全ての呪詛は儀式と信仰を軽んじた母親から始まった【映画「女神の継承」】
モキュメントタッチではあるが急に芝居の入ったシーンに切り替わるのでこの辺の境目に時々冷める。物語自体は良かった。
元はソウルで起きた連続事件のインスパイアで作られたらしいが、正直概要は全く関係ないので新しいタイの呪詛映画に変換されて作られていると見ていい。ちなみに韓国では大ヒットだったらしい。
舞台になるタイ東部の方では古くから継承されている自然への信仰や儀式が多く残っているらしく、ちょうど現代の親世代から子供世代からは軽んじられる過渡期であることも描かれている。
ある家族の家系からは始まるアジアンホラーではあるがかなり陰湿で気持ち悪かった。
ストーリーをざっくり
序盤は祈祷師である二ムが中心になるドキュメントタッチで描かれるが、妹の夫が亡くなった葬式に行ってから流れが変わる。
葬式を経てから妹の娘であるミンに普段とは違う子供のような人格や股から尋常ではない血が流れるなど何かしらに憑りつかれたような様子を見せるようになる。
二ムと母の姉妹の家系は村で女神と信じられているバヤンの精霊に憑りつかれる血縁があった。
撮影隊はミンを新たな女神の継承者として捉え追い始めるが数々の奇行が大きくなっていくことから二ムと共に何らかの悪魔に憑りつかれていると断定。
その後は肥大化していくミンの呪縛された姿とグロホラーな数々の行為を経ていきながら、緊張の儀礼式までの行方を追うモキュメントとなっていく。
全ての発端は罪だらけの母親だった
最後まで見ても分かるが、思い返してみても母親の行為一つ一つが全てのカルマを引き寄せていたということだろう。
夫の葬式では仏教の儀式なのにキリストの神父を呼んでいたり、仕事は違法な犬肉販売、二ムが女神バヤンの祈祷師として継承したのも元は姉の彼女が押し付けたことが始まりで儀礼が重んじられる村の中では何かと見逃せない罪の多い人物だった。
その後も村の伝統である祈祷師の二ムの立場を信じておらず、娘をインチキ霊媒師に除霊を頼んでしまったりと儀式を軽んじているという意味では実は無茶苦茶である。
結果自然における精霊まで信じられている村において、多くの生物の呪いをも娘の身体に引き寄せる入り口にする決め手となった。
後の二ムの知る霊媒師に夫の家系のある罪によって引き寄せたのが母であり、ミンがこうなる運命であったと言われるが最後の儀式で線香を真逆に刺して全てを破壊したことでその説は覆ることになる。
また謎になっている二ムの不審死についてだが、最後に放った「女神は本当にあなたを祈祷師として潜んでいるのか?」と姉である彼女が疑いをかけたことが原因だろう。
二ム自身も姉のためにそれまで犠牲にしたきた信念を簡単に否定されたことで揺らぎ、呪いに変わって亡くなったとされている。
ラストシーンで二ムが泣いている意味も姉であるミン母による言葉の影響ではないかと見れば色々繋がる。
そうした信仰や儀式を全て軽んじてきたミン母の影響は職場での娘のインタビューを見ても継承してしまっていたと思える。悪魔の入り口になっていた意味では必然だったのかもしれない。
弟が自ら命を絶ったことで異なる葬式の儀式で偽ったこともその家族に軽薄さが根強いてしまっていた象徴だろう。
伝統や信仰が多いタイの見えない力の風習を現代的に破壊して見せていくやり方はかなり陰湿でアジアの良さも出ていた。
霊が集まりやすい女性が雑にしてしまうことで身近な男は隠され、カルマは広がるという視点も勉強になる。
黒い車に「これは赤い車です」と書かれていた意味
終盤の儀式前の霊媒師から意味深な表情で紹介されて終わった黒い車。
「これは赤い車です」と書かれているのはどういう意味で何がまずかったのか。
調べるとタイでは迷信で車を買った際占い師に一度車を見せた方がいいという習いがあるらしい。
その際に本当はどういう色でどんなタイプを乗るべきだったか忠告されることもあるようだ。
しかし庶民に車をもう一度買いなおすことはできないためお札としてシールを売られその場を誤魔化すという俗習がここで描かれている。
二ムは家族の全ての持ち物を見て入念に祓っていたが車のシールに関しては見ていなかったということだろう。母が安易に偽物の信仰に引っかかるのはここでも繋がる。
終盤の儀式では元々巫女の素質のあった母をミンの服装を着せて悪魔を騙し、呪詛を壺に閉じ込めることに成功するが先述した儀式の風習を壊す習慣が災いして村全体の男性に呪いは広がって終わる。
最後はゾンビぽくなってやりすぎだったが、自然の精霊を怒らせた結果があの獣のような行動ともいえるだろう。
全体で見ればチープさもあるが思ったよりも物語の細かい演出と繋がりが丁寧だったのは良かった。
変なモキュメンタリー演出だったのが逆にもったいなく思う。
現代人の古い慣習の雑さをリアルに見せたかったのは伝わるけど、この手の撮影はホラージャンルに合いそうで合ってないのを感じる。客観性を見せすぎるのも良くないんだろう。
物語としては見えない力を軽んじる恐ろしさを改めて教えてくれる一本にはなった。