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「死霊のはらわた」を元に皮肉を詰め込んだとんでもメタホラー【映画「キャビン」】

ホラー映画にしてはプロットから評価が高いと聞いてたから見てみたが中々ひどいと思った。

メタフィクション設定は新鮮でよかったが中盤から要素を詰め込みすぎてアクの強い映画になっていく。


あらすじ
夏休みに山奥へとバカンスへ出かけた大学生5人。古ぼけた山小屋の地下で見つけた謎の日記を読んだ時、何者かが目覚め、一人、また一人と殺されていく。しかし、その裏に若者たちが「定番のシナリオ通り」死んでいくよう、すべてをコントロールしている謎の組織があった。その組織の目的は? 若者たちの運命は―? その先には、世界を揺るがす秘密が隠されていた…。

序盤は大学生5人が別荘にバカンスしに行ってみたら不穏な近所のおじさんしかいない山小屋だったというベタなホラー設定からはじまる。

しかしその物語軸と交錯して謎の組織が大学生の行方を監視しているというのがこの作品の変わったもう一つのプロット軸になる。

大学生の物語が進むにつれ監視組織は彼らに性欲を目覚めさせるガスを仕掛けたり、地下室にアイテムを仕掛け彼らのホラーにまつわる選択を見てその後の展開を委ねさせる。

監視し大学生の展開を仕掛けていく彼らは映画的演出家とその感想を述べあう観客を象徴する存在であり、大学生らは「映画の中の映画」であるメタフィクション的入れ子構造で作品が成り立っていることをマジックミラーの登場から証明していく。

この構造によりホラー映画において「なぜ若者が狙われるのか」「なぜ山小屋で事件がおきるのか」を証明していくための中盤までの展開だった。

ホラー古典「死霊のはらわた」から普遍的な要素として続く「山の中の小屋」、「地下でアイテムを開いてしまい森にゾンビが蘇る」等のB級ホラーを元ネタに、あからさまにコメディーとして証明してるところまでは良かった。

この構造でホラージャンルに皮肉的なまま終わればそこそこ面白かったが、後半から謎だった監視組織の思惑に無理やり壮大な目的をつけていったのがつまらなかった。

彼らの活動はなぜか目覚めようとしている古の神に生贄をささげ人類の滅亡を防いぐために行われている。この辺はクトゥルフ神話にも通じる大きな話にしているが関連付けがあまりにも適当で意味が分からない。

その生贄の対象が淫乱、戦士、学者、処女、愚か者のホラー映画では共通点の高い人物らが対象にならなければいけない。大学生5人はその対象としてベタなホラー展開のバカンスを仕掛けられたということだった。

仮に「古の神」をメタ的に見るなら映画の出資者やそれを評価する観客の怒りを表したかったのかもしれない。

世界各地でホラー映画を利用した「儀式」はことごとく失敗し古神の怒りを目覚めさせる。「観客」に向け気持ちのいい各地のベタなホラー映画を作り上げることが組織の仕事だったがそれができなかった。

日本は相変わらず呪怨と子供のイメージが強いのが分かる。「日本人が途中で休むわけがないだろう」と言われているのも皮肉の的を得ている。

結局全世界でその儀式は失敗し残されたアメリカは生き残った処女と愚か者の役割を遣わされた二人が組織まで侵入していく。

そこからお家芸のゾンビではなく妖怪まで解放されてごった煮にして軸が無茶苦茶だった。これが本当に良いのだろうか。

最後は組織のボスが彼ら二人に生贄になることを諭すが、彼ら自身、愚か者と処女としてキャスティングされても実際の人間性は少々異なっていた。

愚か者の彼は実は勉強家で学者的側面も持っており、処女の彼女は実際には純粋にそうではない。

彼ら二人が生き残った理由はマジックミラーや監視モニターの発見により唯一自己存在がフィクションであると気づいた存在だったからだろう。

この時点で映画という「儀式」はすでに成立しておらず生贄として殺されることを受け入れるはずはなくなった。

ホラー映画が殺人的な生贄の儀式としてこの作品が定義づけるならば、観客側はそれを擬似的に体験することができる娯楽として見ることもできる。

それが結果的に成立されず古の神が怒り、人類滅亡が現実化するというハードなオチは、映画の存在自体がなくなってキャストが背負う殺人の代償が「現実化」する危機も証明したいというカタルシスで幕を閉じようとしていたのだろう。

B級映画がなくなれば人類は滅亡するというアクが強い話。

それっぽい映画として語ってみたが、リアルでは中々おすすめできない酷い映画だった。



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