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会社を辞めてロサンゼルスに1年間住んでみた結果・・・

タイトルの通り、2024年1月からロサンゼルスでの生活を始めて、約1年が経ちました。
年末なのでこの1年間で起こった怒涛の日々を振り返っていきたいと思います。

初めて私の記事を読む方もいるかと思うので、簡単に自己紹介させていただきます。

・日本生まれ日本育ちの27歳男性
・大学卒業後に就職したIT業界の企業で法人営業を3年半勤める
・「海外で生活してみたい」+「英語とビジネスの勉強がしたい」という思いでロサンゼルスに行くことを決意
・今までに訪れた国は5カ国(タイ、台湾、イタリア、スペイン、マルタ)
・趣味は野球観戦、ランニング、ラーメン巡り(休憩中⦅泣⦆)

会社の送別会での一枚

という人間がロサンゼルスで1年間どんな生活をしてきたかについて書いていくので、ぜひ最後までご覧ください!

◉1月:最初のイベントにして最も緊張したロサンゼルスの入国審査

日本から韓国でのトランジットを含めて丸1日以上かけてロサンゼルスにやってきた。
これからどんな生活が待っているのかと期待と不安が入り混じる中で、早速訪れた試練。それが、入国審査。

入国前後がバタバタすぎて、これしか写真取れなかった

繁忙期のフライトで渡航したこともあってか、入国審査をするまでにかなりの時間待たされることになった。
まだeSIMの登録もしていなかったのでスマホは全く使い物にならず、ただ周りを見渡しながら待つこと2時間。
やっとの思いで入国審査がスタート。

しかし、どうやら厳しい審査官に当たってしまったみたいで、怒涛の質問責めにあう。
質問内容は細かいし、いちいち理由を聞いてくる。
まるで圧迫面接を受けている就活生みたいだった。
何度か険しい顔をされる度に、「入国拒否されるかも・・・」と不安になった。
なんとか審査官に入国を承認され、急いで荷物を取りに行き、空港を出たのは飛行機が到着してから約3時間後。
ロサンゼルス生活で一番危機を感じたのは間違いなくこの時だったと思う。

1月は観光客気分でいろんなところに行った。
中でもNBA(レイカーズ)の試合はかなり見応えがあった。
アメリカのスポーツの面白さを知り、アメリカの4代スポーツ(アメフト、バスケ、野球、アイスホッケー)は制覇しようと思った。


◉2月:LA生活を大きく左右するパーティキングとの出会い

当時住んでいたところに新しいルームメイトがやってきた。
彼は日本人で、初めての海外渡航らしい。
そんな話を聞いた後に、飛行機で隣に座っていた人の話をし始めた。
隣に座っていた人はロサンゼルスに住んでいる人で、いつもパーティをして生活しているとのこと。(以降、隣に座っていた人のことをパーティキングと呼びます)
ルームメイトはパーティキングから早速遊びに誘われているらしく、ハリウッドのど真ん中で待ち合わせしてドライブすると言っていた。
それだけでなく、同じ日にパーティキングが主催するパーティに、友達呼んできてと言われていたらしく、ルームメイトは僕にそのパーティに参加しないかと誘ってきた。
当時は「アメリカは危険な人がたくさんいる」という固定概念があったので、非常に慎重に考えていた。
ルームメイトは、「パーティキングは日本好きでめっちゃいい奴」と言っていたので、ルームメイトがパーティキングと遊んだ感想を踏まえて行くかどうか考えることにした。

当日になり、ルームメイトがパーティキングとのドライブに出かけて行った。
数時間後にルームメイトから連絡があった。
ドライブがどんな感じか聞くと、”So far, so good”(今のところいい感じ)とのこと。
それなら行ってみるかと思い、パーティ会場へ向かった。
会場に着くと、ルームメイトが迎えに来てくれて、その後パーティキングを紹介してもらった。
パーティキングは日本語が少し話せるので、日本語で自己紹介してくれた。
するとすぐに、「テキーラ、好きですか?」と日本語で聞かれて、驚きながら「はい」と応えると、他のパーティ参加者が集まって、テキーラショットが始まった。
テキーラショットをきっかけにいろんな人と話すことができて、英語を練習するには非常にいい場だなと思った。
この日以降、定期的にこのテキーラパーティに参加するようになり、僕のロサンゼルスでのパーティライフがスタートすることになった。

