ファシストは無批判な順応主義から生まれるのか 【映画「暗殺の森」】
イタリアでは巨匠とされているベルトルッチ監督の傑作とされている作品。
芸術性が評価されて飛び切り面白い話ではないが、現代に通ずる風刺は効いててよかった。
1928年から43年までのイタリアを舞台にファシズムの発生とその崩壊を一人の男に焦点をあてて描いている。
主人公マルチェロは特にきっかけはないままファシストになり過去の少年時代に同性愛者に襲われた拍子に銃で殺人をしてしまってから人格が破綻してしまっていた。
それからとにかく「普通の人間」として生きることを信条に体制側の秘密警察の仕事に就き、中産階級の一般的な欲望しか持たない女性と結婚することも決まっていた。
ある日マルチェロはファシスト政府から大学時代の教授の調査を命じられる。その教授は反体制思想を持ってることでイタリアからパリに亡命していた。
妻や教授には新婚旅行を口実にパリへ向かい再会していくが、特にファシストとしての思想も強く持っていないマルチェロは秘密警察として教授の調査に立ち入ることに迷い続ける。
中盤以降はその覚悟がつかないマルチェロの姿が終始描かれ、勘づいた教授の妻に翻弄され不倫するまでに泥沼化していく。
ファシスト政府の主義思想を受け継いで普通の人間として生きられていると思ったはずが、告解してから過去のトラウマから逃れるために体制側についていたマルチェロの大衆的な心の弱さをシンボライズされていく過程がよく描かれている。
その後イタリアは敗戦しファシスト政府に終焉を迎えてマルチェロの信条にも更に揺さぶられる変化が訪れる。
ラストで過去に射殺していたはずだった同性愛者が生きていることを目撃してからマルチェロは正気を失いそれまでに築き上げた「普通」がまた崩壊していくのだった。
それまでの彼の人生の精神状況と行動原理は過去のトラウマを軸に成立していたが、その根拠が揺さぶられてしまった瞬間彼が築いてきた信条は全て壊されてしまったのだろう。
体制も人生も破壊された彼はそれまでの主義をあっさり捨てて、公然の前に同性愛者を彼はファシストであると批判し、更に連れ添っていた友人もファシストであることを狂ったように批判し、マルチェロに炎と見える赤い光が強く浴びせながら幕を閉じていく。
マルチェロと教授が話していたイデアの「洞窟の比喩」の話は、最後のマルチェロの姿に通じていく。壁の向こうの赤い炎の影を現実として見てしまうのは彼自身のことだった。
邦題は「暗殺の森」であったが原題のIl conformistaは「体制順応主義」ともされており、マルチェロに焦点をあてた無批判的な大衆の扇動と脆さの終始を描く意外と理路整然とされたシナリオだった。ただ物語として飛び切りの面白さはない。
最近では都知事選で無党派層が投票数に大きく動きがついた動きがあっただけに風刺として重なる部分も多かった。
虚言や中身の見えない政治論を語っていても切り抜きで印象操作にはまり無関心だったひとから投票所まで足を運ぶ異様さも目立った。
政策的な話から離れ単なる人生の「理想我」を叶えてくれる基準だけで政治を支持する人が増えているのが今でもある。それが無党派層として大衆化すれば当然権威的主義が強まりそれが体制化していく。
順応的で批判する力のない人たちが実は一番危なさを持っていることを今作のマルチェロを通じて見える話でもあった。