Zのオマージュも効いたおじさんも満足な超映画【ドラゴンボール超 スーパーヒーロー】
映画ドラゴンボール超シリーズの新作スーパーヒーローをアマプラにて見た。
今作は悟空やベジータは修行中で連絡が取れないという設定で、
ピッコロと悟飯の主人公回。
ピッコロ悟飯の第二の親子関係を追いかけていたおじさんにはとても微笑ましい映画だった。
父になっても悟空に似てしまう悟飯と微笑ましいピッコロ
ドラゴンボール超になってからは映画しか見ていない。
アニメも触れたことはあるが正直Zシリーズ後の同人のような
家族を持った彼らの日常が主に描かれていて好きではなかった。
Zシリーズでは唯一描かれた悟空の息子悟飯とピッコロの師弟関係を超えていく家族に近い関係の過程。そもそもピッコロはラディッツとの勝負の後悟空が亡くなってしまい、来るべき戦いに備えて代わりに悟飯を預かったのが二人の関係性のきっかけだった。
ピッコロは当時悟空は息子に甘やかすから師匠に向いていないと買って出たが、悟空は修行のためにほぼ家庭放棄していて父親としても悟飯に対してあまり貢献していない。
そのため育児方針はほとんどは母のチチが握り、悟空を反面教師として危険な目に合わない勉学に勤しむ人間に育てようとしていた。
そこで悟空が亡くなり彼の不足した父親の部分を補完役として自然と担うことになったのがピッコロ。
当初はピッコロも悟飯とはあくまで修行として厳しく振舞っていたが、裏では父親のように見えない所で支えており、悟飯も悟空にはなかった常に一緒にいてくれる存在であるピッコロに師弟を超えた尊敬の念を持つようになるのであった。
そして超シリーズでもピッコロの補完役は変わらない。悟飯は悟空と同じように自分の研究を優先し、子育てやサイヤ人としての修行の面倒は放棄に近い。
血縁関係はあくまで悟空が父親であり悟飯も彼の姿を一番に見て育っている結果だろう。
ピッコロが時を経て孫家の家政婦になってると観ればそれまでだが、魔王でも神でもなくなった彼なりの孫家への恩返しと
星全体で家族のような共同体として育ったナメック星人としてほっとけない部分と愛情の強さはどのキャラクターよりも大人であり微笑ましさもある。
Zのオマージュと映画シリーズに地続きの話でおじさんに優しい作品
超シリーズのアニメは観ていないが新キャラクターは全て映画シリーズを見ていれば追いつけるようにはなってる。
悟空とベジータの修行シーンでは前作のブロリーも混じっており、映画シリーズで地続きの話になっているのはうれしい。
クリリンが警官になってるのも知らなかったがその辺りのキャラクターの時系列も一目でわかるようにはなってる。
悪役もレッドリボン軍団やドクターゲロの孫ヘド、そしてラスボスはセルマックスなどZまで見ていたおじさんには過去から繋がる新たなキャラクターが描かれていて非常に見やすい作品になっている。
対象が子供なのかおじさんなのか分からなくなってくるが、どの世代が見ても何重の視点で見られるように作ってあるのは流石だなと思える。
最後のオレンジピッコロの腕がゴムゴムかなと思うほど伸びてたのは笑ったが、セルマックスを羽交い絞めしていたところは完全にラディッツ戦のオマージュになっていてアガる。
ピッコロが羽交い絞めにし、悟飯が魔貫光殺法を打って決めるのは粋すぎる。これを見せるために作られた映画だったんだろう。
あれだけで作りても見てる側も全てのドラゴンボールファンが満足できる作品だった。
そして悟空やベジータが加わらないとここまでスマートにチームとして機能するのかとも見える新鮮な回でもあった。