ロサンゼルスで初めてのテキーラショット

◉3月:一生忘れない初めてのフルマラソン

日本で生活していた頃に、ロサンゼルス滞在中に何か記憶に残る挑戦がしたいと思って考えた結果、思いついたのがフルマラソン。
日本にいる頃から定期的にランニングをしていたのですが、大きな大会に参加したことはありませんでした。
でも、いつかはそのような大会に参加したいと思っていたので、これはいい機会だと思い、参加することを決意。
いきなり1人で臨むのは厳しいと思い、1月からロサンゼルスのマラソンチームに加入。
当時は全然英語が話せなかったので、チームに馴染むのにかなり苦労した。
それでも継続的に参加したら少しずつ周りが自分を認識してくれて、最終的には彼らと情報を交換しながら当日に向けて備えることができた。

マラソンはスタート直後にテンションが上がりすぎて、気がついたらいつものペースよりもかなり早いペースで走ってしまう。
途中までは調子がよかったが、30キロを越えたあたりで足に異変が・・・。つま先からふくらはぎ、太ももまで、足全体が痙攣してしまい、走ることが難しい状態になってしまいました。
正直リタイアしようかとも思いましたが、沿道にいる人たちが「まだまだいける!」と力強く後押ししてくれて、辞めたくても辞められない状況(笑)そのおかげもあり、少しづつ力を取り戻し、なんとか完走することができました。
完走した後は無意識に「楽しかった〜」と言っていました。社会人になってからあまり「喜び」という感情を心の底から感じることがなくなっていたので、久しぶりに心の底から嬉しいと思えた瞬間でした。

ランニングのチームメイトとスタート前に記念撮影
なんとかロサンゼルスマラソン完走!

◉4月:初めてカリフォルニアを飛び出してオレゴン州へ

当時はマラソンに熱中していたこともあり、スポーツウェアに関する仕事が将来的にできたらと思っていました。
そこで、4月にオレゴン州のポートランドでスポーツウェアなどに使われる機能性生地の展示会が行われると聞き、数日間ポートランドに行くことに。これが、1年間で唯一カリフォルニア州の外に出た経験となった。
エンタメに溢れ、派手な人が集まるロサンゼルスとは異なり、ポートランドは比較的落ち着いていて、静かに暮らす人が多かったように感じます。
生活環境もロサンゼルスに比べて緑と一軒家が多く、当時の私にとっては新鮮な時間でした。

そんなポートランドでやりたかったことは、展示会への参加とトレイルランニング。
展示会では各国から集まる生地ベンダーと会話し、業界のトレンドやビジネスモデル、最先端の技術などを学ぶことができた。
この業界に対する理解を深めたと同時に、自分がこの業界でビジネスをするならどんなことができるかを考えるいい機会となった。

先ほど述べた通り、ポートランドは緑に囲まれているので、トレイルランニングに適したコースがたくさんある。
時間の関係で一番近くのコースを選択したが、余裕があればもっといろんなところをトレイルランニングで巡ってみたいと思った。
自然と触れると心が落ち着いて、勝手に幸せな気持ちになることができる。日本にいた頃は割と都会に住んでいたこともあってなかなか自然と触れることができなかったが、自分の人生において自然と触れる時間を設けることが必要だと学ぶことができた。

ポートランドのトレイクランコースでの一枚
展示会での記念Pic

◉5月:今後について路頭に迷い始める・・・

英語の勉強とビジネスの勉強を1月から継続していたが、なかなか思うようにいかないこともあり、今後どうしようか非常に迷っていた時期。
というのも、元々1月から6月の半年間ロサンゼルスで生活することは決めていたが、その先は何も決めておらず、半年間の生活を踏まえてどうするか決めようと思っていた。
「海外に住みたい」と「自分でビジネスするためのきっかけが欲しい」と思ってロサンゼルスに来たが、この調子だと6月末の段階ではどっちも中途半端に終わりそうと感じていた。
滞在期間を延長するとなると、経済面を始めとしたいろんな問題がつきまとうのでどうしようかとしばらく悩んだ。
しかし、せっかく会社を辞めてまでロサンゼルスに来ることを決めたので、いけるところまでやりきりたいという気持ちが大きくなり、覚悟を持ってロサンゼルスの滞在を延長することを決意した。

