#25 短編空想怪談「奇声」
N氏にはある悩みがあった。
ある特定の場所へ赴くと、どこから途もなく、何者かの奇声が耳に入るのだ。
そのある場所とは都内某所、仮にK駅周辺としよう。
その奇声には怒りが感じられる
その奇声には悲しみが感じられる
その奇声には、恐れを感じさせる。
いずれにせよ、その不快な奇声は他人にも聞こえているらしく、奇声が発生すると誰もが、どこかを振り向きその奇声の発生源を探そうとするが、それが解らない。
そして、その奇声は長時間続く訳でもないので、大抵は少し驚いてそれで終わるのだ。
誰もがその奇声を一瞬気にしても、どこからするのか、誰が発しているのか、それが全く解らない為、そんな事は気にも止めることはない。
そもそも、そんな奇声を発してる人物に関わりたいと思うほうが奇特だ。
だが、N氏はその奇声に興味を持ってしまったのだ。
特定の場所だけで発せられるその奇妙な奇声。
前々からN氏はその奇声を迷惑だと思っていたのもあって、いずれは犯人を突き止めて注意するなり、警察に通報するなり、何かしら行動を起こそうとしていたのだ。
しかし、何度K駅を通りかかっても、奇声はしっかり聞こえるのに、奇声を発するその犯人にはたどり着く事が出来ない。
業を煮やしたN氏はとうとう、特に用事も無いのにK駅に通い、奇声を発する犯人を探すため、張り込みを始めたのだ。
ある日、N氏はその日も奇声を発する犯人を探すためK駅に張り込んでいた時だ。
今日も奇声は変わらず発生しているのに、発生源は全く解らない。
すると、微かに奇声の発生源が遠ざかったのを感じた。
微かに移動する奇声を追って、N氏は商店街に入る。
商店街は人で賑わっていて、奇声も群衆に掻き消されて聞こえにくくなる。
わずかな音量の奇声を探して人混みをかき分けて奇声の主を探していると、その商店街の客や店の人間が一斉に一方向を振り向き出した。
一際巨大なあの奇声が発せられたのだ。
一目散にN氏はその声が聞こえた方向へ走った。
気がつくと、商店街を抜けて閑静な住宅街に迷い込んでいた。
時間はそろそろ日没、赤い夕日が一本の道を照らし出していた。
その道の先に奇声の発生源をN氏は見つけてしまった。
その瞬間、N氏はその声の主を探すという己の行為を酷く後悔した。
奇声の発生源、その犯人は一人では無かった。
その奇声は沢山、複数、夥しい、どんな表現を持ってしても表現しきれない数の人の呻きだったのだ。
N氏が夕日に照らされた道の先に見た光景、それは無数の墓石だった。
しかし、ただの墓場ではない。
寺だったのか、神社だったのか、もはや原型をとどめていない廃屋、各墓石の周りも草で覆われ、手入れをする人間が居ない事は明白だった。
ここは何者からも見捨てられ、無縁仏となった墓場なのだ。
その荒れた墓場を見たN氏の頭にある推論が浮かんだ。
この墓場の主達が、この墓場から流出して、それが墓場から離れたK駅に来ているのではないか?
そしてその彷徨う亡者の呻きが奇声として聞こえてるのだとしたら。
いずれはK駅どころか、いたる所にこの無縁仏の亡者があふれるのではなかろうか?
予測はしてしまったが、それをなんとかする術をN氏は持ち合わせていない。
手に負えない事実から目を逸らすように、結局その日からN氏はK駅で奇声が聞こえても無視する事にした。
いや、したかった。
数日後、N氏に異変が起きた。
あの奇声、あの呻き声が四六時中聞こえるようになったのだ。
頭の奥の方、イヤホンやヘッドホンで直接聞かされてるようにその奇声は鳴り響く。
いやらしいのは、常に薄くその奇声は頭の中に響き続けている。
仕事をしても、食事をしても、寝る時でさえも聞こえている。
まるで、自分の集中力と連動してるかのように常に意識の端で、必ず聞こえる音量で、それでいて日常生活に支障きたさない音量で、あの奇声が聞こえる。
N氏が取り憑かれている事は明らかだった。
多少の気味の悪さは感じてはいたが、しかし一ヶ月もすれば人間は慣れるもので、奇声が聞こえていても気にしなくなっていた。
それ所か、その頭の中で否応なしに響くその奇声に安心感すら覚えていて、もはやどうこうして、解決する気が無くなっていたのだ。
ところが、その奇声はゆっくりと、確実にN氏を蝕んでいた。
それに気付かされたのは、会社の同僚からの一言だった。
「大丈夫?」
その言葉の意味は言われた直後には理解が追い付かなかった。
言われるがまま鏡を渡され、自分の姿を見て、そこで初めて気がついた。
髪は酷く白髪交じりになり、顔色は濁った水のように黒く血色が悪い、20代後半のN氏の顔からは若さが消えて、変わりに顔のシワやたるみはおおよそ7〜80代のそれになっていた。
こんな姿になるまで自身の異変に気付かなかったとは。
鏡を覗くタイミングなんか無数にあったはずなのに、N氏は無意識の内に、鏡やそれに類するモノを、自らを俯瞰できるもの避けていたらしい。
いや、あの奇声の主によって意識を離されていたのだ。
つまり、この頭の中に響く奇声が原因なのは明らかだった。
奇声は日常生活に支障をきたす訳ではなく、元からN氏をこうして蝕む事が目的だったらしい。
その為に奇声に慣らされ、気が付いた頃にはこの有様。
同僚にはお祓いに行くか何かした方が良いと言われたが、N氏はそれを猛烈に拒否。
「自分で何とかする」と言い、後日N氏はまたK駅に向かい、あの無縁仏の群れに赴くことにした。
無縁仏のある廃屋に一人で来たN氏。
だが、あの時初めてこの無縁仏のある墓場に来た時の様な恐怖は感じなかった。
その無縁仏の墓石一つ一つが皆、昔からの仲間の様な安心感をもたらしてくれる。
今も頭の中で響く奇声も心地よく、いつしかN氏はその廃屋のある無縁仏の敷地内で眠りに付いてしまった。
・・・・・・・・・・・・・
廃屋の管理者、S氏の談。
N氏の遺体を見付けたのはS氏だった。
死因は老衰。
N氏の遺体を発見した時、S氏の行動は極めて冷静で事務的だった。
というのも、この廃屋では度々老人の遺体が見つかることがある。
そして老衰で亡くなるには、本来若すぎる人物達だということも、S氏は警察から知らされので、そこで初めて本来の年齢を知る。
遺体が出る度に「またか…」と、S氏は思うのである。
遺体の主は決まって、ここに至るまでの生前、奇声を聞いてここまで来ていたらしい。
S氏は霊能者ではない、ただのこの廃屋の管理人でしかない。
しかし、S氏は思うのだ、「また連れて行かれた」と。
最後に、S氏から読者の皆様へお願いがあります。
「もし、あなたがどこかで、この奇声を聞いても、気にせず、必ず無視して下さい。
気に掛けてしまったら最後、どうなるか分かりませんから。」と。
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