシア連邦に行きつく。
それぞれの代表の顔ぶれとして見ればラクスとアウラの女帝同士の対決ともいえるだろう。キラやアウラなどは大きく見たら前線に出る駒である。
個人的には西洋の歴史を準じたゲームや映画もよく見たりプレイしたりするのだが、ここまで女性が男の領域に侵入し代表となって活躍する物語は見たことはない。
どちらかというと男は女性が侵入してくるとグルになって悪口を言い最終的にそこから排除しようとして終わることも多いのだ。
だから戦場の場で会話を選ぶゲームになって日本人的な感覚で女性をフォローする選択を選ぶと、苦い反応をされて戸惑うという経験がしばしばある。
西欧全体がそうなのかは分からないが元々フロンティアから国を開拓する歴史が強かった国は100:1で女性がその土地に少ないことが多く、
婿として選ばれなかったその他の男性の自尊心を損なわないために男性らが「女性嫌悪」する文化が根づいてしまったという諸説があるらしい。
旦那に選ばれなかったほとんどの男性らは事実上生物学的に価値を失った自尊心を肯定するために、選ばれた男性に女性の悪口を言って仲間意識の絆を強める。最終的には男性を選んだ女性を「間違い」だと決定させ酷いとそのまま排除させる話もある。
日本の場合はそういう物語が強いと逆に受け入れられないし、フリーダムの興業の通り抵抗なく女帝同士の争いにまで成立する話は熱狂するほどに受け入れられる。
世界で見ればなかなか採用されない話である分、個人的には海外の人はこういう作品を見てどう思うのかは結構気になるところでもある。
日本で女帝の戦争の物語が作られるのは歴史上既に女帝が生まれている事実があるのは大きいとも思える。
日本書記まで遡れば奈良時代の推古天皇から平安の孝謙天皇の6人にわたる。弥生まで遡れば卑弥呼の7人だろう。
これら女帝を語る際には次の男性天皇につなげる「中継ぎの天皇」だったと一括される。しかしこのように女性が皇位として就かせることは世界で見ても稀であったといわれる。
この6人に共通するのは皆「天皇の血筋」を持っていたということ。そして皇位継承候補の男性もきちんといた中で即位しているということである。
正真正銘天皇の子として生まれた中で、男の候補者は若かったり未熟であった人材不足の状況によって即位したのは間違いないとされる。
今作のラクスにわざわざアコードの遺伝と因縁をあとづけたことや、その後総裁として彼女が担っている役割の文脈は奇しくも共通する部分も多い。
もっと深めて調べると斉明天皇は自ら戦場に赴いている記載もあり、後に引き継ぐこちらも女性の持統天皇と共に白村江の戦いまで参加していたりするのだ。
そして最終的な女帝の役割は母親として息子に「きちんとした国家」にしてから譲ることで結んでいく。
女帝が中継ぎといわれる理由も持統天皇が息子に即位させる空白の期間に班田収受によって戸籍を定め、国家システムを無償で整えていた役職のこだわりのなさから起因している。
それは天皇としての役割はどうでもよく母親としての役割を全うしたことがにわかに言われているのである。
だからラクスが再三にわたってキラ(息子)への愛だけを重んじ、アコードとしての役割にこだわりがなかったのは綺麗ごとではなく女帝としての性質で普遍的なことでもあったと言える。
そしてそのラクスの姿勢に最後まで信じられず、銃を向けたイングリットは恋するオルフェの母の代理にもなれなかった一番真逆のキャラクターなので理解ができるはずもなかったのはある意味正しい。
その後オルフェが母であるアウラの指示に絶句し死に間際に初めてイングリットは母の代理として担えた瞬間だったのだろう。
最後はあっさりな展開で終わるがラクスが役割にこだわらず戦場に参加しキラを受け入れて成就していく終わりは、このシリーズの成長譚の軸としては正しい終わりだったとおもえる。
古典や歴史を持ちだして作品としては飛躍した解釈に思われるだろうが、良い作品ほど作者の解釈とは超えた多数の解釈も生まれるのも事実である。
女性が見せるガンダムで始まり女帝の争いで終わった作品の特殊性を思ってもみない表層で見えたのも楽しませてくれるシリーズだった。