ハリウッドサインの裏側まで登りました
ハリウッドサイン付近で記念の一枚

◉6月:終わりと再出発の1ヶ月

ビジネスのプログラムは6月で終了となり、英語の授業は6月中旬から2ヶ月ほどバケーションを取ることができたので、一旦学生生活の区切りを迎えることになった。
区切りを迎えるにあたって、引っ越しもすることに。
これまでは日本人が比較的多いところに住んでいたが、少しづつ自分の英語力にも自信が出てきたので、日本人がいない環境に移ってさらにロサンゼルスに染まろうと思った。
実は、この引越し先は2月の話で出てきたパーティキングの紹介で住めることになった。
パーティキング様様である。

引っ越し直後は、周りの人とのコミュニケーションに苦労したり、日本食スーパーが近くにないので食事に苦労したりした。
慣れるまではパン、パスタばかり食べていて、栄養が足りてないなと明らかに感じるほどだった。
ただ、適応力には元々自信があって、今回もみんな大好きTrader Joe's(アメリカの有名なスーパー)でこれを買えば大丈夫というお決まりのセットを早めに確立。
2週間程度で新しい場所での生活も慣れることができました。

参加していたファッションビジネスの
プログラム(LYFCO.)の卒業証書
困った時はとりあえずパスタ

◉7月:ロサンゼルスの夏はすごかった・・・

やっぱり、ロサンゼルスといえば「夏」だということをこの1ヶ月で思い知らされる。
6月くらいから徐々にビーチに人が増え始め、7月になると昼間のビーチは人でいっぱい。
ロサンゼルスで一番有名なビーチ、サンタモニカも冬は人通りもそこそこでランニングするにもちょうどいいくらいだったのですが、この時期は観光客が多すぎてランニングどころではなかった。
盛り上がっているのはビーチだけではなかった。
夜になると各地でパーティーが行われ、どのパーティーも人だかりでパニック状態。
とある週末に大きな家を貸切にしたパーティに参加した。
家の敷地内に大きなプールと飛び込み台があって、水着に着替えた人たちがそこにどんどん飛び込んでいく・・・。
映画でそんなシーンをみたことがあるけど、リアルでそのシーンを見ることができて感動した。

たくさんの人が集まるサンタモニカ
パーティでの一枚。パリピが過ぎる(笑)

◉8月:パタゴニアの発祥の地、ベンチュラへ

夏はいろんなイベントがあって毎日スケジュールが缶詰状態でした。
そんな中でも印象に残っているのは、ベンチュラという田舎町への日帰り旅行。
ほとんどの人がベンチュラという場所を知らないと思いますが、個人的には結構お気に入りの場所になった。

ベンチュラはロサンゼルスとサンフランシスコの間、サンタバーバラよりも少し南にある街。
ロサンゼルスのダウンタウンにある大きな駅から新幹線の劣化版みたいな電車(Amtrack)に乗り、2〜3時間くらいかけて移動した。
Amtrackは新幹線の劣化版と言ったが、ロサンゼルスの公共交通機関の中では一番乗り心地がよく、ロサンゼルスからサンフランシスコやサンディエゴなどに行く時にはおすすめ。

電車を降りた先に待っていたのは、長閑なビーチ。
たくさんのサーファーが海の中で波を待っていて、ビーチには犬を散歩する人、ランニングをする人たちがいた。
ベンチュラの第一印象は、「老後を過ごしたい場所No.1」
正直、エンタメはそんなにないけど、大きな建物はほとんどなく、のんびりした雰囲気が老後を過ごすのに最適だなと感じた。
4月に行ったポートランドも落ち着いていたけど、少しホームレスがいるのが気になった。
でも、ベンチュラにはほとんどホームレスはいなかったはず。

そんなベンチュラにあるのがアウトドアメーカーとして有名なパタゴニアの本店。
事前にパタゴニアのこれまでを描いた本「社員をサーフィンに行かせよう」を読んでいたので、そこに書いてあった世界を探すようにお店の中を楽しんだ。
一緒に行ったパタゴニアにかなり詳しい友達がガイドのように色々説明してくれて、ただのショッピング以上の体験をすることができました。
おそらく本店限定のグッズやセールもやっていたので、ロサンゼルスで少しスケジュールに余裕を持って旅行ができる人にはぜひ行ってもらいたい。

