過激なファンも外では普通の顔で暮らしている【映画「ミザリー」】
ストーリー
ポールは最新作を書き上げ、人気シリーズの主人公を殺した後、人里離れた場所で自動車事故に遭う。元看護師のアニーに助けられ、自宅に連れて行かれる。最初は親切で協力的な態度を見せたが、ポールの最新原稿を読んだことで事態は不吉な方向へ向かう。アニーはポールが自分のお気に入りのキャラクター、ミザリー・チャステインを殺したことに激怒し、彼女を生き返らせるためにストーリーを書き直すよう強要する。精神的に不安定な女性に閉じ込められ孤立していることに気づいたポールは、緊張が高まり、生き残るための恐ろしい戦いに発展する。
アニーとポールから見える深層心理
執着と支配: アニーはファンの執着心の極みを表しています。ポールの作品に対する彼女の愛情は支配と操作に変わり、ファンダムの暗い側面を反映しています。彼女はポールをただ尊敬しているのではなく、彼の創作活動を支配したいと思っており、一部のファンがクリエイターに対して抱く有害な権利意識を反映しています。
芸術的誠実さと商業的成功: ポールの作品に対する内なる葛藤が重要な役割を果たします。彼は「ミザリー」シリーズを超えて、より本格的な文学作品を作りたいと考えていますが、成功に縛られています。アニーは彼に人気作品に戻るよう強いますが、これは創作の自由と市場の要求の間の葛藤を象徴しています。
孤立と脆弱性:映画の舞台は遠隔地であるため、ポールの身体的、精神的孤立が強調される。この孤立は、ポールのような作家が、自分たちに課せられた期待に囚われていると感じることを示している。ポールの脆弱性は、自分を尊敬したり支援すると主張する人々に依存しているすべての人の脆弱性を反映している。
スティーブン・キングが込めた重要なメッセージ
ファンの執着の恐怖: アニー・ウィルクスは、ファンが崇拝から支配へと境界線を越える極端なファンを体現しています。キングは、観客が作家の作品に対して所有権を感じることがあることを、アニーを使って表現しています。これは、キング自身が直面したプレッシャーを反映しています。キングはホラーのジャンルを超えて他の種類の執筆に進出しようとしていましたが、ファンは彼をホラーと強く結び付けていました。ポールが彼の人気シリーズ「ミザリー」を終わらせようとしたことに対するアニーの激しい反応は、作家が自分たちが同意しない創作の方向性を取ったときに一部のファンが感じる怒りを反映しています。
作家であることの苦闘:ポールの肉体的な監禁は、キングが成功に囚われているという気持ちを反映している。キングが『ミザリー』を執筆していた当時、彼は薬物乱用と闘い、文学的なイメージに縛られていると感じていた。ポールがアニーから逃れようとする闘いは、中毒と出版業界の息詰まるような期待からの自由を求める作家の闘いの象徴である。キングは、ホラー作家としての自分のアイデンティティに「囚われている」と感じていると語っており、それはポールが文字通りアニーに囚われているのとよく似ている
感想
ネットがなかった時代でも行き過ぎるオタク、過激な期待で執着してくるファンと思われてしまう人は本人にとってどう見えていたかがよくわかり共通性もうかがえる。
スティーブンキングも人気作家であったようにこうした行き過ぎるファンと成功を求められる期待値のバランスの中、小さい世界でどういう風に見えていたのか映像として痛さと共に感じることもできる作品である。
その痛さは最終的には次に進む足をももぎ取られるような身体性をも奪われ、過剰な喪失と怒りによって不自由にさせられるような感覚なのだろう。
ファンやフォロワーである限り受け取るものは他人がやっていることだけである。生活していても同じことが言えるが他人は自分の期待に応えて生きてはくれないということは中々認識されない。
そして感情や共感性で人を見ている人ほどこの理性を忘れて無意識のうちに過激な方になってしまうものである。現代の推し活文化はその最たる例で今やどの社会でもそういう人が多数派になってきている。
厄介なのは自己成長をあきらめて心地いい世界だけに閉じこもる人ほど他者に要求するレベルや介入が過激になりやすいから質が悪い。そして雑音を除いて匿名のまま外では普通の人として世界で過ごすので分からない。
アニーに見る孤立と寂しさに見る人物像は決してやりすぎではなく私たちに内包し得る二面性の形として今見ても他人事ではないのである。