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【アニメ化】「平等が忌避される社会」から生まれる進化論の分断【ダーウィン事変~7巻】


あらすじ
テロ組織「動物解放同盟(ALA)」が生物科学研究所を襲撃した際、妊娠しているメスのチンパンジーが保護された。彼女から生まれたのは、半分ヒトで半分チンパンジーの「ヒューマンジー」チャーリーだった。

「進化論」の誤解が現代のアメリカ社会に

ダーウィン事変ということで種の起源とされた進化論における現代的解釈が、ヒューマンジーとなったチャーリーという存在を通じて展開されていく話に思う。

そもそも進化論とは ざっくり
生物は「変化」を続けており、変化の結果、生き残ってたくさんの子どもを残す上で有利な形質を持つ個体が、不利な形質を持つ個体を押しのけて世の中のメジャーとなり、最終的に不利な形質を持つ個体が滅ぶ、という理論

要は生物世界では「生存」と「繁殖」のための競争が繰り広げられ、ある環境でその両方の率が大きい個体から集団を形成し生存率も上がっていくということになる。

ダーウィンの著作が「種の起源」と言われるのも生存闘争における有利な種の保存が先行して唱えられているからともされている。

進化論以前はキリストにおける「神が人間を創造したとされる」創造論が長く信じられた歴史があるため、生物学の概念を覆す新理論ではあるがいまだに対立する人もアメリカでは地域ごとで変わるらしい。

ダーウィン事変では反進化論の人も多いとされるミズーリ州を舞台に設定されている。

チャーリーがそこに暮らすことで周りに住む市民や学生にとっては進化論をある種受け入れることにも繋がるため、都合が悪く対立軸を生ませる議論が現代のアメリカの分断になるテーマと合わせて展開される序盤だった。

進化論において誤解されやすいのは自然環境の適応力が強い生物だけすくいとられ、弱い生物は淘汰されるという弱肉強食や適者生存の極論で解釈してしまうことだろう。

そうした結果的に環境に選別されることを「自然選択」と呼ばれたが、それは常に動的であり、生物における形質の有利不利は時代の自然変遷とともに変わるし、逆転だって起こり得ている。

だから個体自身の形や性質に完成形というものはなく、常に「進化」をしているという点が大切なのだがそこが一番見落とされやすい点になっている。

作品ではALAと言われる組織を中心とするヴィーガンや全動物の平等といった主張を掲げる人間たちがチャーリーの存在を崇め、時にテロリストとして対立していくアクション作品に。

彼らは平等と人類の進化を目指しながらも、進化論における自然変遷の視点が見落とされたことで「洗練された存在」だけが生き残ることを解釈した極端な対立軸として描かれた存在ともとらえられる。

こうした解釈すると極端な話、弱そうな個体や無駄と思える形質や普通とは違う個体などは無用ともいえるようになってしまう。

組織のリーダーであるオメラスはヒューマンジーとしても普通とは違う自分の存在に苦しんでいるのも、その怨念から組織全体がそれぞれの利害でテロに及ぶことも生物学的解釈の極端な成り行きで自然な行動とも言えてしまう。

そして活動の主ともなるチャーリーをスペシャルONEとして常に認め、ただのONEとして認めるルーシーらと対立しているのもその成り行きになる。

現代のアメリカ分断社会における一部の象徴的な存在を異なる生物学的解釈の構造によって見せたのがこの作品の大きなテーマだったのではないかと思う。

結局進化の正当性を人間だけで評価できるはずはない。


「自由の国」だから生まれる対立の特殊背景

全体的な評価も高く早くもアニメ化も決定したヒットぶりだが、正直日本人読者がどこまで体重乗って見れているかは微妙だと思った。

そもそも主要な風刺ともなっているヴィーガンや動物愛護における議論についても日本では分断までは愚かそこまで大きな議論には発展していない。

後半からチャーリー対ALSにおけるハリウッド映画のようなテロとアクションにまで大きく発展していくが、どうしてここまで争う必要があるのかはいまいち追い付かないし正直冷める人も多かったと思う。

ここに持っていくまで個人的にはアメリカ社会における特殊な背景をもう少し入れてほしかった。

アメリカ社会の分断の進行についてよく説かれているのは「自由」を重んじるばかりに「平等」が激しく忌避される構造にあるということである。

平等を実現するには言論の自由をある程度規制したり、富裕層から私財を多く税や供託に投じてもらうことなど、公権力が市民に一部介入して成り立つがこれが自由を重んじるばかりにアメリカでは許されない文化にある。

そもそも万人は平等のもとに創造されているという解釈のもと、平等が既に市民や政府の義務に織り込まれていないらしい。だから自由な競争を煽り、貧富の差が生まれても自己責任の社会になるのだろう。

自由を享受し平等を忌避する人を強者とする社会で、新しい社会的なルールを訴えるには新たな強者になって個人の自由の思想を大きく断言するしかない。

それがALSにおけるテロの始まりであるだろうし、彼らの主張の実現の近道にチャーリーを「人間の進化」と大義を持ってどうしても必要になった意味にも考えられる。

ある程度の平等が織り込まれている我々にとってはなぜここまで大きな規模の話に発展しているのか追い付かなくなるが、

進化論の視点に繋がる弱者が無用とも設計されやすい社会背景の中で彼らにとってチャーリーという存在がそうした構造を覆しえるスペシャルONEだったからこそとも見やすい。

重厚さにならないように気遣ってるのは理解できるが、分断している社会的背景の説明ぐらいはもう少しあれば後半は体重乗れて見れたと思う。


最初は進化論におけるヒューマンジーの独立した権利を持つことについてのテーマに思ったが、いつのまにかヒューマンジーが主体となる社会を形成する過激な目的に変わっていってよく分からなくなった。

先述したことじゃないが舞台のアメリカ社会の背景と対立目的が上手く結びつく話になったら分かりやすかったかな。

オメラス主体の話で見ると博士の研究データを奪うか、ヒューマンジーの子供を増やすためのルーシーを奪い合う展開になるのだろうか。オメラスがルーシーを攫い、チャーリーとは避妊せず事におよんだ描写もそこに繋がるとも言われている。

最終的には序盤のテーマに戻るだろうが、長引かせすぎると結局オメラスだけ人間を見捨てて自分らだけの社会を作る「猿の惑星」的な話にもなりそう。

チャーリーという存在を通じて言論で問題提起しているバランスぐらいがちょうど良かったけど、規模が大きくなって重要な博士が不能だったりすると変な引き伸ばし感も感じる。









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