パタゴニア本店でショッピング後の1枚
ベンチュラ、いい街だった。

◉9月:憧れの人とまさかLAで会うことができるとは・・・

大谷翔平選手や堀米悠斗選手をはじめ、何人かの有名人から影響を受けて私はロサンゼルスに移住することを決めたのだが、その内の1人が実業家兼デザイナーの山口絵里子さん。
マザーハウスというカバンやジュエリー、アパレルなどを扱う会社を経営している方で、学生時代にたまたま存在を知り、山口さんの生き方に影響を受けて以来、憧れの存在となっている。
そんな山口さんのアパレルライン(ERIKO YAMAGUCHI)がLAでポップアップをするという情報を知人から聞き、以前購入したERIKO YAMAGUCHIの服を着て、お店に向かった。
お店には山口さんがいらっしゃって、色々とお話しさせていただいた。
憧れの人を前に、自分がロサンゼルスに来た理由、ロサンゼルスで学んだこと、今後やりたいことなどを伝えることができたのは、自分にとって非常に意味があった。
次はやりたいことが形になった状態でお話しができるように、引き続き頑張ろうと思った。

山口さんのインスタにも載せていただいた一枚。顔が赤いのはワインのせい。

◉10月:イベントだらけでどんちゃん騒ぎのロサンゼルス

10月はほんっとうにイベントが盛りだくさんで内容の濃い1ヶ月だった。
日本人みんな大好き大谷選手が所属するドジャースがシーズンを1位で終え、メジャーリーグのチャンピオンを決めるポストシーズンが10月からスタート。
10月の上旬に行われたパドレスとの試合を私も1試合現地で観戦した。
ドジャースは大谷選手が1番DHで出場し、対するパドレスはダルビッシュ投手が先発と日本人対決がポストシーズンの舞台で実現した。
レギュラーシーズンでも人気の対戦カードということもあり、早くからチケットの価格は値上がりし、当日もほぼ満席状態。
それまでに何試合かドジャースの試合を見てきましたが、特別な試合だったこともあり、盛り上がり方が全然違った。
試合はドジャースが劣勢の展開。
それに我慢できなかった観客が白熱しすぎて、パドレスの選手に向かってものを投げ入れ、罵声を浴びせ、やりたい放題の状況。
個人的にはその状況を目の当たりにして、「これがメジャーリーグか・・・」と圧倒されたのを思い出す。
その後、ドジャースは勝ち進み、ワールドシリーズも制覇してメジャーリーグのチャンピオンになった。
ロサンゼルスの歴史的な瞬間に立ち会うことができたことは、非常にラッキーだった。
野球はアメリカではアメフトやバスケなどの次に人気のスポーツと言われているが、ポストシーズンの期間は街中でもドジャースのユニフォームを着ている人やドジャースの話をしている人がたくさんいて、かなり盛り上がっていた。

実はこの日の朝、人生2回目のフルマラソン走って、足ひきづりながらここまで来た。

ドジャースが優勝したのが10月30日。その翌日はハロウィーン。
10月頭から「ハロウィーンのコスチュームどうする?」という会話を友達とするようになり、街中も家や商業施設が装飾されたり、期間限定セールが始まったりとハロウィンムードがだんだん高まっていた。
別の記事でも書いた通り、ハロウィン当日はウエストハリウッドというロサンゼルスで最もハロウィンが盛り上がるエリアに行った。
特に何かをしたわけではないが、コスチュームを着て街中へ行き、爆音の中を歩き回りながらしゃべったり踊ったりする時間は非常に楽しかった。

ロサンゼルス、爆音流せば人集まる説。

ハロウィンの翌日(11/1)はドジャースの優勝パレードが行われた。
優勝からわずか2日後にロサンゼルスのダウンタウンをジャックしてパレードができたことが衝撃。
きっと相当いろんな人がバタバタ動いてパレードの実行に至ったんだろうなあと勝手に想像している。

◉11月:世界の運命を左右するアメリカ大統領選挙

11月の上旬には日本の方も注目していたアメリカ大統領選挙が行われた。
これについてもロサンゼルスに住む中で感じたことは別の記事にまとめているが、一つの選挙で計り知れないほど多くの人が影響を受けていることを痛感した。

普段から自分の思いを主張する人が多いのがアメリカ。
政治が絡んでくると余計に主張が激しくなって、選挙前後はいつもよりもセンシティブに人と会話をするようにしていた。
選挙の結果、トランプ氏が次期大統領に就任することが決まり、それ以降はトランプ氏が公の場に出てくるたびに彼の一言一言が注目されるようになった。
すでにいくつかの新たな方針が発表されているが、2025年1月20日の大統領就任後のアメリカは大きく変わっていきそうな予感がしている。
私としては、いい方向に変わっていくこと祈るばかり。

日本人も選挙ちゃんと行こうね。

さらに、11月下旬にはサンクスギビングというアメリカにとっての一大イベントがあった。
毎年11月の第4木曜日に行われ、一般的には家族や友達同士で集まり、大きなターキー(七面鳥)を囲いながら日頃の感謝を分かち合うのがアメリカの習慣。
私も友人のホームパーティに参加し、大きなターキーと持ち寄った食べ物やお酒を片手に友達と楽しい時間を過ごした。

ターキーのデカさが半端ない。

そしてその翌日はブラックフライデー。
日本でも最近は広まってきたが、アパレルを中心に各お店が大規模なセールを行い、多くのアメリカ人が買い物を楽しむ日になっている。
ショップやブランドによってセールのレベルは異なるが、全体的に安くなっていたので、私も実用的な必需品をamazonで買い漁った。

このように、10月から11月にかけてドジャースの優勝、ハロウィーン、大統領選挙、サンクスギビング、ブラックフライデーとビッグイベントが続きすぎて、ロサンゼルスはずーっと騒がしい日々が続いていた。
その影響もあってか、この2ヶ月は特に時間が過ぎるのが早かったように感じる。

◉12月:少し落ち着いて自分を見つめ直す2024年最後の1ヶ月

12月はクリスマスムードが高まりながらも、これまでのビッグイベントと比較すると雰囲気は少し落ち着いたような気がする。
私自身も多忙な日々は続いたものの、少しづつ自分のやりたいことについて再フォーカスする時間を作れたかなと思う。

1年間ロサンゼルスで生活する中で感じたことが大きく2つある。
一つ目は、「日本ほど世界から認められ、憧れられる国はほとんどない」こと。
この1年間で数えきれないほどの人と会いましたが、自己紹介で日本人と伝えると、9割くらいの確立でいいリアクションをしてもらえる。
「日本はすごい国だ」
「日本のご飯が大好き」
「私は日本のアニメを見て育った」
「なんで日本はあんなに綺麗なんだ」
といったことをたくさん言ってもらった。
そのたびに、日本に生まれてよかったと感じることができた。

二つ目は、「日本の方が圧倒的に生活しやすいけど、ロサンゼルスの方が楽しい」こと。
ちょっと強過ぎるいい方かもしれないが、これが私の個人的な感想。
公共交通機関は充実かつ正確だし、夜出歩いて楽しむ場所もたくさんあるし、美味しくて健康的な食べ物をロサンゼルスの半額くらいで食べられるし、ホームレスはほとんどいないし、変な匂いはしないし、あげればキリがないほどロサンゼルスより日本の方が素晴らしいポイントがある。
でも、ロサンゼルスでの生活の方が楽しかった。
もちろん、1年間しか生活していないので今後どう感じるかはわからないが、とにかくこの1年間が楽しかった。
なんで楽しかったのかと考えると、一つ考えられる要因として、「自分らしくいることができた」というのが大きかったと思う。

日本にいた時と比べて、
「周りの目を気にせずに生活できたこと」
「英語を使うことでポジティブな会話が増えたこと」
「基本的に晴れていること」
「アメリカのパーティ文化が自分にマッチしたこと」
「自分のやりたいことにフォーカスできたこと」
が影響しているのかなと。

この感じたこと2点を踏まえて、面白いことを世の中にリリースできるように来年も引き続きロサンゼルスで走り続けます!

1年間で一番お気に入りの写真の一つ。トレイルランの大会後の写真。この大会で足怪我した。

今回はここまで!

まだまだ未来が不透明な生活が続きますが、少しづつ自分のやりたいことも具体化してきて、それを行動に起こせている気がします。
ちゃんと形になった際には大々的に公開したいと思うので、ぜひ楽しみにしていてください!

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